第27話

 ざらついた道だった。蝉の鳴き声と我々の足音が夏の音を奏でていた。日射しは林の屋根に遮られていた。涼しかった。ときおりさわやかな風が僕の鼻腔を突き抜けて行った。老人は歩き続けている。僕は黙ってその後をついていく。

 林の先が見えるようになると、一つの白い建物があった。その方向から一人の人間がやってきた。真っ白い背広を着こんだ男だった。ネクタイも白かった。近づくにつれて、その男には毛がないことが分かった。産毛すら生えて無さそうだった。背は我々を見下ろせるほどの高さであった。彼は我々の前に立ちはだかった。

「ドクターが研究室で待っている」と男は言った。

「はて、ドクターとはだれかね?」

「この研究所の長だ」

「なんて名前だ?」

「自分で訊け。付いて来い」と頭髪のない男は歩き出した。

 老人は僕の方へと振り向いて、口を歪めるようにして笑った。

「おもしろいじゃないか、あの人間」

「どういうことですかね?」

「アイツはただの人間ではないってことだ。存在の在り方が異質だ」

「存在の在り方?」と僕は繰り返した。

「いやはや、こうも変わるとはな。おもしろいじゃないか。非常におもしろいぞ」と老人は嬉々とした声で言って、男の後を追った。僕は首を傾げながらも、彼らの後をゆっくりと付いて行った。

 建物の玄関には一人の男が立っていた。壮年で、白髪が多い男だった。その男は嬉しそうな表情で我々を迎えた。

「あー、あのー、ええっと、どちらが『Q』様かな」とメガネをかけた男は白い背広に訊いた。

「老いている方です。ドクター、部屋で待機していてくださいと言ったはずですが」とスキンヘッドの男はたしなめるように言った。ドクターと呼ばれている男はその言葉に反応することもなく、足早に老人の方へと近寄った。

「あなたが『Q』ですか?」とドクターは目をきらめかせて言った。

「そうだ」

「ほおー」とドクターは嘆息した。「お会い出来て、非常に光栄です。ええ、本当に。資料では伺っていたのですが実際に会うという機会を得れて、ああ、誠に嬉しいです。いや、本当に」

「そうか。今日は君たちがどこまで成長したのか見たくてね、久々に来たのだが、見せてくれるかね」

「いやあ、見せられるほどのものはありませんが、いえ、しかしすべてを見せましょう。むしろ見せなきゃらならない。我々の研究をもう一歩踏み越えるためにも貴方の助言が必要なんです、ええ、本当に」

「そうか。何から見せてくれるのかね? それとももう見せてくれているのか?」と老人は意味ありげに白い男を見た。

「え、いや、彼はそうですね、まあ一種の特例です。僕たちの範囲じゃない。あくまで偶然の産物なんです。ええ、どちらかというと、この研究所はそうですね、基礎研究に力を入れてるんです。そもそもの話からなんですね、ここは。応用は別のところで大きくやってるんです。ああ、ええっと、もしかしたら今日は応用技術を見に来たのですか?」

「どちらでもよい。だが、武器になるものがあるなら、なお良いだけだ」

「武器?」とメガネのドクターは不思議そうに老人を見た。「貴方に武器が必要なんですか? 資料ではそうじゃないように見受けられたのですが」

「いやこの坊主が必要なんだ」と老人は僕を指した。二人はやっとまともに僕を見た。

「彼が?」とドクターは観察するように僕を見つめた。

「そうだ。影を倒したいそうだ」

「ほおー、影が見られると。いわゆる、歪曲者でもない?」とドクターは僕に言った。

「歪曲者なんでしょう。けど、戦えるほどじゃないんです」

「ほほおー、戦えない能力ですか。いやいや、彼らもいろいろ作ってますからね。不思議ではないですが、つまり武器が必要になるということは、野良だということですか。通常なら施設で保護されてるはずですからね。そうなると政治的な交渉も必要になるのかな、僕には判断できないけど」

「いろいろあるんだ。とにかくこいつが使える武器があればいい、もしくはその場所を教えてくれるなら取りに行こう」

「いえいえ、ご足労には及びません。使える武器ですか、ふうむ、いやまあ、適当に取り寄せておきましょう。うん、じゃあそうだ、なあ頼んだよ。ベーシックを一通り持って来てくれ。ここにも保管してるだろ、あのシリーズなら」とドクターは丸坊主の男に言った。

