第15話 ラフィオン~驚きは連続で襲いかかる 2

 それからさらに歩いて、十数分経った頃だと思う。

 風向きが変わったのか、血の匂いが鼻についた。ラフィオンは一瞬緊張したが、人の話し声も遅れて耳に届いた。

 間違いない。人がいる場所までたどり着いたのだ。


 ほっとしかけたラフィオンだったが、まてよ、と思う。

 真っ当な人間ではなかった場合はどうする?

 世の中には盗賊というものがいると、ラフィオンも耳にしてはいる。そういう類だった場合、助かったとは言えない。


 召喚魔法を使って脱出するには、魔力を使いすぎた上、体も疲労している。

 慎重に見定めてからと思ったラフィオンは、マーヤに静かにするよう指示し、そっと木に隠れながら、人のいる場所を伺った。


「……ムーリス」


 森から少し離れた草原に、さっきの冥界の使者から逃げていた、ネズミ型の魔獣の死体がいくつもあった。

 血の匂いはそのせいだったようだ。

 それを囲んで、馬や馬車に荷物を積みこんで帰り仕度をしているのは、緑のマントを羽織ったきちんとした身なりの青年たち。そして鎧を着た兵士達が十数人。


 青年たちは貴族以上の身分に違いない。

 間違いない。安全な人間だ。


「すみません……」


 ラフィオンはそう言いながら森からゆっくりと出た。

 声を張り上げたつもりだったが、力が入らずにあまり大きな声が出なかった。

 でも彼らも人の気配に気づいて、すぐラフィオンの方を振り向く。けれどラフィオンを不審者だと思ったのだろう。鎧を着た兵士達が前へ出て、武器を構えようとした。


「すみません。助けていただけないでしょうか?」


 もう一度声をかけながら進んだところで、足がもつれて転びそうになった。

 ふわっと体が持ち上げられたので、ラフィオンは地面に膝を打ち付けることはなかった。マーヤが抱え上げてくれたのだ。

 マーヤはそのままゆっくりと進んで、声が聞こえそうな場所で立ち止まった。相手を刺激したくない、と先に頼んでいたからだろう。


「ゴーレム? 召喚魔法の使い手か」

「確かに衣服は貴族の子供のようだが……」


 相手もざわつき始め、けれど一人の青年の言葉にそれが止む。


「子供で、怪我をしているみたいだねぇ。とりあえず訳、聞いてみれば?」


 壁をつくろうとしていた兵士をかきわけて進み出て来たのは、赤金の髪の青年だった。

 ラフィオンの目から見ても、この集団の中で一番立派な服を着ている。

 ただしシャツの襟元はくつろげられすぎていて、起きたばかりのように眠そうな目の下には、青黒い隈があった。

 ラフィオンの目から見ても、彼はまだ二十歳にはなっていないと思う。夜更かしばかりしているのだろうか。


 足取りもなんだか不安になるものだったけれど、彼は頓着なくラフィオンに近づいて来ようとした。

 それを後ろから追いかけ、後ろから羽交い絞めにした黒髪の青年がいた。


「お待ち下さい殿下、危険ですので私が!」

「あははー。拘束されるのは楽しいんだけど、見てみなよトール。明らかに魔力が枯渇しかけてる怪我だらけの子供だよ?」


 へらっと笑って、殿下と呼ばれた青年がラフィオンを指さしてくる。

 人畜無害だと擁護してくれるのは嬉しいけれど、ラフィオンは喉の奥で悲鳴を押し殺した。


 殿下? 殿下だって!?

 奴隷の子、そして魔法が使えなければ捨てることになっていたため、館からほとんど出たことがないラフィオンでも知っている。

 殿下という敬称で呼ばれている人間は、アルテ王国に二人しかいないことを。

 王子と、王女だ。


(これは逆に危ない……か?)


 普通の村人や商人なら、貴族の子供だからと交渉して、助けてもらえただろう。でも本当に彼が王子だったらそんな簡単にはいかない。貴族の子でも、近づいてきた不審者として投獄されてしまうかもしれない。

 貴族を父と兄しかろくに見たことはないラフィオンにとって、その上の身分の王子は、寛容に対応してくれる人だと信じられないのだ。


 身震いしたせいだろうか、マーヤがぎゅっとラフィオンを抱きこむようにして、一歩下がった。

 すると殿下と呼ばれた青年が、ほらほらと子供のようにマーヤを指さした。


「このゴーレム、子供を守る母親みたいだねぇ。珍しい。ねぇお前の名前は?」

「せ……セネリス男爵の子、ラフィオンです」


 急いで答える。すると殿下は自分を羽交い絞めにしている青年を、笑顔で振り返った。


「ほら男爵の子だってさトール」

「とにかく下がっていて下さい。おい、五人くらいで殿下を捕まえておけ」


 トールという名前の黒髪の青年は、まだ渋い顔をしながらも殿下を離し、何故か他の従者らしい男達に殿下を拘束させた。

 揃いの黒の上着を着た男達は、慣れた様子で殿下の腕や足や胴を捕まえる。


 ラフィオンは戸惑った。

 酷い絵面だ。これは一体どう考えたらいいんだろう? しかも拘束されてる本人は嬉しそうに微笑んでいる。


「人に掴まえられてるって、なんかいいよねぇ」


 くすくす笑う殿下の様子に呆然としていたら、トールがラフィオンに近づいてきた。


「お前、セネリス男爵の子供だというのは、間違いないのか」


 尋ねられて、ラフィオンは急いでうなずいた。


「なぜこの森にいた」


 その問いに、正直に答えるかどうか迷った。でも、魔法を使えるようになったばかりのラフィオンが、一人でここまで来た理由を作るのは難しい。


「兄が、俺を嫌っていて……。召喚魔法で呼び出した風鷲に捨てさせたんです」

「やだかわいそーじゃないかー。じゃ、家に帰れないんじゃないのかい? うち来る?」

「ちょっと殿下、話の腰を折るの止めてください!」

「えーつまんないー」


 ヤジを飛ばして来た殿下を一度怒り、トールは言った。


「いいでしょう。一応、ここまで私が近づいてもゴーレムに攻撃させる様子もない。君の兄のことは、一度見たことがあるのでやりそうだなというのが想像はつく。そのゴーレムの魔法を解除したら、君を保護しよう」

「あ、ありがとうございます!」


 なんとか信用はしてもらえたらしい。

 ほっとして、ラフィオンはマーヤに降ろしてもらって彼女の方を向く。


「ありがとう。保護してくれる相手が見つかったから、安心していいよ」


 話しかけると、マーヤは『本当?』と言いたげに自分を見ている気がした。

 うなずいてみせたら、マーヤもわかったというようにうなずく。


「それじゃ、お帰り」


 ラフィオンはマーヤの召喚魔法を解いた。

 ゴーレムを形作っていた土が、魔力を失ってどさりとその場にくずれて小さな山を作る。

 それを見てほっとしたとたん。


「おい、ラフィオン・セネリス!」


 ラフィオンも気力で持たせていたものが切れてしまったのか、そのまま意識を失ってしまった。

 だからその後の会話は聞こえなかった。


「ほら、気絶するほどボロボロだから危険じゃないかっただろう? トール」

「わかっていますが……。魔獣の巣みたいな森の中、しかも私達でさえあんなに沢山のネズミどもを倒したんですよ? 森の中にいたこの子が、ネズミどもの大群に会っていないはずはありません。それをかわすなり倒すなりして出て来たはず。……普通の子供ではないでしょう。警戒するしかありませんでした」

「だねぇ。でもそうだとしたら……ちょっと懐柔してみたくないかい? この子」

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