第31話
時というものを知っているか。知っている。それは語ろうとすると過ぎ去っていき、口をつむぐと向かってくるものだ。誰もが時というものを知っているが、何者も口にすることができない。僕が時というものを語るときも例外ではない。
白瀬ましろという名の少女は僕の死を知っていた。
「十七歳少年、マンションで不審死。ちっちゃなニュースだったけど、オカルト好きのやつらはほじくりかえしてたよ。ほら、立て続けにいろいろな所で人が死んでたじゃん。しかもなぜかみんな潰れちゃって死んでるっていう。誰かの陰謀だ、超能力者の仕業だみたいな感じで、盛り上がってた。んで、アレが起こったわけ」と白瀬はハンバーグを頬張りながら言う。
「国会をつぶしたっていう事件?」
「そう。度胆ぬかされちゃったね。ネット配信のライブでやってたもん。どうせ釣りだろとかみんな言ってたけど、本当にぺっしゃって潰れちゃったんだもんなあ。あのときは麦茶むせちゃった」
「そんなことして、どうしたかったんだろ。国会をつぶしたとしても世界は変わらないだろうに」
「さあね、僕にアイツらのクレイジーな思考が分かるわけがない。ま、全世界からの注目を集めることは出来たんじゃないかな。それからアイツらはテレビとネットに犯行声明みたいなのだしてたよ。愚かな旧人類ども、我々の存在を認識し悔い改めろ、みたいなノリの話だった。どこのクソSFだよって思ったなあ。なんか偉そうな男が話してたっけ。こっちじゃ見たことないな、あいつ。死んじゃったのか。ま、いいや。それがいつだっけ、九月の初めくらいの話」と白瀬はみそ汁をすすった。
「へえ、それから?」
「それからもクソもなんもない。そのくらいの時に僕は、ここの世界に来たんだよ。ゲームで寝落ちして、起きたらデータ、というかソフト自体がキレイに消えてるの。笑えなかったね。全クリまであとちょっとだったのにさ。しかもそれ八月に発売した奴なんだよ。つまりね、もうそろそろ店に出てるわけだ。だから僕はハードとテレビとソフトを要求した。んで、今日は朝っぱらから働かされてるわけ。社会人のつらさを実感したね。生きるってことはなかなか難しい」と少女はげっぷをして箸をおいた。
「おいしかった?」と僕は聞いていた。少女の前にある皿の上には何も残っていなかった。
「まあね、明日は、朝が焼きシャケで、夜はオムライスかな」と紙ナプキンで口を拭って、少女は立ち上がる。「ちょっとしたらお風呂入っちゃお。今日はよく働いたんだよ、ほんとに」
「そうか、おつかれさま」と僕は皿を片付け始める。
「献身的な下僕のおかげで、まあ、まともな気分を保てるよ」と白瀬は笑顔で言って、キッチンから出て行った。
献身的な下僕は皿を洗って、拭い、元の場所に戻してから、独りテーブルに座った。白瀬は寝室でゲームの進捗具合を確認している。献身的な下僕はため息をついて、頬杖をつく。今日したことと言えば、ゲームしてご飯を作ったくらいだ。それ以外何もしていない。老人が迎えに来ないのも理解できる。知るべきなのは本部の場所だ。復讐の相手なのだから彼らも知っているはずだろう。僕としてはそれさえ知ることができればもう彼らにかかわる必要はないのだ。国家転覆やら世界征服やらなにやらは勝手にすればいい。僕の目的は前島さなえに会うことだ。それは彼らとは関係がないことのはずだ。
果たしてそうなのだろうか。
そもそもどうして僕はそこまでしてたった一週間足らずの関わりしか持たなかった少女に会いに行かなければならないのか。猫なら約束をしたからだと言うだろう。あの老人はどうだっただろうか。一癖も二癖もあるようなあの老人が、利益もないのに僕の約束事などに付き合うはずがない。
僕の予感は遠い所にあった。
それからの数日間は、似たような過ごし方だった。朝食を作り、ゲームをして、夕食を作る。白瀬ましろはすべての食事をうまそうに食べ終えた。それを見て僕はなんだか満足していた。何も進んでいやしないのに、これでいいのだと感じていたのだ。白瀬の危機感の無さが僕に伝染していた。彼女は逃亡することも反抗することもやめていた。ただ与えられた環境で、自分が楽しめるように過ごしているだけだった。適応力のある少女だ。だから殺されることもなく、ここまで生き延びてきたのだ。
「僕が捕まってた場所には、四人くらい似たような奴らがいたんだよね。話したことはないし、話す気もなかったけど。で、六月くらいかな、なんか知らないけど引っ越しするみたいな話になって、ほかの奴らとはバラバラにされたんだ。僕はよくわかんない山の中に連れてかれた。金持ちの別荘みたいな家だったな。何人か護衛がいたけど、みんな殺されちゃった。アイツらがやったんだよ。六月の最後くらいかな。僕も殺されそうだったんだけど、アイツ、西沢だっけ? そいつに役に立つかもしれないってわけで殺されずに済んだ。たぶん僕が美少女だったからだな。殺すのには惜しいくらいのかわいさだもんな」
「まあね」と僕は壁に寄りかかりながら相槌を打った。少女はベッドに寝っころがりながら、ゲームをしている。昼間、僕がひたすらレベル上げしていたゲームだ。僕の手元にはタブレット端末がある。時折タップをして、クエストを完了し次のクエストへと行くようにしていた。僕がここに来て得たものと言えば、ゲームの効率的な進め方くらいだ。