「ドクター、武器の譲渡は非常にナイーヴな問題です。この二人を信用できるのかどうか定かでないときに、武器を渡すべきではないと思いますが」

「構うな。いいから持ってきてくれ。僕は今から彼らに研究を見せる。その間に用意しておけ」

「ドクター、」と白い男は言いかけたが、ドクターの手の震えに気が付いたのか、何も言わずに背を向けてどこかへと去って行った。ドクターはため息をついた。

「ああ、いや、彼の言ってることは正しいんですよね。まだ僕は貴方たちをよく知らない。けどね、貴方の言うことなら、なんでも信頼しますよ、Q」とドクターは老人に笑いかけた。

「わたしもキミを知らないのだがね」と老人はにんまりと笑った。

「ええ、僕はそうですね、間山さん世代じゃない。ちょうどその後の世代なんです。貴方がここを去った後に入った世代です。ある程度の土台とつながりができてた時に、僕はこの研究所に入りました。ええ、もし何もない所からこの世界に入ったと考えたら、ゾッとしますね。怖いです。非常に怖いです。自分の正気を疑っていたかもしれない。ふふふ、いやあ、まあ今も疑うことがよくありますがね。ええ、本当に。けど、貴方に会えたら話が違ってくる。すべてが事実になってしまうんです」とドクターは老人を見つめた。

「事実とは常にほこりをかぶってるものだ。誰もが見るが、手に取るものは少ない」と老人は言った。「ここは暑いな。さあ、君の話を聞かせてくれ、ドクター」

「ええ、ありがとうございます。この二十年の答え合わせをしたいんです、さてさて、部屋に行きましょう」とドクターは言って建物の中へと我々を導いた。

 ドクターの部屋は、一階の隅にあった。

「ここに来た時から、この部屋なんです。みんな上にある広い部屋を使えって言うんですけどね、どうも愛着があって」と言いながら彼は緑色のドアを開けた。

 その部屋には机と本棚があった。むしろそれしかなかった。窓にはブラインドが掛かっていた。蛍光灯がすべての明かりだった。ほこりとコーヒーの香りが漂っていた。我々は片隅に設置されていた来客用ソファに座った。本棚を見ると、背表紙はたいてい英語だった。数学、物理の専門誌が並んでいるのが分かった。僕に分かるのは、ここは理系の研究室だということだけだった。ドクターは机の上のパソコンを少しいじっていた。クリック音が幾度か響いた後に、プリンターが動き出した。そこから吐き出された紙の束を手にして、ドクターは我々の前に座った。

「ここでの仕事、つまり僕がこの研究所でやるべきことは、影の解析です。影ってのは一般的な総称なんですけどね、僕らももっと正確な名前を付けようとしているんですけど、なかなか難しい。常に形が一定じゃないんですよ、あの影はね」とドクターは僕を見た。

「猫の形をとるのもいるらしいですよ」と僕は肯いておいた。

「そう。多様な形をとることができるんです、彼らは。だが、何らかの形を持っているということです。その点では影ではない。実体で、目に見える、そして手で触れられる存在なんですよ。つまり彼らはこの世界の物質でできている。彼らを生物とみなすべきなのかどうかも今僕らの中ではけっこうホットな話題ですよ。大半は生命という定義で、喧嘩してるようなものですがね」

「彼らは生きてるんですか?」と僕は訊いていた。

「生きている、をどのように定義するかですね。観測した限り彼らはある意味では増殖をし、代謝もしてる。この点では明らかに彼らは生きている、と僕は思っています。だけど、僕らと同じ祖先をもっているとは思えない。僕らと同じくタンパク質やら何やらで構成されている影と同時に、ほぼ無機物で構成されている影も見つけられているんですよ。岩であったり、水であったり、この前なんてタクシーの形をした影なんてものも観測されてましたよ」とドクターは笑った。

「タクシー?」と僕は口を開けた。

「えぇ、手を上げたら止まるんですね、普通のタクシーみたいに。でも、中は無人なんです。運転手さんも誰もいない。あ、ラジオは流れてたみたいですよ。で、不審に思って出ようとするとドアが開かない。そのまま食べられちゃうってわけですね。なかなか考えてますよね、これって」

