第7話 これからやりたいことが決まりました

 ナティア歴651年。ラフィオンの几帳面そうな字で、そう書かれている。

 歴は内海を挟んで林立する各国に、共通したものだ。

 そして私が生きていたのは、659年。


『八年前……の世界なの? エリューが召喚される年数は前後すると言っていたけれど』


 あの樹は正しかったとしみじみ思うと同時に、私はまだルーリスで生きている頃よね、と思う。

 私はもう精霊なので、人間と同じように考えるのがおかしいのだけれど、同時に自分が二人存在しているような、変な感じがする。


 そして、どうにかして元の自分に伝えられないかと思ってしまう。

 ラフィオンになんとかルーリス王国まで行ってもらって、あの日、呼び出されても絶対外には出ないようにとか、ミルフェに関わっちゃだめとか色々伝えたい。


 いいえ、そもそもは王子に目をつけられたのが悪かったのよ。

 だからあの日あの時間、王宮に仮病で行かないこと。これが一番重要な伝言だわ。そうしたら王子も私にあれこれ構わなくなって、ミルフェも私には近づいてこないはずだもの。


『でも、もし運命が変えられた場合って、今の私はどうなるのかしら?』


 精霊にならないのかしら? だとしたら運命がまた変わらないままになる?

 頭を悩ませていると、ラフィオンがふっと微笑んでつぶやいた。


「マーヤか。またよろしく」


 私の名前を記録しようとして筆を止め、ラフィオンは日記帳を閉じる。そのとたん。


『ひゃっ!』


 また私の視界が暗転した。


 暗転てこう、黒い幕が優美に引かれるんじゃないのよね。

 ばさっと黒い布を顔に押し付けられるみたいな強引さがあって、楽しくはない。けれどその布がどこかへ消えると、別な世界の光景が見えるようになるのだ。

 今は、馴染み始めた精霊の庭の様子が見える。

 そして銀緑の美しい葉を茂らせた大樹エリューも。


「エリュー」

『ああ、還って来たんだねマーヤ』


 木のうろがもぞもぞ動く、エリューの顔が懐かしい。ただいま。


「私、どうしてしまったのかしら」


 ラフィオンが魔術を使った様子もないのに、呼ばれて、今度は追い出された。


『あなたの様子を見るに、呼ばれるとあちらに召喚されてしまうようね』

「でも、ゴーレムの中に入るわけでもなかったわ。そして召喚主にも私の姿は見えていなかったの」

『そこは現世で形を得た精霊ではないから、だと思うわ。召喚術を経ていないから、あなたの器が用意されていないので、幽霊のように漂うことになってしまうのでしょう』

「幽霊……」


 だから鏡に映らないのね。でも幽霊でも、根性があれば鏡に姿を映せると聞いたことが。でも精霊の卵程度の根性では無理かしら?

 あ、それよりも知りたかったことがあったのよ。


「ねえエリュー、教えてほしいの。呼ばれた先が、私が死ぬ八年前の世界なの。もしそこで私が『元の私』に働きかけることができたら、過去が変わってしまうわよね? そうしたら私、精霊としての存在も消えちゃうのかしら?」


 運命を変えた場合って、やっぱり崖から落ちないってことよね? ということは、私は死なないのだから、精霊に転生することはないのでは、と思うの。

 その場合って、今の私という存在はどうなるのかしら?

 消えちゃうと考えると、さすがに少し怖い。

 でも私の疑問を聞いて、エリューは笑った。


『お前は、どんな形でも死後は精霊に転生する運命だから、ここへ来たのさ。だけどそうだね。細かな変更であれば、お前の記憶が塗り替えられるだけになるだろう。けれど死ぬ日時まで変わるほどの変更となれば、お前の魂はその時に戻ってしまうだろうね』

「エリューの言っていること、難しいわ。やっぱり私、今の記憶を失って消えてしまうっていうこと?」

『端的に言うとそうなるね。ただ、お前が精霊として接触した相手には、記憶が残り続ける。したことも消えない。だからこそお前は新しい人生をやり直せるんだよ』


 今の私が消えるのは、避けられないようだ。

 仕方ない。あの瞬間を無かったことにして、生き続けたいと思ったらそうなるのだろう。でも私、死んだらどうあっても人間じゃなくて精霊に生まれ変わるのね。

 ただ小さな変更でも、私の記憶が塗り替えられてしまうのだとしたら、その先に起こることも小さく変わってしまうのだろうけど……。何か不都合が出ないかしら? そもそも、変えたという達成感がなさそう。

 そのことを相談すると、エリューが言った。


『お前のように、前世の記憶を保っている者は珍しいからね、しばらくは使っていなかったのだけど。ほらこれをお使い』


 すると泉の底から、丸い石が浮き上がってくる。半透明の白い石だ。

 エリューに言われて掴んでみる。親指と人差し指で輪を作ったぐらいの大きさだった。


「これは?」

『記憶を保存するものだよ。普通は前世の記憶を持っているせいで精霊になったことを受け入れられなくて、記憶を消す選択をした者にあげるんだよ。消す時にも、やっぱり『ある』ものが『なくなる』のが怖くなる精霊は多いから、安心させるために使うだけだけどね』


 これに保存して、いつでも戻せるようにした上で、記憶を消すらしい。そして大抵の精霊は、記憶を取り戻そうとはしないという。

 むしろ私は、エリューがそんな力まで持っていることに驚いた。

 とりあえず私もこの石に記憶を保存することにする。写しをつくるようなものなので、保存したからといって私の記憶が無くなるわけではないらしいから。


 エリューの指示通り、額に石を当てる。するとエリューがいつもと違う歌を口ずさみ、ふっと自分の輪郭がぶれるような感じにぎょっとしたところで、保存が終わったと聞かされた。

 ……ドキッとして、石を額から離してしまうところだった。あぶないわ。

 無事記憶を写したものの、私は一つ疑問があった。


「エリューは過去を変えられたら困る、とか考えないの?」


『マーヤ。わたし達精霊は、時間と空間を超越した存在なのだよ。精霊が現世に生まれ出る時には、同時にここを旅立っても、現世の時間では10年前後の範囲で差があることも多い。すると能動的かどうかに関わらず、過去を変えるようなことになるわけだよ。あまり人界には影響はないようだけれどね。今さらなんだよ。だから自由におやり』


 エリューの言葉に、本当に精霊は人間と違う生き物なのだなと感じた。

 まだ、自覚は持てないけれど。



 とにかくエリューとの会話で、私は運命を変えると、人間としての生活に戻れることがわかった。

 それを私は覚えていないだろうけれど、とにかく16歳で死ぬのは嫌。

 政略結婚しか道がないのは諦めるとしても、普通の人と結婚したいし、刃傷沙汰は勘弁してもらって、静かに生きたい。妹のことも気になるし。


 そのためには、まず八年前の私に注意書きを送ってみたい。

 頼めそうなのは、ラフィオンだけだ。

 なにせ他の召喚者には、私の名前を教えるわけにはいかない。名前を呼ばれると自動的に移動するのだから。

 それにラフィオンは名前を知っても悪用する気配もなく、私に注意までしてくれたのだ。あの子なら、きっと色々と打ち明けても、誰にも言わずに手配してくれそうになる。

 代わりに、私はゴーレムとして働けばいいのだ。


 そうして召喚か、ラフィオンが名前を呼んでくれるのを待っている間に、彼はとんでもないことになっていたのだ。

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