第11話

 風が強く吹いていた。窓が小刻みに揺れていた。ときどき遠くの方から雷鳴が響いてきた。レイナはベッドの上でじっと膝を抱えたまま座っていた。ミカはその横に立って、窓から外を見ている。

「台風が来るんだって」とミカは暗雲の下にある森を見て、言った。

「ふうん」とレイナは角ばった両膝に額をつけた。

「停電するかもしれないね」とミカはベッドの端に腰掛けた。

「ねえ、アキラは?」とレイナは俯いたまま言った。

「そろそろくるよ」

「あいつ、楠本を殺したんでしょ」

 ミカはレイナを見つめた。

「楠本は、自殺したんだって」とミカは目を伏せた。

「アキラはそんなミスをしないよ。上から殺せって言われたら、殺さなきゃいけない」とレイナは淡々と言った。

「でも、アキラくんはそう言ってた」とミカはカーペットの目地を見つめながら言った。

「ふうん。楠本が自殺するなんて、わけわかんない」

「追い詰められたからじゃないの。捕まったら、いろいろされるじゃない」

「ふうん。楠本はクスリを配ってただけだよ。ただの下っ端。何も知らないの。だからアキラは殺せって言われたんでしょ」とレイナは足を延ばして、ベッドに横になった。

「わたしにはわからないよ」とミカは淡い笑みを浮かべて言った。

「けど、楠本がいないと困る。ちゅーしゃできなくなっちゃう」

「だからさ、レイナ、もうやめなって」とミカは顔をしかめて、レイナを見た。

「ミカもやってみるといいよ。気持ちいいし、安心する」

「やらないよ。だって、あれヘンな噂があるんだよ。使いすぎると、『歪み』になっちゃうって」

「誰が、そんなこと言ってたの?」とレイナは起き上がってミカを見た。

「誰って、食堂でみんなが話してるの聞いてただけだよ。人間が『歪み』になるって信じらんないけど」

「うそ。アキラが言ってたのね?」とレイナはミカを睨んだ。ミカは身をすこし強張らせた。

「アキラくんはそんなこと言ってないよ」とミカは眼球を微かに震わせて、言った。

「言ったのよ。けど、ミカ、どのみちアキラが来たら聞くから心配しなくてもいい。ミカは何も言わなかった。それでいいの」とレイナはミカに微笑んだ。

「でも、食堂で聞いたのもほんとだよ」とミカはすがるようにレイナを見て言った。

「そうね。もう、そういう噂が歩いてても不思議じゃない。楠本が死んだんだもの。次のステージに入ったの」とレイナはミカに近づいた。

「ステージ?」とミカは抱き着くレイナに身を任せながら、そう呟いた。

「そう。ウチがちゅーしゃして何を見てきたのか、教えてあげようか」とレイナはミカの耳にささやいた。

「ねえ、わたし、よくわかんないよ。レイナは何がしたいの?」とミカはレイナの灰色の瞳を覗きこんだ。

「復讐」とレイナは視線を切り、ミカの胸の中に顔をうずめた。

「……、さなえのこと?」とミカはレイナの旋毛を眺めながら聞いた。

「さなえもね、ちゅーしゃしてたんだよ。知ってた?」

「え、うそでしょ?」

「ほんと。どうやってでも会いたい人がいたんだって。さなえにはね、ここを出て一言だけでも言いたかった人がいたんだ。だから強くならないとねって笑ってた。アイツ、けっこうドライな奴だったのに、笑えるよね」

 ミカは目を瞑って、息を止めて、唇を硬く引き締めた。ベッドのシーツを握りしめた。レイナはミカの心音をじっと聴いていた。

「ミカ、ドキドキしてるね」とレイナは小さな声で言った。

「あの、すぐにいなくなっちゃった人のことかな」

「たぶんね。いつも彼の話を楽しそうにしてたもの。アキラと一文字違いの名前の人」

「でも強くなるためにクスリを使うなんて、どうして」

「上のやつらが、渡してたんだよ。導入試験として、少数の幹部候補のやつらに流してたんだ。ウチもそうだったんだよ」とレイナは顔をあげてミカを見つめた。

「えっ」とミカは目を見開いて、レイナの瞳を見返した。

 二人はじっと見つめ合っていた。


 福田アキラは、女子寮のガラス戸を押し開けた。ロビーにたむろする少女たちの視線を一身に受けながら、濡れた足跡を残して階段室に入った。

 二階に上がった時、彼は建物が大きく揺れたのを感じた。そのすぐ後に、彼のポケットに入っていた携帯端末が鋭い音を放ち始めた。彼は舌打ちをして、立ち止まった。まだ、建物は微かに揺れていた。彼がポケットから出したタブレットの液晶には、違反者の位置情報が表示されていた。彼がまさに向かおうとしていた場所だった。福田は頭を掻きむしってから、駆け出した。