「なんだか、妖怪みたいですね」

「いい視点ですね」とドクターは朗らかに笑った。「そういう方面の研究も実はここでやってるんですよ。古来からの妖怪やらなにやらの類は実は影だったのではないかっていうテーマでね。なかなか面白いんですが、応用性がない。上からは半分道楽みたいなものだって言われてますけどね。でもね僕思うんですよ、案外そういうところから真理って出てくるんじゃないかなって。発見ってのはいつだって思いもしないところから出てきますからね。手広くやっておくことは損にならない。だからウチではけっこう自由に研究させてるんですよ。ほとんどオカルトみたいな研究もありますけどね。黒魔術がどうのこうのって。僕はまあ、当人に任せてます。毎月の報告会で聴く分は面白いんですけどね」

「ここって結構人いるんですか?」

「ええっと、まあ八十人くらいいるかな。事務員、研究員とか合わせたら。ウチの会社規模の研究所としては比較的小規模かもしれませんね。そもそも影に興味を持つ人間は少ないのと、影というのはウチの会社でも特秘扱いなんで入ってこれる人間も絞られてくるわけなので、まあ必然的に少数精鋭ってなるわけです。あ、そうですね、どうですか? 君もウチに入ってみませんか? 技術と訓練なしで影を見られるだけでも貴重なんです。即戦力になると思うなあ。僕もちょっとやってほしいこともあるし」とドクターは微笑みを浮かべたまま僕を見た。

「どうですかね、僕にもやるべきことがあるんで、むずかしいと思います」

「へえ、残念だな。まあ、暇になったら連絡くださいね。えっと、じゃあ本題に入りますかね。まあ、ちょっとした仮説をお聞きしてもらいたいんです」とドクターは老人を見つめた。

「どういった方向性の仮説かね」と老人は静かに言った。

「そうですね、うーん、簡単に言えればいいんですけどねぇ、いわゆる意志ってやつかな、うん、影の意志についてですね、僕の仮説が語っていることは」

「影の意志か。おもしろい言い方だな」

「哲学に行っちゃいそうなんですよね、意志って言葉になると。ニーチェとかハイデッカーとかその辺の時代の。まあ、そういうわけじゃないんですよ。もっとね、簡単な話なんです。データを見て率直に分かったことを仮説にしたわけですね。その結論が、影とは模倣する存在であるということです」

「模倣?」と僕は口を挟んでいた。

「この資料は、」とドクターは紙束を指して言った。「影の出現場所とその形態の連関を示したデータです。人口密度の大きい所では人型になりやすく、そうでないところでは不定形になる。森の中では植物に似た形を取り、山の上では岩のような形になる。そういう連関がこの二十年間集めてきたデータで分かりました。むしろそれだけしか分からなかったと言うべきかもしれませんね」とドクターは自嘲するように笑った。

「その傾向は目新しいものではないな。間山が世界に目を向け始めたときから分かっていたはずだ」

「そのときには経験として把握していたんです。それをデータで裏付けたわけですね。もっと言えば僕たちはそれを応用しました。影の生成場所を任意に設定して、その形態を操れるまでになったのです」

「それって影を思うがままに生成できるってことなんですか?」と僕は思わず口を開いていた。ドクターは僕に形だけの微笑みをくれた。メガネの奥の瞳は笑っていなかった。

「正確には大雑把な誘導になります。生成するポイントをずらすという技術ですね。これはたぶん、歪曲者たちも知らない技術でしょう。彼らはおそらく生成したことは分かるが、生成していることは分からないはずです。彼らの仕事は、結局生成した後に始まるわけですからね。その大元をどうにかしようという発想はない」

「それは少し甘く見ているな」と老人は言った。その眼は少し笑っていた。

「ええ、もしかしたらそうかもしれません。彼らは影と話せる。それがどれだけ僕らと違うか」と言ってドクターはじっと老人を見つめた。「僕らはある意味、フィールドワークに勤しむ動物学者と同じです。意思疎通ができない相手をただひたすらに観察し、チャンスがあれば状況を設定して仮説を確かめる。僕らには忍耐が必要です。そして、いかなる小さな徴候をも聞き漏らさない耳が必要なんです。僕らは自分の耳と脳みそだけを使います。けど彼らはそうじゃない。彼らは影を使う。だから彼らは、ええ、つまり歪曲者たちは少し大雑把すぎる。影から得たその情報のバイアスを考えていないように見える。それゆえ、ときおり間違った結論を導いていると思うのです。そうじゃありませんか、『Q』?」

