第13話
昔の話をしよう。僕がまだあの学園と呼ばれる施設にぶち込まれて間もないころの話だ。
あの学園では、通常の意味での学業はなかった。それはもう話したことだ。では、何を学ぶのだろうかと思うはずだ。僕もそうだった。なぜここは学園と呼ばれているのだろうか、と。
簡単だ。歪曲能力の制御と、行使。それらを学ぶのだ。いかにして、世界の敵である『歪み』を倒すのか。この学園で学ぶべきことはそれしかない。それだから、『歪み』の前では意味のなさない僕にとって、この学園はただの自由な監獄に過ぎなかった。
僕はその事実を転校初日に知った。僕と同じような状況にある少年少女たちはどう過ごしているかと言えば、ひたすら趣味に没頭しているようだった。これと言って、趣味を待たない僕は学校に行った。習慣がそうさせたのだ。
そこで一人の少女に出会った。そう、前島さなえだ。
彼女は制服で登校した僕を非常に面白がった。僕としては着る服がそれしかなかったから着ていっただけなのだが。
僕はとにかく彼女の興味を引いた。僕も妙なところに笑った彼女に興味を持った。そういうわけで、その日から僕と彼女は友人になった。とくに考えることもなく、自然に話せるようになっていたのだ。
そんな彼女には学園を案内してもらったことがある。転校して五日目のことだ。今日は任務がないから午後から暇なんだ、と彼女は言った。だから僕は散歩でもしないかと誘ったのだった。
「散歩? ここでかい? 見るものなんてないよ」と彼女は笑った。
「そうかな。僕はさ、ここほど妙なところはないと思ってるんだ。歩くたびに景色が変わってる気がする。目覚めるたびに建物が増えてる気もするんだ。しかも用途不明な建物がね」
「それは言いすぎだ」と前島さんはくすりと笑みをこぼした。「でも、制服くんがそう感じるのは分かるかも。だってまだ三日目でしょ。うん。じゃあ、学園内ツアーでもしてあげようかな。それが、この学園の大先輩である私の喫緊の責務と見た」
「そうしてくれるとうれしいね」
「じゃあ、行こうか。まずはこの校舎からだね」と前島さんは嬉々とした様子で立ち上がり、僕の手を引いた。僕はなされるがまま、前島さんに付いて行った。
それから僕らは校舎を回った。教室棟は三階建て。そのほかに体育館と屋内プールがある。グラウンドはない。前島さん的豆知識によると、明らかに教室棟内にある机の数と学園の生徒数は一致しないようだ。
「たとえば、何かの気まぐれで全生徒がこの校舎にやってきたとしても、その九割くらいは机に座ることができないんだ。私の個人的な調査によるとね」
「へえ、じゃあその机に座ってる僕らはかなりのエリートってことなんだ」
「まあ、そうとも取れるな」と前島さんはにんまりと笑う。
校舎を後にした僕らは、白い石畳の上を歩いていた。
「基本的に、道はこんな石畳でできてる。石畳の外は、見ての通り、芝生だ」
「けっこう、道幅が広いけど車とかは通るの?」
「通らない。まあ、必要ないからね。飛べる人は飛べるし、飛ばされるときは飛ばされる。急ぐこともそんなにない」
「でもさ、急病人とかが出たらどうなるの?」と僕はいまだに僕の手を引き続けている前島さんに聞いた。
「初々しい質問。腕時計をしてるでしょ?」と前島さんは僕の右手首を見る。
「うん」
「それが制服くんの健康状態を常に管理室に送ってるの。もしも、君に致命的な何かあったら管理室が病院まですぐに、一瞬で送ってくれるよ。まあ、たいていは自治会のやつらがのこのこやってきて、人力で運んでくれたりするけどね」
「へえ、知らなかったな」と僕は腕時計をまじまじと見た。
「ついでに、その時計は歪曲能力の使用記録も管理室に送ってる。いつどこで歪曲能力を使ったのかはまあ、筒抜けなんだ」
「へえ、なんでそんなのも管理するんだ?」
「なんでって、うん、そうだな、それこそがここの学園の意義そのものだからだよ。歪曲能力の管理と制御ってやつだ。昨日の自治会ガイダンスで聞かなかったかい?」
「うん。聞いた気もするね」