 福田がレイナの部屋に着いたとき、すでに他の治安維持会の人間たちがいた。一人の少女は能力を使って、レイナを床に伏せさせていた。部屋はひどく荒れていた。窓は粉々に吹き飛んでいて、ベッドは裏返っていた。部屋の片隅にミカが倒れていた。彼女は気を失っているようだった。三人の少女たちが、ミカを囲んで応急処置を施していた。レイナを拘束していた少女が福田に気が付いた。

「福田さん。彼女が違反者です。レベルB規模の能力放出を行いました」

「故意か、どうかが問題だ」と福田は顔をしかめた。

「この規模になると、それは問題とされませんよ」と黒い髪をした少女は不思議そうに言った。

「それは俺たちが決めることじゃない。拘束を解いてくれ、話がしたい」

「危険です」

「いいから、解け。何かあったら俺が抑える」

「わかりました」少女はそう言って、レイナに向かってかざしていた手を下ろした。福田は横たわるレイナの下へと向かった。能力を解かれても、レイナはうつ伏せになったままであった。

「おい、レイナ。起きろ」

「いやだ」とレイナは床に口をつけながら言った。

「お前は何をした。なんでこんなことになってる。どうしてミカが倒れてるんだ」

「さあ、外でも見たら。晴れてるでしょ」とレイナはのどを鳴らして笑った。

「晴れてる? なにを言ってるんだ」と福田は窓の残骸の向こうに広がる空を見た。雲が散っていた。今度は日差しが地面を濡らしていた。福田は立ち上がって、ガラスの破片を踏みつぶしながら、窓際に寄った。空を見上げてから、呟くように言った。

「お前がやったのか」

「そうかもね」とレイナはくぐもった声で答えた。

「ここまで強くなかったはずだ」

「そうかもね。ミカは大丈夫?」

「わからない。大丈夫なのか?」と福田は振り向いて、尋ねた。

「芦田さんは強く頭を打ったようです。今から救護室に運びます」と先ほどまでレイナを拘束していた少女が答えた。

「わかった。頼んだよ。ここは任せてくれ。君たちはミカを連れて行ってくれ」

「それは規定に反します。少なくとも二人以上の人員をここに配置するべきです」

「いいから、出て行ってくれ。俺がそう決めたんだ」と福田は黒髪の少女を睨んだ。

「私は出ていきますが、」と少女は福田の瞳を捉えながら言った。「会長が来るかもしれません」

「かまわない。早くミカを連れて行ってくれ」

「わかりました」

 四人の少女たちは、ミカを横にしたまま能力で浮遊させて、運んで行った。部屋に残ったのは二人だけであった。福田はため息をついた。

「どういうことだ」

「制御できなかった」とレイナは体を起こしながら言った。

「薬の影響か」と福田はレイナを見つめた。

「それ、ウチに隠しておきたかったことじゃないの?」とレイナはじっと福田を睨んだ。

「違う。お前が俺に隠してたんだ。前島のことも、全部」

「ウチは隠してないよ。ただ、アンタが聞いてこなかっただけ」

「わかった。反省しよう。単刀直入に聞くことにする。楠本の上には誰がいた?」

「どうしてウチが知ってると思うの?」

「お前は知ってる。そのことを俺はもう知ってるんだ」

「ふうん。そう」とレイナは膝を抱えて、体を丸めた。

「教えろ」

「知ってどうするの? 殺すの?」

「それは俺が決めることだ」

「アンタが犬死するのは別にウチは構わないんだけど、ミカが泣くよ」

「へえ。そうか。分かったよ。幹部の連中を一人一人調べていくだけだ」

「だれも幹部とは言ってない」

「もういい。お前は知りすぎてる。このことで殺されることはないだろうが、処罰は免れない」と福田は言って、レイナの細い手首をつかんだ。

「つかまないで。自分で立てる」

「行こう。会長が首を長くして待ってる。たぶんな」とレイナの手首をつかんだまま福田は歩き出した。レイナは手を牽かれることに抵抗することはなかった。部屋を出る間際にレイナは振り返って、大きく穴が開いた壁を見た。

 それから微かに笑みを浮かべた。

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