第6話 名前を知られたらどうなる?こうなる

「なるほどこれが噂の時間切れ……」


 青い空の中心で輝く、白っぽい太陽を見上げながら私はつぶやいた。

 見慣れはじめた、精霊の庭の空だ。

 たぶん、魔力の持続時間の限界が来たんでしょう。


「ラフィオンは、がっかりしたんじゃないかしら……」


 待ち望んでいた召喚が成功して、泣きそうなほど安堵していたのだもの。もしかしたら、もう一度成功させられるか分からずに、不安になっているかもしれない。

 小さい子をがっかりさせるのは、なんだか忍びなかった。年の離れた妹を、うっかり泣かせてしまった時のことを思い出してしまう。

 とはいえ私が自由に戻れるわけでもない。また呼ばれるまで待とうと思いながら起き上ったら、


『ま、ま、マーヤ!?』


 珍しくエリューが、焦ったように言う。

 私は泉の上に浮かんでいたので、大樹のエリューを見上げる形になった。

 エリューに顔なんてないけれど、心なしか枝がわさわさと動揺しているみたいに震えている。


「どうかしたのエリュー? 無事に召喚体験から戻って来られましたわよ?」

『どうかした、じゃないでしょうマーヤ。それ、その手首のは……』


 わさわさという葉擦れの音と共に聞こえる声に、私は自分の手首を見た。

 あの日のままの、萌黄色のドレス。袖にたっぷりと使った白いレースの間から覗く自分の手首に、なんだか金色に光るものが見えた。


「あら?」


 袖を避けてみれば、手首に金色の蔦のような模様がついていた。


「汚れ……?」

『汚れとかそんな可愛いものではありませんよ、マーヤ! それは、契約の証です』

「けい、やく?」


 エリューの言葉に、首をかしげた。

 契約ってどういうことだろう。でも私、今は精霊だったのよね。精霊の契約ってのは確かに聞いたことがある。何でも精霊を呼び出しやすくなるとか。


「え、私。ラフィオンと契約してしまったの? なぜ?」

『普通、生まれたての精霊だと、そういう問題は起こらないのですけれどね』


 ため息交じりにエリューが教えてくれる。ふーっという音と同時に、木の葉がまたバサバサと音を立てた。というかこの樹、ため息をつけるのね。


『あなたは人だった頃の名前を捨てていない。だから、精霊としての名前もマーヤということになってしまっているの。その名前を召喚者に教えると、召喚に強制性が加わってしまうのよ』

「強制って、まさかラフィオンが呼んだら自動的に召喚される、ということ?」

『そうなるわね。ただあなたはまだ現世に生まれ出た精霊じゃないから、どんな影響があるかわからない……』


 とエリューが話している途中で、ふっと目の前が暗くなった。

 精霊の庭にも昼と夜の循環があるけれど、こんな風に一気に日が暮れたりしない。一体何が起こったの! と慌てていたら、目の前の風景が明るくなる。

 ほっとしたのだけど、安心している場合じゃないことはすぐにわかった。


「……ずっと呼び出し続けられたらいいのに。まだ俺の魔力じゃ無理か」


 目の前に、ラフィオンがいる。

 なんだろう。彼の肩の辺りに浮いているような視点で彼の様子が見える。

 寂しそうな表情で、手の中の土を見つめているラフィオンは、やがてそれを地面に落とすと、手を払って立ち上がった。


「でも契約ができたみたいだから、呼びやすくなったはずだよな。明日また試すか」


 そうしてラフィオンは歩き始める。


『え、ラフィオン?』


 思わず声をかけてしまったけれど、彼が気づく様子はない。しかもわりと至近距離なのに、全く私に気づかない。どういうこと?

 ラフィオンは足早に歩いて行く。なぜか私も釣られるように移動していく。自分で動こうと思っても、できないみたいだ。

 やがて、またあの建物の中に入った。階段を登って行くけれど、今度は別な部屋に向かうようだ。

 途中、廊下の壁に鏡がかけられていたけれど……ラフィオン以外に映っているものはない。


 ……もしかして、私は召喚されているけれど、誰の目にも見えない状態なの?

