歪曲者たち
ごま
第1話
僕は死んだ。
死因は圧迫死だったと思う。正確には分からなかった。ただ潰されたことしか覚えていない。
潰されたあと、僕は自分のベッドの上にいた。
僕は自室を見回していた。朝だということは分かっていた。目覚まし時計が鳴っていた。僕はそれを止めた。ベッドから立ち上がって、カレンダーを見た。五月のカレンダーだった。
僕は死んだ。だが、三か月前の僕は生きている。だから、このようにして五月のカレンダーを見ることができる。それはとても簡単なことで、筋も通っていた。反論の余地はない。
僕はため息をついた。
朝食を一人で用意をして、一人で食べ終えた。家族はいない。兄弟は居ないし、両親は事故で死んだ。運転していたセダンが何もない所でスリップし、横転して死んだ。車は潰れていた。ぺしゃんこだった。たぶん即死だったはずだ。少なくともそうであってほしいと僕は願っている。
寂しさはあるか、と聞かれることがある。僕は寂しいと答えることにしている。だが実際にはそこまで気にしてはいない。人はみな誰かを置いていくものだ。
僕は制服を着て、高校に向かった。徒歩三十分ほどで学校についた。午前八時にもなっていないため、校内は人がまばらだった。
誰もいない教室について机に座った僕は、やはりその日から三か月後のこと考え始めていた。
自宅で冷房にあたって、ぼんやりとくつろいでいた。それが死ぬ直前の記憶だ。
まず暗闇が襲ってきた。それから耳鳴りが起こり、鼓膜が破れた。肋骨が下から一本ずつ折りたたまれていった。同時に額が割れていき、鼻骨が折れていった。こめかみから血が吹き出し、前歯が砕かれ始めた頃に、僕は死を予感した。眼球がつぶれて、のどがふさがり、肺も膨らむことをやめた。僕は虚無の中にいた。安らかな感覚だった。
僕は音を聞いて、死を覗きこむことをやめた。いや、扉が開かなくともやめていただろう。それはあまりに深い穴だった。
教室の扉の前に黒い背広を着こんだ男が居た。その男は僕を見ていた。その手にはタブレット端末があった。
「君だな」とその男は笑いかけてきた。僕は黙ったままだった。彼は僕の席まで来た。
「おはよう。福屋アキラくんだね。君に用事があるんだ」と男は言った。
「どなたですか?」と僕は聞いた。
「私は、政府に委託されて業務にあたっている笹倉という。名前は覚えなくてもいい。それで、その業務というのは君のような人間を一か所に集めることだ」
「意味が解りません」
「そうだろうか。君は今、自分がとても特殊な状況にいると自覚しているはずだ」と男は僕の瞳を覗きこんできた。
「どういうことでしょうか?」
「君からマーカーが出てる。このデバイスでそういうことがわかる」と男はタブレットを掲げた。
「マーカー?」
「事象のゆがみを検知しているんだ。君がそのゆがみのもとになっているために、マーカーが付く。この原理は後々説明されるだろうが、簡単に言えば、君は何らかの方法で現実を屈折させていて、我々はその屈折を観測する機構を持っているということだ」
「わかりません」と僕は首を振った。
「今はそれでいい。君はただ私についてくればいいだけだ」
「どうして?」と僕は聞いていた。
「それがこの国の法律なんだ。歪曲者を保護し、収容する。君はもう歪曲者であるから保護対象だ」
「そういうことを聞いてるんじゃないんです。わからないんです。あなたを信用してもいいんですか?」
「なかなか君も疑り深いな」と男は笑った。手元のデバイスを覗きこんで、一つ唸ってから、再び口を開いた。
「いや、のんびりと話してる場合じゃない。我々は時間に追われている。君が従わないのなら、強制執行する。さあ、立つんだ。私は荒事が嫌いだ」
僕はじっとその男を睨みつけてから、立ち上がった。
「どうすればいいんです?」
「いまから君の転校先に行く。もう君はこの普通の学校にはいられない。安心しろ、そこには仲間がいっぱいいる。全寮制の学校だ。詳しい説明はそこでなされるだろう」
「どうやって行くんですか?」
「こうやってだ」と男は僕の肩をつかんだ。
耳鳴りがした。視界はゆがみ、僕はたちくらみ味わった。だが、死ほどの苦痛ではなかった。
僕の目が正常に物を映すようになった時、そこには門があった。巨大な門だった。僕の隣には男が立っていた。
「ここだ。この先に君の学校と住居がある。この門をくぐると君は当分の間元の世界に帰ることは出来ない。だが、それは仕方がないことなのだ。法律でそう定められている。帰れるときは君の歪曲が消えた時だ」
門の左右に続く塀は十メートル以上の高さがあった。入ったら最後のように思えた。
「逃げようとしても無駄だ。この道の後ろには検問所が控えている。そして、ここはご覧のとおり森の中にある施設だ。この森を自力で抜け出し市街地に出ようとするのなら一週間はかかると見たほうがいい。なかなか深い森なのさ」
「そうですか」
「そしてなによりも、もうすでに君にはマーカーがついてる。たとえ逃げ出したとしても我々は犬のように君のもとへとたどり着く。その時に入るのは本当の刑務所だ。キミたちのために作った特別のな」
「そうなんですか」
「そうだ。この門を開ける」と男は言って、手元のデバイスを操作した。門は音もなく開いていった。その奥には壁があった。僕たちは門を通り抜けて、その壁の前に立った。
「素直だな」と男は僕を見て笑った。
「僕も荒事は嫌いなんです」と僕は目の前に広がる灰色のコンクリート壁を眺めながら答えた。
「もう一つの扉を開けよう」と男は言って、壁を押した。すると壁の一部が開いた。その奥にはリノリウムの床が続いている。
僕らは開いた壁から中へと入った。蛍光灯が廊下を照らしていた。黄緑色の細道を歩いていくと人影が見えた。若い女性だった。
「おはようございます」と彼女は僕らに笑いかけてきた。
「おはよう。彼がそうだ」と男は言った。
「ええ、存じております。珍しいですね、素直にここまでついてくるなんて」とセミロングの女は僕を見て微笑んだ。
「荒事は嫌いなんだそうだ。おそらく戦闘向きの能力ではないんだろう。私も詳しくは知らない。なにぶん時間がなかったのでね」と男はため息をついた。
「笹倉さんがやる仕事ですもの。規格外なのはいつものことじゃないですか」と女は笹倉に言った。
「そういうことだな。さて、彼を頼んだ」
「ええ、まかせてください」
「じゃあ、がんばれよ」そう笹倉は僕の肩をたたき、消えていった。残ったのは僕と若い女性だけだった。女は僕のことを見つめてきた。
「あなた、かわいい顔してますね」と女は笑った。
「そうかもしれません」と僕は言った。
「じゃあ、手をつなぎましょう」そう言って、女は僕の右手をつかんだ。冷たい手だった。「ドキドキしてますか?」
「そうかもしれません」と僕はつながれた手を見た。
「じゃあ、行きましょう。転校と入寮の手続きを済ませないといけないんです」
僕は女に手を引かれて廊下を歩いて行った。数分歩くと、ドアが見えた。
「このドアは私にしか開けられないんですよ」と女は得意げに言った。
「そうなんですか」
「この向こうが学園の敷地内です。準備はいいですか?」と女は僕に笑いかけてきた。
「ええ」と僕は応えた。
微笑みを貼りつけたまま女はドアを開ける。まばゆい光が僕らを包んだ。
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