第12話

 友瀬レイナの部屋には大きな穴が開いている。その穴から差し込む夏の日射しは、床に広がるガラスの破片を際立たせていた。人はいない。時折に舞い込んでくる風が裏返ったベッドのシーツを揺らしていた。

 雲が日を遮った。影が部屋にできる。その影から、人が浮かび上がってくる。ぬらぬらと形を整えながら、その人間は友瀬レイナの部屋に立った。半袖のシャツに藍色のジーパン。そんな恰好をした彼は、ガラスの破片を気にも留めずに部屋の中を歩いた。クローゼットを開けて、かけてあるコートのポケットを漁る。ポケットから出てきたとき、彼の手は腕時計を握っていた。学園の生徒が着用を義務付けられている腕時計だった。彼は硬い表情で、それを手首に巻いた。腕時計は滑らかに彼の手首に収まった。彼は満足そうな笑みを見せてから、踵を返してクローゼットから離れた。最後にぽっかりと空いた壁の穴を見つめてから、部屋を出て行った。

 風が裏返ったベッドのシーツを揺らしていた。


 福田は女子寮内にある会議室にレイナを連れて行った。タブレットを通じての会長からの命令だった。福田が会議室に入った時、中には二人の人間がいた。一人は男でパイプ椅子に腕を組んで座っていた。もう一人は女でその男の後ろに立っている。福田とレイナはその二人の前に立った。

「河野、今回は能力の暴発が原因だ。反抗の意思はない。注意だけで済ますべきだ」と福田は椅子に座る男に言った。河野と呼ばれた男は、顔をあげて一重の目で二人を均等に見比べた。

「お前は身内に甘すぎる。寮の壁に穴を開けた。一般生徒を気絶させた。だれがどう見ても、そいつは矯正訓練を受ける必要がある。たとえ元幹部候補生だったとしてもな」

「上は何と言っている?」

「明後日に施設へと移送せよ、と言っている。我々はその指示に従う。さて、友瀬レイナ。君は今から独房に入ることになる。手続きはもう済んでしまった。君も他の違反生徒にやってきたことだから、これからどうなるかは分かっていると思う。無駄な反抗はしない方が良いことも分かっているはずだ。綾瀬、彼女を拘束し、一時保護施設に連れて行ってくれ」

「かしこまりました、会長」と後ろに控えていた少女は無感動にうなずいた。彼女はレイナの前まで行き、レイナの両手首を重ね合わせた。それからレイナの右手首に巻きついている腕時計の上に、少女自身の腕時計をかざす。短い電子音の後、レイナの腕時計は変形しその左手首にも巻きついた。

「さあ、行きましょう」と少女はレイナの肩を押して、会議室から出て行った。

 会議室には二人の男たちだけが残った。

 福田はじっと河野を睨んでいた。河野は口の端をわずかに上げて、言った。

「まあ、座れよ。少し話がしたいんだ」

「俺もちょうどそういう気分だったよ」と福田は言って、椅子に座った。

「友瀬はもうだめか?」

「ダメも何も、俺の知ったことではないね」

「じゃあ、なんで庇ったんだ?」

「俺は事実を言ったまでだ。どのみちアイツはここから出なきゃならなくなる。お前にとってももう用済みだからな」と福田は河野を睨みつけた。

「楠本をあぶりだせたのは、確かに友瀬のおかげだ。だが、それで友瀬が用済みになったわけじゃない。友瀬の力はまだまだ我々には必要だ。上もそう判断している」

「あのラリった女がどうして力になるんだよ。どうかしてるんじゃないか、お前らは」と福田は笑った。

「今日のことでも友瀬の力がわかるだろ。この寮の壁を破壊した。天候まで変えた。どうやら、外壁までも破壊したようだ。そのことで被害規模のクラスがBからAになった。だから上も友瀬を矯正させることにしたんだ。あの力を制御しないままでさせておくのは、もったいないことだからな」

「アイツの力は、あんな風じゃなかった」と福田は身を乗り出して、河野を睨んだ。

「そうか? あれが本来の力かもしれない」

「そんなわけあるか。明らかに強化されてる。あのクスリのおかげでな」

「あれはただの覚せい剤だ。成分調査ももう済んでる。お前も資料を読んだだろう?」

「楠本の証言はどうなる?」

「ただの与太話だろ。聞いた本人であるお前だってそう言ってたじゃないか。アイツが外出任務ごとに売人から買っていた事実も確認できた。本部は関わっていなかったんだ。それは明らかなことだろう。しかし、どうしてそうつっかかるんだ? 何かあったのか?」と河野は笑った。