「そんなわけだから僕も唯々諾々、不承不承にアイツらに従ってるわけなの。殺されるのは勘弁だからね。あのゲーム全クリしてみたいし。めっちゃキレイなグラフィックなんだよ、あれ。フィールドも広いし。それに僕、何気にオープンワールド系のゲームってあれが初めてだったんだよね。あんなに自由にフィールド探索できるんだね、ああいうのって。めちゃくちゃ感動したわ。ほんと、さっさと続きやりたいなあ」
「そろそろもらえそうなの?」
「どうだろうな。もう累計で何百人ものまえでクソみたいな演説をしてきたんだけど。明日、催促してみよ」
「いつも演説って誰が考えてんの?」
「西沢じゃないの? アイツからこれ覚えておけって原稿渡されるし。いや、真面目にこれバカじゃできない仕事だよ。あれだけ長ったらしい興味もない話を数時間くらいの移動中で暗記しなくちゃいけないんだ。女優を目指そうかなって思っちゃうね。僕、かわいいし」
「たしかに君ならなれそうだな」と僕はうなずいた。「移動中って、けっこう遠い所まで行ってるの?」
「うん? 言わなかったっけ。全国、津々浦々巡業してるんだ。前は飛行機に乗せられたこともある。外出るときは帽子かぶらせてもらってる。この髪だと目立ってしょうがないからな。アイツらも目立つのはいやみたいだし」と白瀬は寝返りを打った。僕は画面をタップしてから聞いた。
「いつも誰に話してるの? その演説ってさ。僕が見たときは若い奴らだったけど」
「いつもそうだよ。僕とかお前とか、その辺の年代の奴らの前で話してる。アイツらの目は異様にギラギラしてるんだ。いつも配ってるクスリには相当ヤバいのが入ってんだろうなあ」
「クスリって、あの注射器みたいなやつ?」と僕は顔を上げて、白瀬を見た。彼女は仰向けで足を組んでゲームをしている。いつもの体勢だ。
「そうだよ。あれを配るのが目的なんじゃないのかな。知らないけど」
「最初に聴いた君の話だと、」と僕は目を瞑った。「彼らは歪曲者になった人間なんだろ。で『聖別』ってのがどんな内容なのかはわからないけど、少なくとも正統派の目的はそれを越えれられるくらい強いやつを育てることなんだろうな。そうなるとあのクスリはドーピングみたいのもんか」
「お前の言ってることは全然分かんないけど、あのクスリがヤバいのは正しいよ。アレ打ったあとに、狂ったように暴れ出した奴がいたもん。僕もさすがにビビったよ。真っ先に逃げさせてもらったけどさ。そんなの使ってるなんて、アイツらどうかしてるよ、ほんと」
「へえ」と僕は目を開けた。「どういうことなんだ、それって」
「知らんし、興味ない。おい、手が止まってるぞ下僕」と白瀬は僕を睨んだ。僕は画面をタップして次のクエストに進んだ。
こうして夜は更けて行った。夜は幾度もやってくる。
次の夜にはゲームとテレビがやってきた。おい、と僕を呼んだ少女は重そうに薄型テレビの入った箱を抱えていた。その背後にある扉の前にはゲームの箱があった。我々はそれらを寝室に運んだ。この牢獄には電気が潤沢に通っているようで各部屋には、数個のコンセントがあった。我々はいそいそと段ボールを開封し、テレビとゲームを配線していった。数分後には白瀬はゲームをしていた。僕はその隣に座って、確かにキレイなグラフィックのゲーム画面を眺めていた。
「今日の夕飯はカレーなんだけど」
「ここに持ってきて食べさせてくれ」と彼女はコントローラーを握りしめながら言った。
「どうやって?」
「口に放り込んでいってくれ」
「なるほど」と僕は少女の真剣な横顔を見ながら、うなずいた。
僕は白瀬に言われたとおりのことをした。食べ終えさせた後には、口の周りを紙ナプキンで拭いてあげたほどだ。彼女はその間も一切画面から目を離さなかった。僕は独り食堂に行って今度は自分のカレーを食べた。
片づけをした後、寝室に戻ると白瀬は同じ体勢のままだった。テレビ画面とその白魚のような指は目まぐるしく動いている。僕はその隣に座った。
「今日は徹夜だな、これ」と白瀬は嬉しそうに言った。
「明日はなんもないの?」
「明日は夜かららしいから、別にいいんだ。どう、これ、すごくない?」
「ああ、すごいキレイだ。下手したら現実よりキレイだな」
「でしょ。それにね、このゲームってさ、自由なんだよホント。敵無視して狩りしててもいいし、なんだったら街を造ったってもいいんだ。もちろんストーリーはあるんだけど、どこの場所から進めてもいい。まあ、指示通りにやったほうが簡単なんだけどね」
「ふうん」と僕はうなずいた。
それから数時間、僕は少女の嬌声を聞きながらゲームプレイ観賞をしていた。見るのをやめて風呂に入り、寝室に戻った時には白瀬は俯いたまま動きを止めていた。寝息が聞こえた。僕はそのか細い肩を揺らした。
「んあ」と少女は顔を上げた。
「寝るならベッドで寝なよ」
「うう、寝ないよ起きるんだ。雷鳴の神殿まで行くんだ」と少女は目を擦りながら言った。
「疲れてるんだったら寝たほうがいい」
「うるさいなあ。僕はやるといったらやるんだ。疲れがなんだ、眠気がなんだ。コーヒーをくれ、すべて吹っ飛ばしてやる!」と白瀬は言ってコントローラーを握りなおした。
僕がコーヒーを淹れて寝室に戻ると、白瀬はベッドの上ですやすやと眠っていた。ゲームは点けっぱなしだった。僕はテレビ画面を消して、部屋の明かりも落とした。そっとドアを閉めて、寝室を後にした。
食堂に戻ると、一人の男がテーブルにいた。
「まあ、座れよ。今日も真理を教えてやる」と西沢は言った。
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