第44話
霧が森の底を這うように広がっていた。深谷ニノを背負う福屋アキラはその白い霧を見て、眉をひそめた。
「芦田さん、あの霧には触れないようにしないといけないよ」
「え?」
芦田は東の方から迫ってくる霧を見て、身震いした。霧自体が歪曲だった。それはただ広がっているだけではなかった。すべてを自分のモノにしようとしていた。すでに奥にあった木々はモヤとなっていた。
「おそらくアレに触れれば死ぬだろう。『存在』を取り込まれる」
「あれだけの歪み、どうなってるの?」
「向こうで誰かが枷を外したんだろう」
「枷…?」
「ぼくらは存在を対価に歪曲を使っている。知らなかった?」
福屋は芦田を見た。芦田は首を横に振る。
「知らない、そんなこと。存在ってなに?」
「質量とエネルギーは等価らしい。物理の話ね。これ、あそこの動画授業で聞いたんだけど。そう言えば芦田さん、あそこの学校行ったことある? 『学園』のさ」
「え、ないけど」
「そうか。前島さんは寂しがってたよ。教室に誰も居ないって。だから僕を気に入ったんだろうな。もしかしたら僕以外でも良かったかもね。そう、深谷くんとかでも」と福屋は背中で気を失っている深谷を見やる。芦田は不安そうにその横顔を見つめた。
「さなえは、きっと福屋くんだから嬉しかったんだと思う。君が居なくなったあともよく君の話してたよ。いろいろお話してたんでしょ?」
「うん、そうだ。僕らも四六時中真面目に授業を受けてたわけじゃない。息抜きにいろいろ話をした。外の話、高校がどういうところか、いま同世代のみんなが何にはまってるか。ラインで何を話すのか。ツイッターで何を呟いてるのか。そういう小さな日常のことさ。それでときおり真面目な話になった。存在についてとかだ。おっと、ずいぶん迫ってきたね」
霧が二人の近くまで来ていた。もうその奥は白くなっており見通すことが出来ない。福屋は霧のほうへ右手を伸ばした。
「ええっと、『はらえ、古龍の羽ばたきがごとく』」
そう言うと突風が巻き起こった。それに煽られて芦田は思わず目をつむる。次に見たものは裸の大地だった。霧があったところの木々はすでに消失していた。芦田は目を丸くして驚き、すでにログハウスの方へ歩き出している福屋を見た。
「それ、レイナの……?」
「え? ああ、そうだよ。友瀬のやつさ。アイツ、龍って言ったらドラゴンだって言うんだ。僕はあのヘビみたいなやつだよ。ツバサなんてないやつ。まあ、ひとそれぞれなんだろうけどね」
「どうして使えるの?」と少し声を大きくして芦田は尋ねた。
「アイツが僕に使ってきたから。ああ、そうか。そういえばまだ紹介してなかったね。出てきていいよ」
福屋は芦田の足元を見る。それにつられて芦田は視線を地面に落とす。黒猫が芦田に寄り添うようにして歩いていた。驚いた声を出して、その猫から少し身を離した。黒猫は不思議そうに顔を上げた。芦田を見てから、ふたたび芦田の足元に寄った。そして自分の頭を芦田の足首あたりに擦り付ける。
「ずいぶんと懐いてるな」
「この猫、いつから居たの?」
「ずっといたよ。ああ、僕が来てからね。そいつが僕の相棒。名前はまだ無い。たぶんこれからも無いだろう」
「これ、『歪み』?」と芦田は足にまとわりつく猫に触れようとしながら言った。
「どうなんだろう。『歪み』なんだろうな、結局。そいつは僕の存在を喰ってそういうふうに動いている。それは確かだ」
芦田は黒猫の頭を撫でる。猫は抵抗しない。暖かな額だった。毛並みもよく健康的な猫だ。撫でられていた猫は一つ鳴いたあと芦田から離れた。それから二人の先を歩いていく。
「アイツの能力なんだ。ほかの歪曲を映すっていう感じかな。だから友瀬のやつも使えるし、さっきの木の奴だって使える」
「それって、わたしのも?」
立ち止まって芦田ミカは福屋を見る。福屋は深谷を背負い直しながら、振り返った。
「どうかな。キミは向き合ってないだろう? その植えつけられたそいつとは」
「……、どこまで知ってるの?」
