22.破滅の足音は早い

 劉の声がスマホから聞こえてくる。

「山田さんと鈴木さんですか?」


 覚醒剤取引について話す時、劉の卑屈さは消える。繰り替えされる取引の中で、彼は強くなった。

 心許ないが日本語もかなり使えるようになっている。


「そうだ。あいつらは一番上の親会員だ。お前の所に顔を見せているだろう。あいつらはどうしている?」

「そうですね。山田さんは今でも時々、新規の客を連れてきます。それに山田さんの所へは結構な量を卸しています。どうやら、自分自身でもさばいているみたいですね」

「あいつはブローカーになったのか」

「ええ、山田さんの場合、かなりの量が吐けるので、良いお客さんですよ。トラブルもないですし。今では量が多すぎるんで、こちらから山田さんの所に運んでいるぐらいです。でも、急に電話だなんて、何かあったんですか?」


 劉の声に不安が見え隠れしだした。微かな声の震えが、僕の鼓膜を舐める。


「そうか。鈴木はどうしている?」

「あの人はもう駄目ですね。上位会員なので金はいくらでも入るんですが、覚醒剤漬けの生活をしているみたいです。身体がガリガリに痩せてしまって、目も落ち窪んで、まるで骨を見ているようですよ」

「そうか」

「店には来るんですが、あの人の子会員の方が商売は熱心です。鈴木さんの面倒もその人が見ているぐらいです」


 鈴木の姿を思い浮かべようとするが、頭の中で像を結ばない。

 どこにでもいるような女だった。結局、彼女を特別と思っているのは彼女だけだった。


「あの二人は僕の事を何か言っていたか?」

「えっ」


 僕は劉が息を飲むのを聞き逃さなかった。

 言葉は心の尻尾だ。


「言え、劉。お前とは一番最初からの付き合いだ。それにお前は僕達の仲間では、四番目に稼ぎをあげている。何もしやしない。正直に言ってくれ」

 電話の向こう側に劉が居る。声で彼を捕まえようとする。

「だけど」


 劉は言葉に詰まった。

「聞いている事があるだろう。頼むから教えてくれ。なあ、劉、僕達は仲間だ。教えてくれ。お前も今の職を失いたくないだろう? お前の家族も送金を待っているんじゃないのか?」


 シャフバンダルの言う通り、リカルドを殺してからというもの、組織の雰囲気は荒れている。

 新入りも増え、ヒビは更に大きくなっている。皆は僕との距離を置くようになってきた。

 話をしても余所余所しく、言っても別の事に気を取られているような事が増えた。



「……ちょっと、考えさせてくれないか」

 沈黙の後に劉が答える。歯切れの悪い言葉に何かが隠れている。

「いいや。劉、選択の余地はない」


「どういう事だよ、ウノ?」

「あいつは警察に目を付けられているんだ」


 嘘だ。

 劉との会話はいつも嘘で塗固められている。彼は動揺して言葉を失う。

 電話の向こうで息を荒くしていた。


「そこにはお前一人か?」

「そうだ。俺一人だ」


「本当か? 通話を映像通話に切り替えて、周りを映してみろ」

 劉がいるのは、覚醒剤取引を行う際に使っている部屋だ。

 この前、偽名で借り上げた。こじゃれた空間で個人的には気取った感じは、僕好みではない。


 劉から送られてきた画像には誰も映っていなかった。

 大理石の文様が壁の中で悶えている。乳白色に囲まれた静かな部屋で悶えている。


 毛足の長い絨毯が敷き詰められ、向こうの壁にはピカソのゲルニカのタペストリー。

 瀟洒しょうしゃな雰囲気の中に誘惑が潜んでいる。


「劉。話してくれ。お前と王が何を聞いているのかを」

「わかったよ。山田さんはウノの事を同級生と言っていた。ウノが日本人である事も言っていたよ。俺も最初は嘘と思ったけれど、鈴木さんも同じ事を言っていた。何度かそんな事を聞いている内に、本当だと思った。でも、誰にも言っていない。本当だ。信じてくれ」