「あったもクソもない。本部が記憶改ざんを実行していたらどうだ。俺たちの記憶がまぜっかえされてたらどうだ?」

「完全記憶者の観測では、現実改変は行われてない。我々はそれを信じるしかないだろう」

「お前はほんとうにそう思ってるのか?」と福田は河野を見つめた。

「これがオフィシャルな見解だ。俺個人の私見を挟めるような問題じゃない」と河野は福田を見返した。

「つまり、俺もぐだぐだ言うなってことか?」

「まあな。タスクはほかにも腐るほどある。歪曲者が爆発的に増加傾向にあることもお前は知ってるだろう。どうしてかは知らないが、正統派が瓦解してからずっとそうだ。この施設の入居者も増え続けている。新たな寮も建設中だ。そして、なによりも外では正統派の残党が活動を再開し始めてる」

「らしいな」

「新たな歪曲者に対する我々の管理能力が限界にきているのは事実だ。これだけでもリスクが高まってるのは分かるだろう。しかし、収容後のリスクだってある。我々がこれだけの人数の思想を統制することは不可能に近い。たとえばだが、今ここに正統派が侵入してるとしよう。彼らは思想的に中立な人間に近づくだろう。あるいは単純にこの施設に反感を持つ人間に近づくであろう。そして彼らは正統派に染められる。そして、内部で反乱の種が蒔かれる。我々が偶然にも防いだ最悪のシナリオが、今度こそ実演されるかもしれない。そういう可能性もある状況だ。余計なことにかまってる場合じゃないだろう」

 福田は口をつぐみ、腕を組んで俯いた。沈黙が二人の間に流れた。河野は福田が黙っている様子をじっと観察していた。福田は顔を上げずに、話し出した。

「俺にもよくわからないんだ。なんでここまで気になってるのか。前島のことを聞いたからかもしれない。そうじゃないかもしれない。レイナがクスリをやってた理由を知りたいからかもしれないし、楠本がどうしてあんなことを言ったのかを知りたいからかもしれない。俺にはわからないことが多すぎる。だが、それはいつものことなんだ。問題なのはそれをほっとけなくなったことなんだ。自分でもどうかしてると感じるさ」

「福田、お前の感情もわからないこともない。この一か月、いろいろ有り過ぎた。生身の人間相手との戦闘に、いつもどおりのわけの分からない生命体の討伐。盛りだくさんだったな。会におけるお前の仕事は他のやつにやらせるよ。少し休め。お前がここで倒れたら、我々にとって非常に困ることなんだ」

「ああ、そうかもしれないな。疲れてるだけかもしれない。ちょっと頭を冷やしてくる。すまないな、面倒なことばかり聞いて」と福田は言って椅子から立ちあがり、部屋から出て行った。


 ミカが救護室のベッドの上で目を覚ました時、その横には福田が居た。福田はぼんやりとミカの青白い顔を見つめていた。

「レイナは?」とミカは渇いた唇を動かした。

「起きて聞くことが、それか。レイナは無事だよ。元気すぎたぐらいだ。おかげで矯正施設送りさ」

「えっ」

「上のやつらがアイツの歪曲能力を再訓練したがってるんだ。まあ、確かにアイツの力は強くなり過ぎた。前は扇風機みたいなもんだったのにさ。どうしてあんな風になっちまったんだ?」

「急に青空が見たいって言いだして、窓を開けたんだ。その後のことは覚えてないよ。けどその前にレイナ、ヘンなこと言ってた」とミカは目を閉じて言った。

「アイツはいつも変だ」

「そうじゃない。さなえは幹部どもに殺されたんだって」

「だろうな、俺もそう思うよ」と福田はミカの額を撫でた。

「えっ」

「もう本部の仕事はしない。俺は俺自身のために働く事にしたよ。そうじゃなきゃ、どうも寝つきが悪いんだ」

「アキラくん、どうしたの?」とミカは不安げに福田の瞳を覗いた。

「なんでもないさ。知りたいことを知りに行くんだ。ああ、この言葉は、なんだか楠本の思考がうつっちまった感じがする。呪いかもしれないな」と福田は笑う。

「よくわかんないけど、アキラくんがそうしたいなら、そうすべきだよ」

「ああ。だからさ、まずレイナを助けようと思うんだ」と福田はミカの手を握った。「そのためにはミカの力が必要だ」

「えっ」

「ミカはレイナを助けたくないか?」

「助けるって、レイナをどうするの?」

「この施設から脱走させる」

 芦田ミカは言葉もなく、福田アキラを見つめた。

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