第4話

 路地裏を出た先にあった予備校は、五階建てのビルだった。僕らは何食わぬ顔でその校舎に入った。受付の若い女性は僕らに会釈をした。前島さんは素知らぬ顔で、受付を通り過ぎて行った。僕もその後を付いていく。前島さんはエレベーターの前に立った。

「四階の教室が目標だ」と前島さんはエレベーターのボタンを押した。

「怪しまれないかな」と僕は前島さんの横で聞いた。

「堂々としていれば大丈夫だよ」と彼女は笑った。

「なるほど」

 僕らはエレベーターに乗り、四階へと上がった。そのフロアには三つの教室があった。

「Bの教室だ」と前島さんは呟いた。それから腕時計を見た。「午後三時三十分。任務を遂行する」

 僕らは教室に入った。中には一人の男が居た。その男は黒板を背にして立っていた。前島さんは立ち止まって、その男を凝視した。

「ドアを閉めろ」と男は言った。「いや、いい。俺がやる」

 僕の背後でドアが閉まった。かちりと鍵が閉まった音がした。

「こんにちわ、諸君」と男は教卓に両手をつけて言った。

「あれが、『歪み』?」と僕は呆然としている前島さんに聞いていた。

「いや、あれは」

「こんにちわ、諸君。いい加減、机に座れよ。ここは教室なんだぞ」

「アナタ、だれ?」と前島さんは険しい顔つきで言った。

「俺は講師だ。今日は一つ君たち、ひよっこどもに世界の真理を授けてやろうと思って、やってきた」

「アナタ、正統派?」と前島さんはこぶしを固めながら言った。

「おっと、よせ。ここで能力を使うな。殺すぞ」と男は笑って片手をあげ、僕らを制した。

「すぐ、助けが来る。無駄なことはやめてアナタは消えたほうがいい」

「強がるなよ。まあ、お前の言うことは正しい。正鵠を射た意見だ。だが、俺も歪曲者だということ覚えといてくれないか?」と男は教卓から離れ、黒板に文字を書き始めた。その間僕らは、一切身動きができなかった。動けば死ぬかもしれなかった。

 背中で長髪を一つに束ねた男は黒板に二文字の漢字を書いた。

 真理。

「だが、俺は歪曲者という言葉が嫌いだ。そう思わないか?」と男は言って手に着いたチョークの粉を払った。

「どうして?」と僕は聞いていた。男は目を細めて、僕を見た。

「俺たちが間違ってるんだ、という印象を与えるからだよ。この言葉で俺たちを束ねた奴らは、自分たちが正しいと思ってるんだ。滑稽、極まりない。俺たちからすれば、奴らが間違ってるんだ。この能力は決して、現実を屈折させ、事象を歪曲させるものではない。断じてない。むしろ、現実を暴露するんだ。この能力こそが真の認識を完成させる。人間が幻想から脱出するための能力なのだ。これこそが真理である。奴らはそれを知っていて隠している。どうしてかわかるかな?」と男は僕を見て聞いてきた。

「わからない」

「よろしい。教えてあげよう。端的に言えば、みみっちい国益のためだよ。俺たちは戦力になる、クリーンなエネルギーになる、金になる。その代償としては、『歪み』の被害位だ。それが他の国にも、もたらされてしまったらどうなるか。言わずもがなだ。利益が減ってしまう。だから、政府は俺たちを全世界に派遣する。表向きは『歪み』の駆除だが、実際は他の国の歪曲者たちを殺すためだ。こうして、政府はこの能力に関する主導権を握り続けることができる。利益は守られ、国は繁栄する。分かったかな?」

 僕らは押し黙ったままだった。

「よろしい。さて今のままであると、俺たちは抑圧された状態で生き続けなければならない。お前たちだって、日々そう感じてるだろう。年頃の青春を奪われてしまってるのだから。そして、その先の人生も決まってる。そこの女、薄々勘付いてはいないか? どうして年老いた歪曲者が少ないのか、考えてみたこともあるだろう? なぜ歪曲者が早死にするのかは? なぜ任務が徐々に困難なものになっていくかは、考えてみたか? そうだ。俺たちは、政府によって計画的に葬られてるんだ」

