第3話
当日の午後、僕は制服姿で女子寮の前に立っていた。彼女がそうするようにと指示したのだった。
女子寮の出入り口はガラス張りで中をうかがうことができた。何人かの少女たちがロビーのソファに座って、歓談していた。はたから見ればそこらの学校の女子寮と変わりがない。人はどんな状況でもうまく適応するのだ。
僕は転校初日に支給された腕時計を確認する。午後三時ちょうどだ。
その数分後に彼女はロビーに姿を現した。玄関の外にいる僕を見つけて、ニコリと笑った。
「やあ、今日はよろしくね」と彼女はガラス戸を開けて出てきた。
「こちらこそ」と僕は言った。「君も制服で行くんだ」
「私服よりもこっちの方が目立ちにくい場所に行くのさ。けど、学校じゃない」
「じゃあ塾?」
「正解。大手の予備校」
「どうやって行くの?」
「まず、門まで行く。話はそれからだね」と彼女は言って、歩き出した。
僕は彼女の後ろを付いていく。彼女は昔ながらのセーラー服を着ていた。どこの学校の制服かはわからなかったが、なんとなく見覚えがあるようなデザインだった。
「それって、君が通ってたところの制服?」
「うん? いや、支給されたものだよ。服装指定があるときは、政府から送られてくるんだ。制服くんはその服でいいって指示されてたからさ、今回はなにも来なかったんだろう」
「なるほど。政府はどうしても僕らを隠したいんだ」
「そうだね。いろいろあるんだろう。私もよく知らないけど」
「なるほど」と僕は足を止めた。
僕らは壁の前に立っていた。ドアが一つもない壁だった。その横には警備室があった。彼女はその窓口に行った。僕もその後ろを付いていく。窓口には背広を着こんだ男が座っていた。その男は感情のない目つきで僕らを見ていた。
「任務に出るので、外出許可をもらいたいのですが」と彼女は笑顔で言った。
「名前は?」と男は言って、机の上にあるパソコンを操作し始めた。
「前島さなえ」と彼女は言って僕を見た。
「福屋アキラ」と僕は応えた。
「既定の服を着用しているか?」と男は平たんな声で言った。
「はい」と僕らは応えた。
「十分後に転送する」と男は僕らを見ずに言った。
「わかりました」と前島さんは笑顔で言って、窓口から離れていった。男はパソコンを操作し続けている。話は終わったようだった。
僕は彼女のところに行った。彼女は灰色の壁に背をつけて、ぼんやりと空を見ていた。五月晴れの青空だった。
「転送ってどうやるの?」と僕は彼女の横に行って、聞いた。
「ぴゅうんって飛ぶのさ。誰かの歪曲だよ。噂だと、この学園のどこかにあるコアってやつがそういうシステムを担ってるようだ。これは秘密なんだけどね。とにかく、そのおかげで指定された場所に直行できる」
「なるほど。便利だね」
「たまには電車とか乗りたくなるよ。福屋くんは最近まで電車とかバスとかに乗れてたんだろ。うらやましいよ、ほんと」と彼女はため息をついた。
「前島さんって、ここにいるの結構長いの?」
「まあね。十年はいる」
「なるほど。ベテランだ」
「十年もこもってるとね、やっぱり旅に出たくなる」
「みんなで革命を起こせばいい。大脱走だ」と僕は言った。
「できたらそうしてるだろうな。けど君は何もできないだろ」と彼女は笑った。
「うん。見てるだけになるね」
「いやね、ここだけの話なんだけど、実はさ、君、結構疑われてるんだよ」と彼女は僕をまじまじと見てきた。
「誰に?」
「政府にさ。君の、その何も出来なさってのがどうもおかしいんだ。普通は何らかの屈折を作れるものなんだからね。一回きりの歪曲能力なんて今までなかった。君は、その、生き返ったって主張してるんだろ? しかも三か月後に死んで、戻ってきたんだって」
「そうだよ」
「しかも、しかもだよ、君はその死んだ記憶しかないんだろ? その死ぬまでの三か月間の記憶がすっぽり抜けてるって言うんだろ?」
「うん。それしか覚えてないんだ。僕はたしかに三か月後の八月二十五日に死んだ。けどそれまで何やってたのかは全く覚えてないんだ。この話、最初会った時にしたはずだよ」
「ああ、けどそれって信じられないよ。死んだ日付まで覚えてるのに、ほかのことは忘れてるなんて、妙なことだとは思わないかい?」
「思うよ。けど、僕は死んだんだ。そして生まれ変わった。これは事実だ」
「ああ、そこもおかしいんだ。死を覆すほどの歪曲能力は、まだ存在してないんだよ。いや存在できないみたいなんだ。通説上はね。……ふうむ。まあ、なんにせよ『歪み』を一緒に見てから考えよう。今日、こうやって二人で任務に行くことができたのは、君を観察するためでもあるらしいからね」と彼女はくすりと笑った。
「それって、僕に言ってもいいことなのか?」
「秘密にしとけって言われたけど、君とは仲良くしたいからさ。唯一のクラスメートに隠し事なんてしたくないんだ」
「なるほど」
「空っぽの教室ほどさびしいものはないんだよ」と前島さんは微かに笑って空を見た。
「なるほど」と僕も空を見上げた。
僕は流れていく雲を眺めながら、右手首にはめられた腕時計のことを思った。
腕時計。
これはただの腕時計ではなかった。僕らをここに縛り付けるための鎖でもあった。脱走を企て許可なくここから外に出たとき、僕らはこの腕時計によって眠らされることになる。腕時計には麻酔針が装備されているのだ。たまに、その麻酔すら効かない人間もいたらしい。しかし彼らも必ず捕まったようだ。腕時計は位置情報を常時政府に送っている。腕時計をしている限り、僕らは政府から逃れることは出来ない。
「やっぱり、これって外れないんだね。緩めることは出来るんだけど」と僕は腕時計を掲げながら言った。
「まあね。噂によると、それも歪曲能力が関わっているらしい。よっぽどのことでなきゃ、外せないようだよ」
「なるほど」と僕が呟くと、腕時計から電子音が鳴りだした。前島さんの腕時計からもその音が出てきていた。
「時間だね」と前島さんは腕時計を見て笑った。
「どうなるの?」
「目の前が真っ暗になる。勝負に負けた時の主人公みたいにね」
「なるほど」
それからほどなくして、本当に目の前が真っ暗になった。音もしなかった。平衡感覚もなかった。
笹倉と飛んだ時と似たような気分だった。だが、死に方がもっと虚ろだった。
「着いたよ」と隣で声がした。僕は知らぬうちに目を瞑っていたようだった。目を開けると、僕は路地裏にいた。
「さあ、こっちだ。通りに出よう。所定の時間までには予備校内に居ないといけないんだ」
「なるほど」と僕はうなずいて、前島さんの後を追った。都会の臭いが鼻を衝いていた。
こうして僕は外に戻ってきたのだった。
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