Bonus Track

If It didn't happen

No Ground Zero

「私、高校辞めたから」

「えっ?」


 秋穂の言葉は、僕、仙道達也の思考を止めた。

 学校帰りには衝撃的すぎる言葉だった。秋穂は言った。

「そこに私の人生はないんだよ」


 まるで独立宣言のようだったのを覚えている。

 既に退学届けは受理されているのだそうだ。

 秋穂は留学がしたいらしい。


 僕が反対すると、彼女は不機嫌になった。

 こうなると、お手上げ。

 いかなる手段をもってしても、彼女の心は動かせない。


 周囲の声は大反対だった。

 そんな逆境を押し切って、僕と秋穂はニューヨークのマディソン・スクェアに居る。


 留学先を下見しにきたのだ。

 そびえ立つ無機質なビル群。


 賑やかではあるが、どこか依存体質向けの地区だと思えた。

 栄華や名声。

 僕はそんなものには興味がない。


 秋穂に連れてこられてものの、どうやらここに僕の居場所はなさそうだ。

 シェークスピア風の言い方をするならこうだろう。


 To be or not to be在るべきか、在らざるべきか. That is the questionそれが問題だ.


 スポーツアリーナの前にある通りには、イエローキャブが並び、歩道には多くの人が忙しそうに歩いている。

 まるで落とした時間を探しているかのようだ。

 その中で秋穂は憂鬱そうな表情を浮かべている。


 どうしてか?


 ニューヨーカーの間で交わされる英語は早く、別の言語にしか聞こえない。

 まるでまくしたてているかのようだ。

 秋穂は自分の英語が通じない事に驚き、そして、途方に暮れていた。


 さて、どうしたものか。


 ビジネスマンが僕達にぶつかる。

 彼は避けようともしなかった。


「ヘイ、キッズ。どこを見ている?」


 靴は磨き上げられていて、着ているスーツは生地も良い。

 仕立ても悪くないようだ。

 手にしている雑誌はビジネス誌。

 開けられているベージから推測すると金融関連に務めているらしい。


 おそらくアメリカ生まれのアメリカ育ち。

 生粋のニューヨーカーだろう。せき立てる言葉の中に、訛りと濁りは含まれていなかった。


「ごめんなさい」


 謝る秋穂にビジネスマンは吐き捨てるように言った。


「日本人か? お前達の英語はわからないんだよな」

 秋穂はそれを聞き取れたらしい。両肩が落ちて、悲しそうな顔をした。


「ちょっと待て」


 僕はビジネスマンに声をかけた。

「何の用だ、ロミオ?」


「クイズをやってみないか?」

「何だって?」


 ビジネスマンは大袈裟に顔をしかめて見せた。

「ヘイ、ただのクイズだ。試してみろよ、ビジネスマン」


 鼻先で笑われたが、もとより僕は何も感じない。

「オーケー。来いよ」


 ニヤついている。彼の目の中に落ち込んで、沈みそうになっている秋穂が見えた。

 僕は口を開ける。

「二カ国語喋れる奴はバイリンガル。

 三カ国語はトリンガル。

 さあ、たった一つの言葉しか喋れない奴は何て言う?」


 彼は頭を捻った。

 答えは出てこなさそうだ。

 手にしていたビジネス誌を丸めて腕組みをしている。


「ところで、ビジネスマン。あんたの名前を教えてくれよ」

「あ? レイモンドだ」


 僕は彼を指差した。

「それが答えだ」


 僕は秋穂の手を引っ張って、交差点の方へと歩いてゆく。

 秋穂は先ほどのクイズの答えを探しているのか、難しい顔をしている。


「たっちゃん。さっきの答えって何?」

「そんな事はどうでもいい。あんな奴に秋穂が関わる必要はない」


 ここは人が住むような場所ではないのでは?

 交差点を渡ろうとすると、ビルのガラスに反射して、日の光が斜めに差し込んできた。



 雑踏の中、秋穂の白いワンピースが映えて見えた。

 透き通ったスカートに、彼女の細い足がうっすらと浮かび上がっている。光の鱗粉が彼女を包む。

 まるで天使を見ているかのようだ。

 僕は思わず立ち止まる。頭の中にある時間が止まった。


「どうしたの?」

 突然動きを止めた僕を見つけ、秋穂は小首を傾げる。


「何でも無い」

「変な、たっちゃん」


 彼女は笑った。ここしばらく秋穂は笑顔を見せてくれなかった。

 秋穂の微笑みを見るのは久しぶりだ。


 大切な事を忘れていた。

「秋穂。僕の答えが見つかった」




 To be with you君と一緒に. That is the answerそれが答えだ.

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Public Enemy Inc. 綾川知也 @eed

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