「寝てたんだろ」と前島さんは笑う。
「まあ、朝早かったからさ」と僕も笑った。
道を進むと僕らはコンビニを見つけた。見知ったコンビニだった。店員も見知った制服を着ていた。その辺りには他にもファーストフード店やら、牛丼屋やら、服屋やらなにやらが混在していた。銀行のATMまであった。
「まあ、見ての通りここが商業地区だ。お金があれば、いつでも利用できる。服が欲しければここで買うといいよ」と前島さんはまばらにいる道を歩く生徒たちを眺めながら言った。
「お金はないからね。支給品で我慢するしかないんだ」
「まあ、転校したばっかりだとそうだな。たぶん週末ごろにはお金も支給されるから、その時買えばいい」
「へえ、耳よりな情報だな。どうやってお金が降ってくるんだ?」
「最初は寮監が手渡しで支給してくれるよ。働いてなくてももらえる。働いてればもっと貰える。そういうお金さ。それにしても、今日は日が照ってるね。ちょっとアイスでも食べようよ。あそこのアイスクリーム屋さんはまあまあなんだ。食べても損はないよ。もちろん、私のおごりさ。どうかな?」
「どうかなって、おごってくれるなら嬉しいよ」
「そうか。じゃあ行こう」と前島さんは笑顔で言い、僕の手を引いてその店まで連れて行ってくれた。そこで僕は抹茶を食べ、彼女はチョコミントを食べた。食べている時彼女は終始笑顔であった。僕はそのことをよく覚えている。
それから僕らは白い石畳をのんびり歩いて、いくつかの十字路を気まぐれにやり過ごしてから、低層ビル群が佇む地区に足を踏み入れた。真っ白な、表札もない看板もない三、四階程度のビルが僕らの左右にあった。
「ここは?」と僕は心細げに聞いた。
「ここは、そうだな。機密事項かもしれないが、まあいいか。ここはね、研究地区。日々歪曲能力と『歪み』を研究してるのさ。この学園には実験体、観察対象は多くいるからね、やることもいっぱいあるわけだから、こうやって結構な施設数がある。まあ、君がここに呼ばれるのはまだ先の話かな」
「できれば一生呼ばれたくないね」
「そうともいかない。私ですら、なんだかんだって言ってけっこう呼ばれてるからね」
「へえ、なにされたの?」と僕は横に立つ前島さんを見た。
「脳波を見られたり、採血されたり、機械の中に入らされたり、いろいろだよ。不快なものは、まあなかったかな。安心していい」
「ふうん」と僕は言って、左右に広がるビルを見た。たいていの窓にはカーテンか、ブラインドがしてあった。中の様子をうかがわせる気は、あまりないらしかった。
「ま、君が呼び出されたら、私も付いて行ってあげるよ。心強いだろ?」
「うん。よろしく」と僕は言った。
「素直だな、制服くんは」と前島さんはくすくすと笑った。
夕暮れの中、手をつないだ僕らが不気味なビル群を通り抜けると、窓のない立方体の建物が前方に立ち現われてきた。離れていてもその巨大さは理解できるほどだった。
「なにあれ?」とその孤立する建築物を指さして、僕は思わず聞いていた。
「あれか。まあ、ただ見てすぎろとしか言えないな」と前島さんは立ち止まった。
「え、どういうこと?」
「監獄さ。悪いことした場合、一時的にあそこに収容されるんだ。その違反の度合いによって、いろんなところに移送される。正直、あそこから帰ってきた人間を今まで見たことがないね」と彼女は笑みを消して、言った。
「へえ。じゃあさ、僕があそこに呼び出されたら、付いてきてくれる?」
「あそこに見える入口の前、まではね」と前島さんはシニカルに笑った。それはとても彼女に似合った笑い方だと僕は思った。
その夜、腕時計をつけていない僕は、その窓のない監獄の前に立っていた。別段、呼び出されたわけでもない。だからか、隣には彼女はいなかった。僕はポケットに両手をつっこんで、そのゲートをくぐった。警報は鳴ることもなかった。悠長な話だ。僕はこの学園を終わらせる気だったのだ。
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