第40話

 窓際のカウンター席で、男が二人並んでハンバーガーを頬張っている。午後三時も過ぎたころ、涼みにきたカップルや子連れの家族が多い店内で男たちはただ黙々と己の飢えを癒していた。トレーの上にはまだ四つの包装されたハンバーガーが積まれている。一つを食べ終えた男が包装を丸めてトレーに置いた。丸められた包装はすでに六つだけ放られている。紙ナプキンで口を拭ったあと、男は紙コップを手に取りストローに口をつける。中身は冷えたコーラだ。彼は吸引音を響かせながら、それを飲みきった。それだけでは足りなかったのか紙コップのふたを開け、氷をも食べ始める。隣で氷を噛み砕き始めた男に頓着せず、もう一人の灰色のシャツを着た男は丸めた包装紙を無造作に放ってトレーの上のハンバーガーに手を伸ばす。

「腹減るなあ。なんでだろ」と彼は言った。

「歪曲を使ったからだ。基本的にあの能力は代謝を早める。使いすぎれば死ぬ」と氷を食べ終えた男は言った。

「そんなん言われなかったぞ?」

「お前は基本的に戦闘をしてこなかっただろ。渡されたデータを見る限り、お前の歪曲はライター程度の代りにしかならなかったようだしな」

「まあな。あれくらいなら俺をあそこにぶち込む必要もねえんだと思うんだけどな」

「どのような歪曲であれ収容は必須だ」そう言って福田はハンバーガーを手に取り食べ始める。隣に居たニノも手に持っていたハンバーガーに口をつけた。

 トレーが丸まった紙で埋まっても二人はぼんやりと窓の外を眺めていた。天気が良いからか人出は多かった。目の前を通る国道も多くの車が行き交っている。

「俺さあ、小さいころは車が好きだったんだよな。新聞のチラシで車の広告のやつあるだろ、あれを集めたりさ。ミニカーも腐るほど持ってたよ。けどチラシの車のほうが良かったな。チラシの車の何がいいって、あのメタリックな感じがいいんだよ。現実感がないんだ、いい意味でね」そう言ってニノは椅子に深くもたれかかる。

「俺は消防車が好きだった。かっこいいだろ、あれ」

「そこは分かるぜ。あれは男の憧れだな」

「消防士になろうかと思ってたほどだ。だが現実はそうもいかねえな」

「そうか? 今からでも遅くねえよ。全部放っちまえばいいんだ」

「だな」と福田は笑う。

「その歪曲だってちゃんと使えば貢献できるだろうしな。わけわかんねえ戦いに使ってばっかじゃ損だろ」

「それもそうもいかねえんだな。お前も次第に分かってくるだろうが、俺たちは飢えるんだ」と福田はニノを見る。

「は? 飢える?」

「ああ、ほかの『歪み』にな。こいつは別に言われたわけじゃない。長年、幹部に居て分かったことだ。強い歪曲を持つやつほどより『歪み』との戦闘を望むようになるのさ。なぜかは分からなかった。だが、あのクスリや俺たちの能力の原因を考えると理解できたよ。俺たちの中に居るやつはより完全になりたがってる。それだけのことだったんだ」

「ああん? どういうことだよ」とニノは福田を睨む。

「どういうことなんだろうな。お前、目の前で人が『歪み』になったところ見たことあるか?」

「ねえよ」

「俺はある。正統派どもとの戦闘のときだ。今年の五月ごろの話さ。アイツもなかなかの手練だった。お互いがギリギリのところまで行ったよ。俺はもう腹が減って仕方がなかった。もう一回でも歪曲を使えば死ぬ、そんな感じさ。アイツもそうだったんだろ。うわごとを呟いてた。違うそうじゃない、それでもないとかそういう感じの。俺は死ぬ覚悟で歪曲を使った。さっきも見ただろ? 実際に使ったのはあれの10倍くらいの規模のやつだ。周囲をすべて制圧する気で居たよ。で、アイツは潰れた。それで終わるはずだったんだ。潰れる直前何かを叫んだ。それは聞き取れなかったよ。叫んだあとに黒い煙みたいなのがそいつの体から吹き出てきたんだ。気がついたらそこに『歪み』がいた。そいつは俺を喰う気だったな。俺はそのままぶっ倒れた」

「喰われなかったのかよ」

「友瀬ってやつが助けくれたよ。なぜそこに居たのかは聞いてなかったけどな。当時は理解できなかったが、今はできる。俺たちの中に居るのは紛れもなく『歪み』で、それはいつでも俺たちを乗っ取ろうしてるってことだ」

「なるほどな」とニノは天井を見る。「俺らを収容してたのは『歪み』にならんようにするためだったのかもな」

「そうかもしれない。使いすぎればおそらくだが乗っ取られる。まあ言いたかったのはお前も気をつけておけって話だ」

「気をつけろってもな、そもそも俺は戦いたくねえんだがなあ」

「さっきみたいにそうも行かないときもある。それにお前ももう『歪み』の対象だ」

「ああ? 対象?」

「言っただろ。飢えてるんだよ、『歪み』ってのは。だから必然的に歪曲者は『歪み』を引き寄せる。お前も今までのような微弱な能力じゃないからな。十分にその可能性はある」