「キミがあそこで生まれたってことくらいだ。さあ行こう。あの友瀬が苦戦してる姿を見てみたくないか」
そう言って福屋は歩き出した。その姿を一瞬見つめてから芦田も足を動かした。
霧は際限なくレイナたちを包み込もうとしていた。レイナは空中でいくども風を起こし、霧を追い返している。すでに前方は白い霧に包まれていた。先ほどまで見えていた少女の姿はもうなかった。
「あの霧は、歪曲か? それとも歪みそのものなのか」
福田アキラは自問するように呟き、上空で風を起こし続けているレイナを見た。その能力は明らかに進化していた。持続時間、効果範囲、そして威力。すべてが段違いだった。あれだけの力を出し続けていたら数分で倒れていたはずだ。いや、『歪み』に飲み込まれていてもおかしくはない。
「あああ! もう! うっとうしい!」とレイナは髪を揺らして叫んだ。そして福田たちの周囲で起こっていた風が止む。霧が福田たちの目の前へと迫ってくる。レイナは着地して、両手を霧のほうへと向けた。
「吹き飛べ! 雲散霧消!」
猛烈な風がレイナを始点にして霧のほうへと吹き始めた。その強さは福田が地面に倒れこむほどだった。轟音の中で身を丸めて嵐が過ぎ去るのを待つ。数分すると音が止んだ。顔を上げて様子を伺う。
「どうなってるんだ」
福田は呆然とした様子で言った。霧は広範囲で晴れていた。そしてその後に残っているのは灰色の大地だけだった。霧が被っていたところだけキレイに何も無くなっているのだ。ログハウスすら跡形もなかった。
「アイツが喰ったんだろう。つまりはその存在を歪ませて自分の中へ取り込んだ。あの霧を介してな。なかなか大規模な能力じゃないか」と福田の後ろに居た老人が言った。
「そんな『歪み』聞いたことがない」
「ならば知っておくといい」
「あんたは一体……」
どさりと福田の前で倒れる音がした。福田はぎょっとしてレイナの方を見る。レイナは地面に倒れこんでいた。
「おい!」と福田はレイナに駆け寄る。レイナは上向きになり、喘ぐように息をしている。その蒼白な額には汗が浮んでいた。福田はレイナの手首をとって脈をはかる。異常な速さだった。
「力の使いすぎか?」
「さんけつ」とレイナは言葉少なげに答える。そして徐々に呼吸を整えていく。
「なんで酸欠になるんだ」
「風の中に居たから。はあ、だる」
福田の手を借りてレイナは身を起こした。あの少女の気配は無い。しかし霧はまだ奥の方の森を包んでいる。
「何もなくなったな。女の姿もねえ」
「あいつを殺さないとここから出られない」とレイナはため息をついて立ち上がる。
「芦田も心配だ。深谷って奴に任せてたが」
そう言った福田は近づいてくる足音を反応した。レイナもその方向を見る。黒猫が三人を引き連れてやってきた。
「あれ、もう倒したのか?」と福屋はレイナを見て言った。
「霧はまだある。アンタのほうは?」
「どうなんだろう。彼女、あの霧にのまれてたら死んでるんじゃないか」
深谷を地面に下ろしながら福屋はそう言った。
「アンタ、仕事はしっかりやるんだ」
「まあね。なにより芦田さんは前島さんの友だちだろ」
芦田はレイナの前に立った。
「レイナ……?」
「ミカ」
レイナはミカから顔を背けた。
「なんでこっちみないの?」
「なんとなく」
そんなレイナにミカは抱きついた。
二人の様子を少し離れた場所で福屋は見ていた。そこに福田が近づいた。
「お前が福屋アキラか?」
「そうだ。キミが福田アキラ。僕と一文字違いの紛らわしい男だろ?」
「そんなのはどうでもいい。お前はどうして友瀬と行動している?」
「成り行きかな。ああ、心配しなくてもいいよ。僕は別に友瀬レイナに好意は抱いてないから」
「それもどうでもいいことだ。お前の目的はなんだ?」と福田は福屋を睨んだ。
「それはずっと変わってないよ。ただ前島さなえを救うことだ」
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