第41話
夏の昼下がり、木陰で四人の子供たちが輪になってぼんやりとしている。ショートカットの少女が風に揺れる葉っぱを見つめながら口を開いた。
「ねえ、将来何したい?」
「将来? これからさきってこと?」とおかっぱの少女は聞く。
「そう! ずっとここにいるわけでもないでしょ? ここから出たらなにしたいってこと!」
「出られるかなあ」
「おれは消防士になりたい」と短髪の少年は答える。
「わたしはおまわりさん!」と長髪の少女は大声で言った。
「お前には無理だ、デコすけ」と少年はその少女に言う。
「うっさい、ちび! アンタこそ無理よ!」
「んだと? そういう生意気なことはな、テストに勝ってから言えよ」
「はあ? 今日だってアンタがずるしなきゃ勝ってたわよ!」
「ずるしてねえし!」
「ねえ、さなちゃんは?」とケンカを始める二人に構わずおかっぱの少女は尋ねる。
「わたしはね旅がしたいんだ!」
「旅?」
「うん。色んなところに行って色んな人に会いたいんだ」
「なんかおもしろそうだね」
「でしょ? みんなと行けたらもっと楽しいと思うんだ!」
「うん! 私も行ってみたい!」と少女は笑った。
子供たちの背後には高いコンクリートの壁が長く、長く続いている。
清潔なシーツが敷かれたダブルサイズのベッドの上で芦田ミカは目を覚ます。ベッドの傍らには芦田の世話係と自称する三池という女が立っていた。
「巫女さま、起きましたか? 朝食がもう出来ております」
「巫女さまっていうのはやめて」と芦田は目をこすりながら言った。
「彼がそういうのです。私たちはそれに従うだけです」
「いつもそう。私は巫女じゃないし、あの人に従う気もない」
「巫女さま、あなたは従う必要はないのです。いずれ分かるでしょう。あなたはそうならざるを得ない状況になってしまうのです」
「脅すのね、今日は」と芦田は三池を睨んだ。
「朝食後に面会があります。外部の方々がここに来られるそうです」
「外部? あなたたちの仲間でしょう?」
「それはわかりません。とにかく朝食の準備は出来ております。今日は食堂まで降りてきてくださいね」と三池は言って部屋を出て行った。芦田は開いたままの扉を見つめながら、朝食後の面会について思いをはせた。
白い大皿にはスクランブルエッグにベーコンとマッシュポテト。トーストされたパンにバターをつけて齧り、コーンポタージュを口に含んでから咀嚼する。そんな風に芦田の朝食は過ぎていった。窓辺から見える景色は相変わらず緑に溢れている。ここはどこかと尋ねれば、避暑地だという答えしか返ってこなかった。確かに避暑地だ。風は涼しく、蒸し暑くはない。
朝食後に芦田は外へと出てみる。玄関の前から砂利道が森の中へと続いていた。その先にはまだ行かせてもらえない。ただ聞かされたことは街に出るまで半日はかかるだろうということだけだった。芦田は砂利をサンダルで踏み鳴らしながら、森のふちを歩いた。木々の奥からは野鳥のさえずりが聞こえる。日はときおり雲に隠れ、まだらに影を作っている。庭の芝生はよく刈り込まれていて、寝そべったら気持ちよさそうだった。いつもそう思う。しかし、実行したことはない。三池が窓際に立って芦田を眺めている。芦田はため息をついて、前庭の端にある切り株に腰掛けた。頬杖をつきながら、今朝見た夢を思い返した。あれは少女のときの思い出。四人で朝から夜までずっといっしょにいた学園の日々だ。さなえはいつだって前向きで、アキラとレイナはいつもケンカしていた。ミカはそんな三人の中でただ何をするでもなく、なんとなく過ごす時間がなによりも好きだった。
四人で過ごすことが少なくなったのは、中学生になったときだ。そのころから自分以外の三人は幹部候補生として生活するようになっていた。芦田もまたその『歪み』を検知できる能力ゆえに幹部ともに様々なところへと連れて行かれていた。
『ほら穴』と呼ばれているところも見に行かされた。その周辺には大量の『歪み』が湧いていた。芦田はあのときのことを未だに覚えている。大きな石を持ち上げて、その地面に大量の虫たち蠢いているのを見つけたときに近い感覚だった。どうしようもない生理的嫌悪感。芦田はその場で吐き、気を失った。
他の学園生にとって『ほら穴』周辺はちょうどいい訓練場所だった。その周辺の『歪み』は大して強くなく、たいていは無機的で攻撃する意志も大きくはない。自身の歪曲能力でひたすらに石や木々に擬態する『歪み』を倒していく。そういう訓練ができた。
芦田は戦うことが出来ない。たいていは『歪み』の場所と、その擬態を指摘するだけで任務が終わった。人間に擬態した『歪み』も多く見た。中には普通の人と変わらない社会生活を送っている『歪み』も居た。そういった高級な『歪み』は多くの幹部たちがチームを組んで討伐していた。返り討ちにされたかどうか芦田は知らない。
昔のことを思い返していると、砂利道の奥のほうから聞きなれない音がしてきた。芦田は立ち上がり砂利道のほうへと歩く。望んでみると森の奥からやってきていたのは黒塗りのワンボックスカーだった。その車は前庭に乗りこみ、停車した。芦田は玄関に戻り、そこに立っていた三池に尋ねた。
「あれが今日のお客さん?」
「そうですね。報告によるとやってくるのは四人ほどです」
「多いね」と芦田は車に視線を戻す。車からはちょうど一人の女が出てくるところだった。セーラー服をきた女だ。見知らぬ女。しかもそのあとにまったく同じ外見の女が車から出てきた。双子の女子高生。お客さんの半分は興味の湧かない人たち。芦田はため息をついたが、次に出てきた男を見て息を止めた。深谷ニノだった。なにかを言う前に芦田は駆け出していた。伸びをしている深谷に抱きつく。深谷は驚きながらも芦田を受け止めた。
「うお!? 芦田さん、か?」
「深谷くん、なんで」と芦田は深谷の胸に顔をうずめながら聞いた。
「なんでって言われてもなあ」と深谷は困惑する。
「お前、ずいぶん芦田に懐かれてるな」
「え?! 福田くんどうしてここに?」と芦田は顔を上げた。
「お前とレイナが居るって聞いてな。だが、アイツの気配が無い」と二人の横に立つ福田は周囲を見回しながら言った。
「お前、気配とかで分かるのかよ」
「影にはニオイがあるんだ。上に行くほどそのニオイに敏感になる。おい、お前ら俺に嘘をついたか?」と福田は双子を睨みつけた。
「あの子も後から来るよ」
「はやとちり」
双子は頬を膨らませてそう抗議する。
「ならいい。どのみち来なければ芦田を回収してお前らを倒すだけだ」
「いやだー。やばーん」と双子たちは福田の返答を受けて抱き合う。
「レイナって人は知らんが、とりあえず俺は芦田さんに会えただけで嬉しいよ。無事でよかった」と自身の腕につかまる芦田に深谷は笑いかけた。芦田はぎゅっとその腕を握る。
「深谷くんも、無事でよかった」
「まあね。途中で死にかけたけど」
「俺の心配はしてくれないのか」と笑いながら福田は言った。
「福田くんは強いもん」と芦田は福田を見上げる。
「そうなん? こいつも死にそうだったぜ」
「あれは事故みたいなもんだ。次はああいかねえ」と福田はログハウスへと向かっている双子の背中を睨む。
「あの人たちそんなに強いの?」
「強い。なんか知らんうちに水の中に閉じ込められた」と深谷が答える。
「水……。具象系なんだ」
「たぶん枷も一つ外してる。あの正統派の連中がどうやってそこまで行けたのかも調査する必要もある。蓋を外したと言ってたしな」
「蓋を!?」と芦田は驚いて福田を見た。
「そうだ。それで生きてるってことは普通より一つ上に居るってことだ。立ち話もなんだ。俺たちもあの家に入ろう。お前、あそこに捕まってたのか?」
「うん。なんかすごく丁寧に扱われてた。たぶん、わたしの歪曲を使いたいんだろうけど。そうか、もう蓋を開けられるほどなんだね」と芦田は唇を噛んだ。
「とはいえ、油断しなければ俺一人でも勝てる。だから心配するな」と福田は二人に笑いかけた。
「まあ、よく分からんけど。なんかあったら俺は芦田さんを連れて全力で逃げるよ」と深谷は真面目に言う。芦田はそんな深谷の顔を見上げる。
「それでいい」と福田は言ってログハウスの方へと向かった。
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