第16話

 ミカが先頭を行き、深谷は腕組みしながらその後ろを付いていく。彼らが行く石畳の両脇には、草木が生い茂っていた。涼やかな風がときおり林の隙間から流れてくる。深谷はポケットをまさぐるが、思い直したように手を止めて、前を行くミカに声をかけた。

「なあ、なんで管理棟にいかなきゃいけないんだ?」

「え、」とミカは立ち止まり振り返った。「だって、本部に連絡しなきゃ」

「どうしてさ?」

「えっと、あの『歪み』はヘンだし、強すぎるもん」

「まあ、人っぽい『歪み』なんて俺も初めてだけどさ。うん、まあさ、その、本部に連絡しちゃったらさ、俺たちがここにいることがさ、ばれちゃうじゃん」

「ダメなの?」

「ああ、俺はダメだよ。監獄から脱走してるし、捕まったら今度こそ刑務所に行くことになっちまう」

「でも」とミカはうつむいた。

「でも?」

「わたしたちじゃ、倒せないよ」

 深谷は口をつぐんだ。ミカは顔をあげて、じっと深谷を見た。そよ風が二人の間を通った。

「助けを呼ばなきゃ、殺されるってことか」と深谷は頭を掻いた。

「うん。わたしのチカラじゃ、戦闘できないし、深谷くんも、そうなんでしょ?」

「ああ、そうだよ、ちくしょう、マッチでゴジラを倒しに行くようなもんだ。それにろくな訓練も受けてこなかったし、『歪み』との戦い方なんて皆目見当がつかねえ」

「うん。じゃあさ、呼ぼうよ、ね?」

「ああ、分かったよ。分かった」

「うん、良かった」とミカは歩き出した。深谷も唸りながら、その後を付いて行った。

 二人は黙々と林の合間を縫って行った。いくどか分かれ道に行き当たった。その都度、ミカがどちらに行くかを決めた。深谷は何も言うこともなくミカに従った。そうやって二人が道を進むにつれて、道幅は少しずつ減少していった。両脇に林立する木々が空を覆うほどの道の狭さになった時、深谷は再度口を開いた。

「なあ、アンタ一人じゃ、ダメなのかなあ?」

「え」とミカは振り向いた。

「だってさ、俺がこうやってアンタについていくのってあんまし意味がないように思えるんだ。だってよ、俺はアンタを守れるわけじゃないし、なにをすればいいのかなんて全然わかんねえし。その点、アンタは意志を持ってさ、こうして管理棟に向かってるわけでしょ。俺なんて管理棟の場所すら知らないしさ。つまりね、アンタは俺が居なくても本部に連絡をとれるってわけじゃねえかってこと。そうじゃない?」

「え、そうかな」とミカは首を傾げた。

「そうだよ、マジで。じゃあさ、そういうことだからここで別れようぜ。俺は、アイツに見つからないように逃げるからさ」

「えっと、え、でもね、二人でいたほうが安全だと思う」とミカは視線を地面に落としながら、言った。

「ああ、どうしてだ?」

「わたしのチカラって、『歪み』を感知するやつなの。今はまだ戦ってるけど、いずれ終わったらこっちにくる。そのとき、たぶん深谷さん一人じゃ逃げ切れないと思うんだけど」

「へえ、つまり、俺自身のためにもついて来いってわけか。うん、いいこと聞いたね」と深谷は口を曲げた。

「え、えっと、それにね、二人でいたほうが心強いというかなんというか」とミカは、はにかむ様にして笑った。深谷はため息をついて、眉間にしわを寄せた。

「じゃあさ、俺がおとりになるってのはどう? アイツが俺のところに来てる間、アンタがきっちり、安全に連絡をつける。それはどうかな?」

「え、うーん、条件がそろわないと、そんなに時間を稼げないと思うんだ。あの『歪み』はかなり純度が高いから、その、けっこう簡単にやられちゃうと思うの」

 深谷は口を閉ざして、天を仰いだ。ミカはそんな彼の様子を覗き見る。深谷は大きなため息をついてから、首を横に振った。

「はいはい、分かったよ。俺が間違っていた。アンタから離れることは、自殺するようなもんだ。さっきもアンタのおかげで助かったしね。うん、まあ、アンタに従うよ」

「うん、良かった」とミカはズボンのポケットを軽く触った。


 二人は森を抜けた。石畳の道は森と共に途絶えていた。目前には地平まで広がる草原があるだけであった。深谷は口笛を吹いた。

「いやあ、こんなとこ初めて来たね。なにもないじゃんか、どういうこと?」

「地下にあるの」とミカは言って、芝生の上を歩き出した。

「ふうん。核シェルターかよ」と呟きながら深谷はその後を追った。

 しばらく二人はただまっすぐに歩いた。ミカはときおり空を見上げた。深谷はときおり後ろを見た。背後に置いてきた林も霞んできたころに、二人の前に白い石が見えてきた。近づくにつれて、それが円柱のような形をしていることが分かった。二人はその白い柱の前に立った。

「これが入り口なのか」と深谷は柱を見上げながら言った。

「うん。そう」

「ドアも何もないようだけどね、まあ、おかしいことじゃないな」と深谷は柱の表面を撫でた。

「えっと、ねえ、お願いがあるんだけど」とミカは深谷を見た。

「なに?」

「その、柱の前でチカラを使ってくれないかな。えっと、それがカギなんだ。わたしのは受動的なモノだから、できないの」

「ふうん。なるほどね」と深谷は笑った。「だから俺を連れて行きたかったわけか」

「え、えっと、うん」

「まあ、いいさ。こんなチカラでも役に立つって言うならさ」と深谷は言って、親指を立てた。その爪先に小さな炎が灯った。夏の日射しの下でも、それはちらちらと青白い光を揺らめかせていた。深谷はその炎を柱に押し当てた。すると柱は揺らめき、身をよじるかのようにして形を崩していった。後に残ったのは、鋼鉄製の四角いドアだった。深谷は口笛を吹いた。