 そう言われた老人はにんまりと笑った。

「君は、間山とはまったく違うな。アイツはすべてをすんなりと信じてた。まあ、自分の目的、つまり影の殲滅のためなら細かいことを気にしないような男だったからかもしれんがな。いいだろう、君に興味が湧いた。ドクター、君の仮説を少し詳しく聞きたい」

「ありがとうございます。影は模倣する存在である。この結論をさらに広げていきましょう。僕らの前には、影が人間を襲うという事実がある。そもそもこれがウチの会社の成立理由ですからね。この事実を仮説の中に組込んでいく必要があります。なぜ模倣するだけではなく、人間を襲うのか。簡単な話です。彼らはただ成り変わろうとしているだけなのです。僕らの観測によると、襲われているのは人間だけではありませんでした。近くにいた存在を選ぶこともなく襲う傾向がありました。そうして世界になじんでいく。摂食を繰り返し、初めに食したそのものへとなっていくのです」

「けど、『歪み』が共食いするという事実は? 模倣するだけなら、オリジナルを食べるだけでいいじゃないですか。それに『歪み』は通常と違う形で僕たちを食べます。僕たちの体を食べてるわけじゃない。なんというか、存在そのものを食べられてるんです。僕の持っていたものをはぎ取られるというような、そんな感じなんです。アレはただ奪うだけの存在です。物まねするだけの可愛いようなものじゃない」と僕は口を挟んでいた。ドクターは僕を見据えた。

「君は、まるで影に食べられたようなことがあるように言いますね。それに、共食いのことも知ってる。不思議な人だ。いやいや、まあ、『Q』のそばにいるだけで十分不思議なんですが。しかし、君の言いたいことは分かります。彼らはただ目の前のものを貪り食っているだけなのでは? そして意志というものはなく、ただただ人類の敵に過ぎないのでは? そして僕らがすべきことはひたすらに殲滅することだけではないのか? いわゆる歪曲者たちはこの問いの全てを肯定するでしょう。ここで僕ができる反論を一つしましょう。いえ、ただ問いを返すだけです。では、なぜ人類は影によって絶滅しなかったのか?」

「どういうことですか?」と僕は身を乗り出していた。「いやでも、歪曲者たちのおかげじゃないでしょうか。僕たちが死に過ぎない程度には彼らが頑張っているから、人類は滅びなかった。あるいは影が増殖する速度より、人類の繁栄が勝った。それだけのことなんじゃないんですか?」

「影は、その気になれば一つの都市を一日で消滅させることができます。これは過去に実際有ったことです。そして、歪曲者たちでも消すことができない影も観測されています」とドクターは俯いた。「君の言う通り、影は僕らと同じような食事はしません。彼らが食しているのは、情報そのものなんだと僕らは仮定しています。人によっては存在だどうだと言ったほうがわかりやすいかもしれません。彼らは僕らがどうやって構成されているかを知りたがっているのです。どうやって細胞と細胞がつながっているのか。神経はどこまで張り巡らされているのか。そう言った情報をあの食べるというような動作で摂取しているのです。ここになぜ共食いをするのか、という疑問への答えがあります。模倣のために足りない情報を得るためです」

「それってどういうことなんですか? 一つの個体をそのまま丸呑みしてしまえば、その種の情報なんて簡単に手に入れられるじゃないですか」

「共食いは、人型の影でしか見られない現象です」とドクターは俯いたまま言った。「この事実は非常に興味深いものでした。なぜ、人型は共食いをするのか。僕にとってこの事実ほど不可思議なものはなかった。だが、資料で見た貴方の発言のおかげでひらめきました。『Q』、貴方は言いました。影は自我を欲していると」

 ここでドクターは顔を上げて、老人を見つめた。

「それが答えなんです。得られない自我を得るために、模倣する自我を知るために、彼らはある一定の情報量に達した同類を食べるんです。そういうことじゃないんですか、『Q』?」

 ドクターの目をまともに見返す老人の顔は、笑っていなかった。

「君の仮説は、非常におもしろいな。影とは模倣する存在である。覚えておこう」

 それから彼らは見つめあったまま、もはや語ることはなかった。クーラーの起動音がやけに響いていた。

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