 ぎょっとするけれど、帰ることもできない。だからじっとラフィオンのことを観察していたのだけど。

 彼の行く手に、一人の女の子が現れた。


「ちょっとラフィオン。こっちへおいでなさい」


 居丈高な感じにちょっと顎を上げた、赤っぽい髪の女の子だ。ラフィオンより三つ四つ年が上だろうか。

 女の子に言われて、ラフィオンはうなずいた。


「はい、ティファナ姉さま」


 どうやら彼女は、ラフィオンの姉だったようだ。

 しかし似ていない姉弟だ。ラフィオンはどこか儚げな感じがあるけれど、ティファナは活発そう。髪の色もラフィオンとも先ほど見たその父とも違う。でもそれだけなら、おばあ様からの遺伝かもしれないわね。

 そんなことを考えながら、自動的に私はラフィオンについていくことになる。


「あなたが、正式にうちの子として認められたと聞いたわ。これからは公式な場に出ることも多くなるから、衣服を整える必要があるでしょう」


 歩きながらティファナは事務的に説明する。


「仕立て屋は明日呼ぶわ。だけど出来上がるまで時間がかかるし、あまり沢山は作れないから、レイセルドお兄様のお下がりから、体に合うものを選んでちょうだい」


 ティファナが連れて行ったのは、衣裳部屋のような所だった。

 私の元の家にもこういう部屋はいくつかあった。侍女や召使いにあげることもあったけれど、それでも舞踏会の度に同じドレスを着るわけにはいかなかったから、どんどん溜まって行くのよ。


 ラフィオンの家の衣装部屋はここ一つのようだ。そして家族全員の衣装を、やや広い部屋の中にいくつもの服が垂らされて整列している。

 さすがに「きちんとした服」と言うだけあって、今ラフィオンが着ている簡素な服よりは、刺繍も装飾も豪華で、布地もしっかりしたものが多い。

 ティファナはそのうち、子供服の列から何着かを手に取り、ラフィオンの背中に当てて行った。


「この辺りの服は大丈夫なようね。持てるだけ持ちなさい。足りないとわかっても、後から一人で入るのはやめておくことね。レイセルドお兄様にあなたが出入りしているのを見られたら、泥棒扱いされるわよ」

「はい……」


 答えるラフィオンは無表情だ。

 私はぎょっとする。え、ラフィオンの家族って仲が悪いの? でもこんなに小さい子相手に、ティファナよりも年上の兄が冷たくするってどういうこと?

 疑問でいっぱいになるけれど、教えてくれる人などいない。

 ラフィオンは淡々とティファナの指示通りに服を抱えて行く。小さな体で持ち切れるのかわからないぐらいに。


「も、持ち切れないなら言いなさいよっ。ほら貸しなさい!」


 服に埋まりそうだったラフィオンから、ティファナは乱暴な手つきで服を奪い、自分で抱えた。


「これぐらいあればいいでしょう。出るわよ」


 ティファナに先導されて衣裳部屋を後にしたラフィオンは、今度こそ自分の部屋らしき場所に到着した。


「じゃあ明日、採寸のこと忘れないように」


 ややきつい言葉遣いだけれど、ティファナは丁寧に衣服をラフィオンの寝台に置くと、連絡事項を口にして部屋を出て行った。

 それにしても、召使いの姿を見かけない。

 アルテ王国の貴族の家って、こういうものなんだろうか。召使いの数が少ないのか、それとも完璧に主人一家の目から隠れるようにしつけられているのか。


『もしかして、ラフィオンの家は貧乏?』


 衣服も仕立てられる数に限りがあると言っていた。子供の数が何人いるのかわからないけれど、公式な場に出るようになるなら、貴族は衣服をそれなりの数を用意するものだ。アルテ王国が、私の国と同じ慣習だったら、だけど。


 そして私は、ラフィオンには母親がいないのだと察した。

 でなければ大人とは言えない年齢の貴族令嬢のティファナが、あれこれとラフィオンに言いにくることはないはず。


『あなたも、お母様がいないのね……』


 妹の誕生と同時に母を亡くした私は、それだけでラフィオンに共感してしまった。

 寂しいだろう。私もにたような年の頃に母を亡くして、寂しくてしばらく泣き暮らしたわ。


 ラフィオンは、淡々と衣服をクローゼットに整理した。そして簡素な装飾のない書き物机に向かい、日記らしきものを書きこむ。

 内容は、召喚の結果についてのラフィオンの備忘録みたいなものみたい。

 覗き込んだ私は、その日付に目を見開いた。

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