第42話

 そのダイニングには窓辺にそってテーブルが三つ並んでいた。そのうちの一端に三人の男女が座っている。福田アキラは深谷ニノに尋ねた。

「お前、どうしてそんなに芦田から懐かれてんだ?」

 ニノの隣にはぴったりと芦田ミカが寄り添っていた。ニノはミカに視線を向けてから首を傾げる。

「さあ? というかこれ懐かれてんの?」

「ほかの奴らより距離感が近いのは確かだ」と福田はコーヒーを飲む。

「いつもこんなもんだよ」とミカは呟くように抗弁した。

「だってさ。アンタの勘違いだろ」

 それから深谷ニノは芦田ミカの顔をまじまじと見る。何も言わずその前髪をそっと上げて、傷一つない額を確認した。芦田は深谷のなすがままにじっとしている。

「芦田さんのここさ、包帯巻いてたとこだよね。傷一つないや」

「うん。あの時に治ってた」

「俺の体もそうなんだよね。かなり傷だらけだったはずなんだけど今じゃぴんぴんしてる。そういう点だとその辺の医者よりかはあいつは有能なわけだ」

「あいつってのは『彼』ってやつか」

「そうなんかな。金髪のロン毛で無感情そうな奴だった。素手でケーキを食べてそうだ」

「手で食べるもんじゃないのか?」

「俺はフォークを使うぜ。プラスチックのな」

「どうでもいいな」と福田は笑った。

「でも感情がないというか、普通の人とは違う感じは確かにしたよ。なんというか『歪み』に近い感じかな」と芦田は自分の前髪を撫でながら言った。

「なあ、こいつらにこんなこと言われてるけどなんか反論はないか?」

 福田は奥に居る双子に聞いた。

 セーラー服を着たおさげの双子の少女たちは揃ってむぎ茶を飲んでいる。

「『彼』は至高の存在」

「あなたたちもいずれ分かるよ」

「だってよ」と福田はため息をつく。ニノは振り向いて少女たちに聞いた。

「でもよお、だったら何でまだこうもぐだぐだやってんの? もしもカミサマとかそんなのに近いやつならさ、俺たちのことを一瞬で洗脳できるはずじゃん。いまアンタらに抵抗してる奴ら全員をさ」

「『彼』はそれを望んでいない」

「それだけの話」

「はあ。よくわかんねえけど無駄に苦労してえんだな」

「結局そこまでの『歪曲』じゃねえってことさ。神でも何でもない。ただの勘違いしちまった歪曲者に過ぎねえ」と福田は言った。

「だろうけどよ。そんな奴がどうして俺らに会いたがってんだ?」

「俺らを使って芦田を利用したいんだろ。お前ずっとここで匿われたのか?」と福田はミカを見た。

「うん。四日くらい」

「四日?! アレからそんなに寝てたのかよ」

「いまさらだな」

「それ早く言えよ。そうなるとアレだな風呂入りてえな」

「シャワー浴びる?」とミカは顔を上げてニノを見た。

「浴びたい。どこにある?」

「私の部屋にあるけど」

「じゃあ行こうぜ、あ、パンツとか着替えもあればいいんだが」とニノは福田を見る。

「俺が持ってるわけないだろ。その辺にあるんじゃないか」

「あるよー」と双子は声を揃えて答える。すると着替え一式を持ったメイドがニノの横に立っていた。ニノは驚きながらも差し出されたその着替えを受け取る。一つ礼をしてからメイドは調理場へと入っていった。

「メイドさんも居るのか」

 目を丸しながらニノは衣服を小脇に抱える。ミカはニノの腕を引いて歩き出した。

「うん。あともう一人いるけど。こっちだよ。二階にあるの」

 

 ダイニングに残ったのは三人。彼らは二つのテーブルを挟んで静かに見合っている。福田は口を開く。

「レイナはいつ来るんだ?」

「いつだろうね」

「来れるかなあ」

「あのバカはいつからお前らと組んでたんだ?」

「しらなーい。あたしたちは実際に会ったことないし」

「ふざけるな。こっちはもう十分に回復してる。いつだってお前らを倒してここから出ることはできる」と福田はテーブルに拳を置く。双子たちはその様子をにやにやと見た。

「野蛮だね、福田くん。そもそもアナタの目的はあの深谷ニノを本部に連れて行くことなんでしょ? じゃあここにいればいいの。どのみちあたしたちもこれから連れてこられる友瀬レイナも本部に行くんだから」

「……連れてこられる?」

「友瀬レイナはいま逃亡中」

「あたしたちを裏切ったのね」と双子の一人はため息をついた。

「『彼』のために働くって誓ってたのにね」

「しょせん学園側の人間だったんだよね、彼女も」

 福田は正面に居る双子を怪訝そうに見た。

「どういうことだ?」

「さあ? あたしたちが聞きたいよ。急にこっちを拒絶してきたんだもん」

「学園解放作戦のMVPなのにね」

「ね。『彼』にいっぱい褒められただろうに」

「もったいないなあ」

 そういってセーラー服を着た双子はため息をついた。すこし間を置いてから、福田は立ち上がる。

「つまりお前らはアテにならないとアイツは判断したわけだな」

「どうしちゃったのそんな顔して」

「お腹減ってるの? いまご飯作ってるから待ってよ」

 福田は大きく息を吸う。足を広げ、腰を落とし、目をつむる。外界への感覚が研ぎ澄まされていく。双子も立ち上がったのが分かった。福田は宣言する。

「元より長居する気はなかった。戦おう」

 