「違うっ」と前島さんは鋭く叫んだ。それから、手も触れずに周囲の机を吹き飛ばした。

「おい、だからここで能力を使うなと言っただろう」と男はため息をつき、首を振った。「悪い子だな。ペナルティだ。床に倒れろ」

 前島さんは膝から崩れ落ちた。

「動くな」と男は言った。前島さんに近寄ろうとした僕は動けなくなった。

「ここはもう俺の空間なんだ。ここでは俺が教師だ。俺の指示に従わないとならない。分かったか?」

 前島さんは床に倒れこんだままピクリとも動かなかった。僕は口も動かすことができなかった。

「よろしい。今日来たのは、君たちひよっこに真理を授けるためでもあった。もう一つ用事がある。福屋アキラ、お前を捕まえに来た」と言って男は教壇から離れ、僕の方へと一歩一歩近づいてきた。

「お前は、今から三か月間の未来を知らないと言っているようだが」と男は僕の目の前に立った。「それはウソだ。反論はあるか?」

「僕は死んだことしか覚えてない」と僕は言うことができた。

「なぜ死んだかは覚えてるのだろう?」

「覚えてる」と僕は言った。

「なら、どうして学校に行ったんだ?」と男は皮肉めいた笑みを浮かべた。

「お前に、それを言う必要はあるか?」と僕は男を睨んだ。

「やっぱりな。お前はすべてを知ってるんだ。連れて帰らなきゃならない」そう言って、男は僕の肩を握ろうとした。

 その時にドアが開いた。

「よう、西沢」と聞き覚えのある声がした。同時に僕の前にいたポニーテールの男が、黒板の方へと吹き飛ばされた。その西沢と呼ばれた男は黒板にたたきつけられ、ずり落ちた。

「久しぶりだな」と僕は肩をたたかれた。「一週間ぶりか?」

 僕はその声の主を見た。笹倉だった。

「笹倉、さん?」と前島さんは起き上がりながら言った。

「よう、前島。演技している最中のあいつに返事しちゃいけない。とにかく先手必勝だ。平静でいられなくしろ。覚えておきな。あいつの能力は強力だが、その分制限も強い」

「ささくらぁっ……!」と背中で黒板にひびを入れた男は立ち上がって、僕の横に立つ笹倉を睨んだ。

「しぶといな。さすが正統派の幹部だけある」と言って、笹倉は空いている方の手で何かを持ち上げる仕草をした。その動作と同期して、西沢は宙に浮いて行った。

「てめえ、どうやってここに」と西沢は自身が浮いていることも気にせずに言った。

「お前に、それを言う必要はあるか?」と笹倉はにやけた。

「くっそ、やろうがっ。殺す」と天井すれすれにいる西沢は叫んだ。

「お前、それ、何回言ったんだ?」と笹倉は嘲笑って、腕を振り下ろした。西沢は床にたたきつけられた。鈍く大きな音がした。骨が折れる音だった。西沢は動かなくなった。

「死んだの?」と僕は誰に言うのでもなく、呟いていた。

「どうだろうな? どっちでも構わないが」そう言って笹倉はもう一度腕をあげて、西沢を浮かした。西沢から血が垂れ落ちた。うめき声がした。

「……俺が、真理だ。お前らは偽物だ。いいか、語り部どもに伝えておけ。お前たちの思うようにはさせないってな」

「遺言はそれだけか?」

「はっ。くたばれ、クソ犬が」と西沢は怒鳴り、それから狂ったように笑った。

 笹倉は再度、腕を振り下ろした。今度は音がなかった。

 西沢は消えていた。

「チッ。逃げやがったか」と笹倉は苛立たしげに言った。

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