「……だるいな。いっそう無くなっちまえばいいんだが」

「どうだろうか。学園に居た限りじゃ歪曲を失くしたやつを見たことがないな」

 ニノはため息をつき、紙コップに手を伸ばした。中身はジンジャーエールだった。今はもう溶けかかった氷しか入っていない。ストローに口をつけたとき、隣に女が座った。セーラー服を着た女だった。ニノはその顔を見て身を固めた。すでに福田の隣にも同じ顔をした女が座っていた。福田は口を結んだまま窓の景色を望んでいる。女たちは笑顔で硬直している男たちを眺めていた。

「ね、よく生きてたね」

「ね、あれで生きてる人はじめてみた」

「彼の言うとおり戻って来てよかったね」

「うん」

 双子たちは二人を挟んでそんな会話をする。ニノは紙コップを置いて、口を開いた。

「アンタら、何しに来たんだ?」

「キミたちがホントに死んでないか見に来たんだ」とニノの横に居る少女は答える。

「俺たちは死んでいない。それは確認できただろ。じゃあもう帰ってもいいじゃないか?」

「もうひとつ言われたの。キミたちを確保してこいって」と福田の隣に座る少女が言った。

「確保?」と福田は短く言った。

「キミたちを彼に会わせたいの。彼もキミたちに会いたがってる。彼に会えばキミたちも私たちと一緒の思いを持つはずだから」と少女たちは同時に言った。

「殺そうとしてきたやつに会いたくはねえなあ」とニノは深く椅子にもたれた。

「同感だ」と福田は机の上で拳を固める。

「いいけど。ここで戦ったらみんな死ぬよ?」とニノの隣の少女は微笑んだ。

「私たちに付いてきたら誰も死なないよ」

 ニノは周囲を見回す。目に付くのは家族連れ、カップル、読書する壮年男性。店内に人は少なくない。

「抵抗せずに付いてこいってことか」

「舐めてるのか?」と福田は隣の少女を睨む。

「別に。キミたちが抵抗しても私たちがキミたちを彼のもとに連れて行くのは変わりないもの。ただ、その過程でここに居る人たちがみんな死んじゃうってだけ」

「容赦ないね」とニノは笑う。福田の拳は硬く握られたままだ。

「それに福田くんだっけ? キミも気になることを教えてあげようか?」とニノの隣に居る少女は言う。

「お前に教わることはないんだがな」

「前島さなえのことなんだけど」と福田の隣の居る少女は囁くように言った。福田は勢いよく立ち上がって、その少女を睨みつける。

「殺すぞ」

「座りなよ。みんな見てるよ?」と少女たちはクスクスと笑う。福田は座ることなく右手の拳を少女に向けた。

「前島さなえって、誰よ?」とニノは間の抜けた声で聞いた。

「福田くんの好きな人。世間的にはもう死んじゃってるけど」

「でも、ホントは死んでないんだよね」

「ね」

「は? 意味わかんねえな」

「本部の『蓋』になってるんだ。だからそれから解放してあげれば、彼女も戻ってくるんだよ。ねえ、福田くん。なんで友瀬も芦田さんも協力的なのか分かったかな?」

 福田は拳を下ろした。その表情はひどく歪んでいる。

「お前らは『蓋』を外す気なのか?」と彼は震える声で聞いた。

「そうだよ。それが彼の意思」と二人の少女はそろって快活に答える。

「外したらどうなるか、分かってんだろうな?」

「分かってるよ。私たちは実際に体験してきたし。あれは小さな『蓋』だったけどね」とニノの隣に座る少女は言う。

 福田はゆっくりと椅子に座った。ニノは紙コップに手を伸ばし、ふたをはずして溶けた氷を一度に飲み込んだ。

「わ、豪快」

「あたまキーンってしそう!」

「ね!」

「いちいちうるせえな」とニノは飲みきったあとに苦々しそうに言った。

「で、キミたちはどうするのかな?」

「付いてくる? こない?」

 ニノは俯く福田を見る。福田の頬に一筋の汗が流れていった。

「行こう。友瀬も居るんだろ?」と彼は言った。

「いるよ。芦田さんと一緒にね」

「じゃあ、付いてきて。あと、これ捨ててきてあげるね」と少女はゴミで埋まっているトレーを持って立ち上がり、出口へと向かう。もう一人の双子も空になった紙コップを持ってその後ろを付いていく。

「いいのか? 付いていっても」と立ち上がりながらニノは福田に聞いた。

「分からん。ただ俺は、芦田と友瀬と話がしたい」

「アンタら仲良かったのか? 友瀬ってやつは知らねえけど」

「腐れ縁さ。同じ時期に学園に来たんだ。ずっと一緒だった」と福田は言って席から立った。

「ま、いいけどよ。俺も芦田さんに会いたかったし。コレが罠だったら笑えるけどな」

「そのときは殺すまでだ」

 そう言って二人は、出口で待つ笑顔の双子たちのもとへと向かった。

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