 やはり。劉は必死に声を保とうとするが、彼の中国語の声調が著しくおかしくなっていた。

 僕の周囲は徐々に崩壊を始めている。僕の正体が仙道達也で有る事が漏れ始めていた。

 終末が音も無く忍び寄ってきているようだ。


「劉は僕の事は喋っていないんだな?」

「ああ、信じてくれ。本当に誰にも喋っていない。俺を殺さないでくれ」

「劉、僕が仙道達也である事を陳に報告している事は既に聞いている。他に言った奴はいないのか?」


 陳が僕の事を知っているのかはわからない。カマをかけてみた。

 細い劉の感情を切らないようにして会話を続ける。それを聞いて劉は震え声になった。


「俺は喋っていない。本当だ。さっきも言った通り、誰にも言っていないんだ。陳大人の所で送金するけど、俺は何も言っていない」

「そうか。お前じゃなかったのか。誰だろうな? 王か?」


 一拍の間が開く。鼻息の音が聞こえてくる。

「わからない。そうかもしれないし、そうでないかもしれない」

「劉。何をお前は怯えている。さっきも言ったろう? お前の替えはいないんだ。本当だ。信じてくれ。お前は殺さない」


 おかしなものだ。

 お互いが、お互いを信じてくれと言う。

 それは二人の間に信頼関係が築かれていない証拠だ。


「ああ、ウノ。俺だって、お前を信じたい。信じたいさ。だけど、どうしてリカルドを殺したりしたんだ。全部はわからないけれど。だけど、皆がウノの事を噂しているんだ。あいつ本当にイカレてるんじゃないかって。そんなのを聞いていると、俺もいつ殺されるんだろうと心配になるんだ」


 リカルドを殺した理由が疑わしい。

 皆はいつどういった理由で殺されるのかわからないから怯えている。

 シャフバンダルが恨めしげな顔をして報告してきた事がある。


 彼はメルキアデスとは異なり、士気や規律を重視する。だから余計に雰囲気を重く見るのだろう。


「それでなくても、ウノは残酷だ。人を殺す時、悪魔のような事をする。俺はいつだって震えていたよ。こいつは本当に悪魔か鬼で、人間でないのかも知れないと思ったもんだったよ。胡が殺された時、俺は三日ほど眠れずに、泣きながら過ごしたよ」

「そうか。胡には悪い事をしたな。あの時は組織が固まっていなかった。僕達は走り出した所だ。裏切り者を出さない為には仕方がなかったんだ。胡の死がお前を傷つけたのなら、謝るよ」


「簡単に謝らないでくれ!」


 劉は叫んだ。それは悲鳴に近かった。


「お前が残忍だというのなら、それは理解できる。そういう人間なんだと思うから。だけど、謝るのは別だ。そうなると、何か企んでいるように思えて仕方がない。お前を信じたい。だけど、お前がどんな人間なのか見えてこないんだ。会話ができる、人とは違った化け物と話をしているような気がして、怖くなるんだ」

「そうか」


 僕は自分が他人からどう見えようが知った事ではない。

 そんな事はどうでもいい。


「では、劉。お前は僕の事を、誰にも言っていないと言うんだな。それでお前は良いんだな。それがお前が選んだ選択という事でいいんだな」


 言葉に力を込める。

 携帯を通じ、刃となって劉の心に刺さるはずだ。


「脅すなよ。ウノ。本当にそれだけだ。細かい事を言うと、お前がどこの高校に通っているだとか、勉強が恐ろしくできるとか言っていたけれど、それぐらいだ」

「王は他に何か知っているか?」

「王に聞かないとわからない。奴も同じ事を知っていると思う。ウノが日本人という事は知っていたから」

「そうか」

「俺達は殺されないよな」


 怯えは電波で伝わる。彼が小刻みに震えているのが見える。


「ああ、当たり前だ。ただ、お前に頼みたい事がある」

「何だ?」

「山田と鈴木を殺す。一番面倒のない方法を教えてくれ」

「やっぱり殺すのか」


「ああ、お前達は僕の怖さを知っている。だが、山田と鈴木は別だ。あいつらは僕の怖さを知らない。だから、殺すしかないんだよ」


 溜息が一つ。

「山田さんの場合は、薬を運びに行く。あの人は薬を受け取る時は、自分一人だけで受け取るんだよ。だから、そこを襲えば良い。鈴木さんはもう長くない。放っておいても、死んでしまうんじゃないかな」


「僕は今、鈴木を殺したいんだ」


 溜息がもう一つ。


「鈴木さんは部屋の奥で覚醒剤を吸引する。最近はいつもだ。この店の奥の部屋で吸引している。新しいサンプルが入ったと言って、毒物を混ぜれば、簡単に殺せるだろう」

「そうか。殺す時に、人手は必要か?」

「いる。死体の始末ができないし。俺一人だと、どうしても不安だ」


 いつもの調子が戻って来たようだ。返事は軽く、力を帯びている。

「わかった。俺と何人かが、そちらに行くようにする。来る日付は特定できるか?」


 山田と鈴木。僕の学友。

 同じ日本人でいながら、ついに彼らを理解する事はできなかった。山田と鈴木が他の連中に、僕の事を話している可能性がある。


 人の繋がりは思わぬ所で結びついているものだ。

 僕の事を知っている奴を順番に殺していったら、最後に残るのは僕だけになるだろう。


 破滅と言う名の魔物が大きな口を開けて迫ってきている。



 僕が早いか?

 それとも、破滅が早いか?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る