第45話
深谷ニノが目を覚ましたのは猛烈な寒さを感じてのことだった。肌が裂けるような凍てつく風が吹き荒んでいる。身を起こしながら目を凝らした。ホワイトアウト。そんな言葉が頭に浮んだ。息するのもままならないほどの吹雪だ。視界は少し前までしかない。雪の結晶が皮膚に張り付くたび、何かが削がれていく感覚があった。ニノは叫んだ。
「あ、芦田さん!! どこにいる?!」
返答は無い。だが、叫びとも咆哮ともつかぬ声が聞こえた。唐突に日が射した。巨大な影が吹雪のなかに映った。太い胴体、長い首、そして地を覆うような翼。その両翼が大きく羽ばたいた。一瞬で吹雪が止む。
ニノは驚きながら空を見上げた。そこには金色のドラゴンがいた。その背には一人の少女が乗っている。その金髪の少女は停滞する霧を指差した。
「吹き飛ばせ! この世の果てまで!!」
ドラゴンはその身を大きく膨らませてから、勢いよく息を吐き出した。熱風が大地に広がる。霧は晴れ、禿げた地面が姿を見せた。砂漠のような光景だった。そこには一人の少女が正体もなく立っていた。ふらふらとしながらも片手を天に向けた。その先に高層ビルほど氷柱が生成されていく。
「溶かせ!」
ドラゴンはその少女に高速で接近しながら、氷柱に目掛け熱風を吹く。その熱量にあてられ、はじけるように溶け出し周囲に撒き散った。ドラゴンと金髪の少女はその雨のなかを滑空していく。ドラゴンが大きく口を開ける。その先に居たセーラー服の少女は直前にすこし顔を上げてから、抵抗することもなく喰われた。
金色のドラゴンは濡れた地面に着地する。金髪の少女はその背中から降りた。ドラゴンは屈んで少女の前に頭を差し出す。少女は優しくそれを撫でた。それから、陽炎のようにドラゴンは消えた。同時に少女は膝から崩れ落ち、地面へと倒れ伏した。一人の男がそれを見て駆け出した。福田アキラだった。
ニノはその光景を口を開けながら見ていた。その後ろで二人の男が話し出した。
「あれがアイツの『歪み』か」
「ええ、そうみたいです。どうも向こうに行ったときに捕まえてきたとか」
「はざ間か。たしかに具象化の条件としては合ってるな。お前の猫より強そうじゃないか」
「どうですかね。デカければ強いってもんじゃない」
ニノは振り返ってその姿を見た。一人は老人で切り株に座っている。もう一人は同世代の男で、腕を組んで立っていた。
「あ、あんたら誰よ?」
「ん? ああ、深谷くん、会うのははじめましてだな。僕は福田アキラ。電話で話したことあるだろ?」
「ああ? 電話? いつのだよ」
「芦田さんと閉じ込められてたときの話だ」
「ああ! お前あのときの奴かよ」
「うん。今どこにいるか。キミのおかげでちょっと目が覚めたよ。まあ、その話は今いいか。とりあえず芦田さんのところに行っておきな。あそこで倒れちゃってるから」と福屋は指をさす。その先には丸まっている少女がいた。深谷はすばやく立ち上がってそこまで駆け寄った。そして抱き起こし声をかける。
福屋アキラはその様子を見て微笑む。
「どうした?」
「いえ、いい風景だなと思いまして」
「ツガイどもが安否を確認するのがか?」
「そうですね。いいじゃないですか。安心しますよ。誰かが誰かを大切にするを見るのは」
「お前もそうすればいい」
「できればね。しかし僕は出来ないでしょう。アナタが知ってるようにね」
「さあな。わしは何も知らない。ただ猫との約束を守ってるだけだ」
「そうですね。それでいいんでしょう。彼もそう思ってるはずだ」と福屋は友瀬たちのほうを睨んだ。その横に一人の男が立っていた。その男は片手を二人にかざした。福田は友瀬の上に倒れこんだ。それから男は何もなかったかのように福屋のほうへと向かってくる。芦田の元に居た深谷ニノが立ち上がってその金髪の男の方へと走り出した。
「おいおいおいおい!! お前なにやってんだこのクソやろう!!」
「静かに」とその男は煩わしそうに右手を振った。深谷は気を失ったかのように倒れる。
男は口を結んだまま福屋アキラの方へと近づいた。白いワイシャツと濃紺のズボン。緑の靴下に黒の革靴。そんな身なりの男と福屋アキラは向かい立つ。
「キミが福屋アキラか」と男が尋ねる。
「そうだ。お前は名前も無い怪物だろう?」
「後ろに居るのが『Q』だな?」
「久しぶりといえばいいのか? そのカラダはどうだ? なじむか?」
そう言ってQと呼ばれた老人はようやく立ち上がった。
「貴様に答えたくはない。お前のようなものが居るから我々は自由になれぬのだ」
「今さら出てきて正統派というアホどもをまとめて何をしようって言うんだ? あの蓋を開けたがってるのは愚かとしか言えまい。あれは我々にとっても必要なものだ」
「くだらない。お前のその発想は受け入れられぬ。あれこそ我々の本願だ。ここで貴様を下等動物まで落としてやろう」
男は拳を握り、時の尾を掴む。世界は止まり、男だけがその場を自由に動けた。男はQに手を伸ばした。触れてその『存在』を喰らおうとしたのだ。だが老人は笑う。
「しゃしゃるな小僧。お前とは年季が違う」
老人は杖を振るった。時は動き出し、男の手は杖によって弾かれた。男は杖で殴られた手を押さえる。
「お前、なぜだ」
「わしは貴様を『拒絶する』」