 深谷と芦田は森の中を駆けていた。木の根を飛び越えながら、ニノは笑った。

「なんかさ、懐かしいね。芦田さんと一緒に逃げるの。今回は逃げ切れるか分からんけど」

「どこまで行けばいいのかな」とミカは不安そうに振り返って、先ほどまで居たログハウスのほうを見た。

「とりあえず離れておけって言われたけど。まあここら辺でいいんじゃない」

 ニノは足を止めて周囲を見回す。夏の日差しは木々の葉で遮られていた。野鳥の鳴き声が遠くから聞こえる。

「福田くん、大丈夫かな」

「アイツが負けたらまた捕まるしかない。俺たち移動手段ないし」

 そうニノが言ったときログハウスの方から大きな破裂音がした。戦闘が始まったようだった。深谷と芦田は息を飲んでその方向を見つめる。天までつくような太い水の柱が出現していた。それは瞬時に凍り、弾け、地面へと勢いよく降り注いだ。

「大丈夫かよ、あいつ」

「……あんな規模の歪曲、見たことないよ」

「それってやばくないか」

「助けに行かなきゃ」

 芦田はそう言って轟音が断続的に鳴り響く方に向かおうとした。慌てて深谷はその腕を取った。

「ちょっと待て。俺らが行ってもむしろ邪魔になる可能性もある。人質にされるってのがいちばん最悪だ」

「そんなこと言ってたら、福田くん死んじゃうよ」

 芦田の睨むような目を見て、深谷は逡巡する。福田に言われたのは『芦田を連れて逃げろ』ということ。ここで芦田を戦場に戻すのはどう考えても得策ではない。

「アイツを信じよう。任せろって言ってたんだ。俺、アイツとの付き合いはまだ一日くらいだけどさ。それでも十分に信じられるよ」

「あたしはもう誰も見殺しにしたくない」

「まあね。俺もそうさ。けどそれだと俺も芦田さんを見殺しにしたことになるんだ。それだけは福田だって求めてない。絶対に」

「でも行かなきゃ」

「巫女さま、どこにいかれるのです?」

 不意に女の声が二人の間に響いた。二人は身をかためる。そして声のほうを見た。メイド服を着た女が立っていた。そばの木に手を置いている。芦田は身を震わす。

「囲まれた」

「は? あいつしか見えないけど」

 芦田は自分を抱きしめるように屈んだ。大きく震えている芦田に驚きながらニノは女を睨む。

「なんだよアンタ。芦田さんが怯えちまってるじゃねえか」

「あなたには分からないのね。今、どういう状況なのか」

「アンタ一人で何ができるってんだ? ちょうどいい。ここら全部燃やしたろうか?」

「赤ん坊にそんなことが出来るかしら」

 女はくすくすと笑う。

「なめんな」

「おそいわ」と女は空いてる手をニノに向けた。

 深谷が見たのは女のそばにある木の枝が異常な速度で自分の下へ伸びてくるところだった。ツタのようにそれはしなり、深谷にまきついた。ショートボブの女は満足そうに笑った。

「蛇が巻きつくのは獲物を殺すため。強く締め上げると心臓が止まるのね。あなたもそうなるのかしら」

 喉元まで絞められているニノは声を上げることができない。

「やめて!」と芦田は声を震わせて言った。

「やめませんよ、巫女さま。彼はどうでもいい存在なのです。殺しても構わないのです」

 ニノの肺から呼気が搾り出される。

「もう逃げないから、だからこの人だけは」

「大丈夫ですよ。あなたはこの男のことも忘れてしまうのです。あなたは器になるのですから」

 芦田は過呼吸になりかけながらも拘束されたニノにすがりつく。深谷の骨が軋む音が耳に響いた。なにもできない。またこの人を見殺しにしてしまう。

「ひと思いやってあげましょう。苦しめるのはかわいそうですから」

 

 自分の死というものは分からないものだ。どこまでそのラインに近づいていたのか、どこを越えてしまえば終わってしまうのか。それを理解してしまっているときにはもう死んでいる。福田は水の檻に囚われながらそう思った。俺はこの任務を受けたときから死んでいたのかもしれない。この目の前に立つ二人の少女と出会ったときから死んでいたのかもしれない。

「言ってたわりに強くないよね」

「ほんと口だけ」

「もう殺しちゃおうよ。この人は価値ない」

「ね。もう次の時代に追いつけない」と双子の片割れは手を伸ばした。水の檻が端から凍り始める。

「ばいばい」


「価値とはなんだろうな」と低い男の声が双子の背後からした。「人間が生きるためのツールに過ぎないとわしは思っていた。ウサギの前ににんじんを吊るしておくとずっと走るだろう? 価値もそれと同じだ。ただの機能であり実在ではない」

「あたしに小難しい話しないでくれない? そういうのはアイツにして」

「はっ。これは失敬。だが彼は今、向こうに行ってしまった。そこでキミたちはどう思うかね?」

 双子は振り返る。切り株の上に帽子をかぶった老人が腰掛けている。その隣には金髪の少女が立っていた。その少女が声を張り上げる。

「はらえ、古龍の羽ばたきがごとく!」


 突風が森全体を大きく揺らした。深谷たちもその風に当てられていた。ニノを支えていた枝が折れた。芦田はニノを抱きしめて一緒に地面へと倒れこんだ。メイド服を着込んだ女は膝をつきながらも、手を再度ニノのほうへと向けた。その隣には一人の男が立っている。

「まだやるのか? もう僕が来ている」

 女は俊敏に立ち上がり、その男から飛び離れた。ありえないと彼女は思う。この森は自分のテリトリーだ。それなのにこの男はいつのまにか自分の隣にいた。

「アナタは、だれ?」と女は地面に両手を置きながら言った。

 尋ねられた男はポケットに両手を突っ込んだまま答える。

「福屋アキラ。今日は彼らを助けに来た」


 

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