「ふうん、なかなか、手が凝ってるね」

「うん。じゃあ、行こうか」とミカはその扉を開けた。

 その奥にはらせん階段が続いていた。蛍光灯がその行く先を照らしていた。


 二人は無言で、その階段を降り切った。二人の前にはドアがあった。鍵はついていないようだった。ミカがドアの取っ手を下げて、ゆっくりと押していった。扉は軋みながら開いた。

 中は、だだっ広い空間だった。深谷は左右を見回してから呟いた。

「新宿の地下駐車場みたいだな。空気が淀んでるぜ」

「え、あの、もう少し行けば、たぶん電話ボックスがあるんだけど」

「じゃあ、行こうぜ」と深谷は歩き出した。

「え、うん」とミカは深谷の後を慌てて追った。

 電話ボックスは、一つだけあった。そのほかには何もなかった。その前に立った深谷は、訝しげに周囲を見回した。

「ここで何を管理するんだっていうんだ?」

「えっと、ここは管理棟区内の、緊急用の避難所だよ。このまえ、一ヶ月くらい前かな、できたばっかしなんだけど、えっと、その、正統派がここに攻めてきたりしそうだったから、作ったんだって」とミカは説明した。

「へえ、で、この電話はなんなの?」

「本部につながってる電話なんだって。どんなときでもつながるって言われたけど」とミカはドアを開けて中に入った。受話器を取り、耳に当てた。その間、深谷は空間の奥行きを見極めようしていた。灰色の床はどこまでも続いているようだった。深谷はため息をついて、首を横に振った。電話ボックスのガラス戸が開いた。ミカは深谷を見た。深谷はじっとその青白い顔を見返した。

「つながらなかったのか」

 ミカは小さく肯いた。深谷はため息をついてから、ミカを押しのけて電話ボックス内に入った。受話器を取り、適当にボタンを押した。少しの間があってから、どこかへとつながる音がした。深谷は身を固めて、息を殺した。誰かが受話器の向こうにいた。

「もしもし」とその誰かが言った。

「ああ、ええ、うん、えっと、そちら本部の人?」と深谷は声を震わせて言った。

「いや、ちがうけど」とその男は言った。

「へっ、はあ、そうか。うん、違うのね。じゃあ、間違え電話だ。すみませんね、間違えましたわ」と深谷は電話を切ろうとした。

「君としては間違えかもしれないけど、僕としてはあながち間違ってはいないんだ。こうして電話がかかってきて、ちょっとうれしいよ」とその男は楽しそうに言った。

「はあ? よく分かんねえけど。俺は間違えたって言ってんの。というわけだから、切るぞ、じゃあな」

「ちょっと待ってよ、そこから出たいんだろ? 教えてあげるよ、その方法」と男は言った。

 深谷は受話器を耳元に戻した。

「待て、今、なんて言った?」

「だからさ、出たいなら手伝ってあげるよ。いろいろとね」

 深谷は、振り返ってミカを見た。ミカは不思議そうな顔で見返した。首を傾げてから、ミカは言った。

「えっと、どうしたの?」

「わかんねえ、知らない男が話してるんだ。ここから出してくれるってよ」

「え、出す?」

「ああ、よく分かんねえけど、出してくれるって」

「どういうことかな?」とミカはうつむいた。

「そこにもう一人いるの?」と受話器の向こうにいる男は言った。

「あ、ああ、いるよ。でさ、俺たちね、怪物に追われてるわけよ。言っても分かんねえと思うかもしれないけどよ。とにかくね、一刻も争う事態なわけ、そいつを倒さなきゃ俺たちはぽっくり逝っちまうわけよ」

「そっちはそうなってるのか。そうか。『歪み』がいるんだな。妙な話だね」と男は笑った。

「ああ? え、アンタ、『歪み』を知ってんのか?」

「まあね、けっこう知ってるつもりだよ。この一か月ずっと研究してきたからさ。ナイフで首を切ったりとか、素手で殴り合ったりとか、いろいろね」

「ナイフ? いや、ちょっと待ってくれ、十円玉を補給する」

「百円玉の方がいいんじゃないか」と男は面白そうに言った。

 深谷は受話器を遠ざけながら、ささやくようにしてミカに言った。

「コイツ、『歪み』を知ってる」

「え、えっと、じゃあ、どういうことなんだろう?」とミカは深谷を見た。

「ああ、本部の人間じゃないってことは、俺たちと同じような奴か、それとも」

「正統派」とミカは言った。深谷は無言で肯いて、受話器を再度耳に近づけた。

「オーケー、オーケー、百円を十枚入れた。長話してもいいぜ」

「そうか。まあ、『歪み』がいるんだろ。手短に話すよ。いいかな、まず世界観の話をしよう」

「いや待て、自己紹介から始めようぜ。俺は、深谷ニノ、十七歳だ」と深谷は話を遮って言った。受話器の向こうにいる男は小さく笑ってから、話した。

「いいね、それ。じゃあ、僕も名前と年齢を言おう。僕は、福屋アキラ、同じく十七歳だ」

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