老人は杖を握り直し、居合いの構えをとる。男が動く前に不可視の斬撃が男の胸を切り裂いた。男は胸をおさえて体を小刻みに揺らす。
「貴様がいかに拒絶しようがこの世界は歩みを止めまい」
「夢を見るのは勝手だが。わしの前で語るのはよしてもらおうか」と老人は杖で地面をつく。男は大きく身を震わせてから、膝をついた。
福屋は頬を掻きながら、老人を見た。
「なにしてるんですか?」
「なにも。邪魔者をいったん消しただけだ。おい、お前。話したいことがあるんだろ?」と老人は膝をついて俯いている男に話しかける。男は肩で息をしながら立ち上がった。その目は藍色に光っている。額に汗をにじませながら口を開けた。
「ありがとうございます。まだ『彼』をうまくコントロールできないのです。ああ、よかった。これ以上何かを傷つける気はなかったのです」
「お前に奴を制御できるとは思えないがな」
「できなくともやらないといけないのです。それが僕の使命だから。……、やっとキミにまた会えました。今は福屋くんでしたよね」と男は福屋アキラを見る。
「今は? これまでもこれからも僕は福屋アキラだ」
「……そう。本当にキミはそうなってしまったんですね。ならば仕方がない。僕は福屋くんを止めに来たのです。キミは蓋になろうしている。そうですよね?」
「それがどうした?」
「キミが成り代わらなくとも前島さなえで十分に安定するんです。彼女の力も非常に強力なものだから。福屋くん。だからキミは行く必要がないんです」
「よく分からないな。安定するかどうかが問題じゃないんだ。そこに前島さんが使われている。それだけが問題なんだよ。だから僕はそこに行って話をつけないといけない。そういう話なんだ」
「福屋くん。キミは人生でほとんど一瞬しか共に居なかった人に命をかけるというんですか? キミが前島さなえと一緒に居た期間はわずか一週間ほどです。おかしいと思いませんか? キミは本当に前島さなえを大切に思えるんですか?」
福屋アキラは口を閉ざしたまま男を見る。
「正直に言いましょう。キミは利用されている。キミのその不死。不思議だと思いませんか? キミ以外の時戻りは全員死にました。そう、普通の人間と同じように死んでいったのです。これはあの白髪の少女、白瀬ましろからキミも聞いたはずです。そしてなによりも今日が何日か分かりますか?」
「……、八月三十一日」
「そうです。時を戻る前、キミは八月二十五日に死んだはずです。なのにまだ生きている。どういうことかわかりますか? キミはその日まで死なないから死ななかったわけではないのです。もとから死なないから、死なないのですよ」
「だからどうした?」
「なぜそんな能力を持っているか、自分がどうして不死なのか不思議に思わないんですか?」と男はわずかに声を震わせながら言った。
「たまたま死んでないだけだ。次は死ぬかもしれない」
「違うのです。アナタは、死を歪ませている。死そのものを歪ませる人間なのです」
「……、意味が分からない。それと今の状況が何の関係がある」
「それが蓋となる人間にとても好都合な能力なのです。だからキミを蓋にしようとすべてが動いている。僕はそれを止めたい。なぜならキミは僕にとって大切な人だから」
男は近づいて呆然としている福屋の手を取った。
「引き返すなら今しかありません。こちら側で僕とともに世界を守りましょう。そうしたとしてもキミは十分に役目をはたしたとも言えます。悪く思う必要はありません。前島さなえも言っていたはずです。もうあちらに行くなと」
福屋アキラは目をつむる。
そう。僕は目をつむった。
いきなり奇妙な男に手を握られても何も感じないはずだ。あるとすれば嫌悪感。だが、この男に対してはそれはなかった。かえってどこか懐かしい気分になった。僕は僕より少し高いところにあるその男の顔を観察する。悲壮さのある表情。長年の友を救いたいがためにすべてを投げ捨てようとしているような。
僕はため息をつく。この男は信じてもいいだろう。僕の『存在』はそう語っている。だがもうそういう次元の話ではないのだ。僕は男の手を振りほどいた。
「いいかい、僕はもう決めてしまったんだ。あの猫にも約束をしてしまった。いや何より、たとえこのちっぽけな人生で一瞬の間しか一緒に居なかった人だとしても、僕は彼女を助けたい」
その言葉を聴いて男は俯いた。ぐっと両手の拳を握り、そして顔を上げた。
「キミはそういう人です。僕も知っていました。だから僕の使命もこうなるのです。僕はキミを支えます。顕現せよ」
そう言って男は手を僕に向けた。その手のひらには一つの指輪があった。
「この指輪はキーです。これをはめて歪曲を使ってください。そうすれば本部へと行けます。さあ、受け取ってください」
僕は何も言わずにそれを取った。そして左手にはめる。
「なんでアンタがここまでしてくれるのかわからないけど、一応言っておく。ありがとう」
「その言葉だけでも十分ですよ」
男はそう言って微笑んだ。僕は左手に力をこめた。耳鳴りがした。視界はゆがみ、僕はたちくらみ味わった。だが、死ほどの苦痛ではなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます