02.サイコパス・ダイアリー 2/3

 朝のニュースを見ると、コンテナマンのニュースが報道されていた。


 彼らはいずれも中国国籍だそうだ。

 ニュースキャスターが不法入国者だと、関心無さげに言って、次のニュースへと移る。

 茶の間に嫌な感じを残さない為だろう。


 耳障りの良い物だけを拾い集め、玩具のような連中が増えていく。

 表層的な飾りで満足する連中。


 母親がそうだ。

 教師がそうだ。

 皆がそうだ。

 どいつもこいつもそうだ。



「なあなあ、仙道ちゃん。仙道ちゃんってばよ」

 授業中だというのに隣に座っている男、山田が僕の名前を呼ぶ。

 面倒くさいので放っておく。

「おい、仙道。聞いてんのかよ。おい、殺すぞ。このクソ仙道」

「キれるなよ」

「おっ、返事した。最初からそうしろよな」

「で、何だよ。用事があるんだったらさっさと言え」

 山田は机から乗り出すようにして長い顔を寄せてくる。


「昨日頼んでおいたブツさ。注文してくれたかよ?」

「何かと思えばそんな事か。注文した。トラックナンバーをメールで送っておいたから、場所を確認したければ、そいつで確認すれば良い」

「トラックナンバーって何だっけ?」


 道に迷った馬のような顔。

「伝票番号だよ。この前注文してやった時も説明した。メールも送ったはずだ」

 こいつは本当に学ばない。


 山田は自分では要領が良いつもりなのだろう。

 短く刈られた毛は茶色で染められ、軽佻けいちょうな彼らしかった。

 だが、山田は高校生にもなるのに、英語のページで通販の注文すら満足にできない。

 彼の活動範囲は日本語に限定されている。


「ああ、英語だからな。俺さ。英語見ると寒気がするんだよ。仙道ちゃんとは違ってよ。それにしても仙道ちゃんはすげえよな。英語ペラペラなんだろう?」

「ああ、常識だろう。自分で注文してたら自然と覚えるようになる。次から自分で注文しろ」

「ちょっと褒めてやったからって、調子に乗のってんじゃねえぞ、仙道。俺は英語読めねえつってんじゃねえかよ。聞いてなかったのかよ」


 感情が安定していないのか、彼は直ぐに苛つきを滲ませる。

 低く抑えていた声のトーンが尖ってきた。

「自分でやらないと、いつまでたっても覚えない。親切に教えてやっているんだ。僕はお前のママじゃない」

「ちっ、うるせえよ」


 拗ねたようだ。彼は自分のスマホを操作し始めた。来年の彼の席は低ランクのクラスになるのだろう。

 会話も終ったので、授業に自分の意識を戻す。白髪の高齢教師が教科書通りの事を喋っている。


 この教室は前に二面。左と右の壁に一面づつ、ホワイトボードが取り付けられている。

 授業はその全てのボードを使って進められる。

 授業についてこれない者を待ってはくれない。

 学費は授業を受ける為に払っているのであって、落伍者に投資する為じゃない。

 以前に教師がそう言っていた。



「達也君。達也君」

 今度は反対側の女子生徒だ。鈴木という名前だった。

 ショートボブは明るめの色に染めており、スカートも短めにしている。

 どいつもこいつも、どういうつもりだ。悪態をつくかのように返事する。


「何だ。今度は?」

「あのさ。今日の夕方って空いてるのかな? 空いていたら最高なんだけど」

「何があるんだ?」

「うーんとね」

 間を持たせるような喋り。

 上唇をあげ、リスのような前歯が覗いている。醜悪だった。


「早くしてくれないか? 授業に集中できない」

「おお、怖い、怖い。達也君ってさ。キレたら怖いんだってね」

 猫なで声が邪魔臭い。

 その仕草が可愛いとでも思っているのだろうか?

 彼女は自尊心に曇った目を良く磨き、鏡で自分の姿をもう一度よく見るべきだ。


「別に僕は怖くはない。それで夕方に何があるんだ?」

「あのね。秘密」

「もういい」

「嘘、嘘。達也君って、本当に冗談通じないよね」

「で、何?」

「合コンがあるんだけど。その中にね。達也君に気がある女の子がいて、誘ってくれって言われてるんだ。どう? 嬉しい?」

 僕の目を探っている。

 彼女が僕に期待している反応はわかるが、全く興味はない。


「別にどうでもいい」

「何それ? 達也君って、どっか冷めてるね。それが格好良いとでも思ってるわけ? クールだとか思っちゃってるわけ?」

「本当にどうでもいい」


 要領を得ない会話を続けられるのが、たまらなく不快だ。

「つうかさ。やっぱ、彼女が死んだ事で落ち込んでるわけ? それで苛立ってるんだ。どう、図星じゃない?」


「は? 誰だ彼女って?」

「ほら、誰だっけ。あれっ、名前を忘れちゃった」

 鈴木はこめかみに人差し指を当てた。


「秋穂の事か?」

「そうそう。達也君ってさ。秋穂と付き合ってたんだよね」

「何だ、それは?」

「でも、色々噂聞いたしぃ」


「うるさいな。いい加減黙れ」

 鈴木はいつまでも話を止めようとしない。意味のない無駄話を延々と続ける。

「怖いよ。目が怖い。達也君。ちょっとアブないよね。色んな噂を聞いたよ」

「……」


「秋穂とは幼稚園の頃から同じだったんでしょ? 家も近いみたいだし」

 僕と秋穂は母親同士の仲が良かった事もあり、何かと一緒にいる事が多かった。

 だが、覗き込んでくる鈴木の視線が鬱陶しい。


「女はそんな話好きだな」

「じゃ、秋穂とは何でもなかったんだよね。あっ、コレは私が達也君に興味があるわけじゃないから。興味があるって子に聞いてくれって言われてるだけだから」


 小学生の頃、秋穂の首を絞めたと言ったら、鈴木はどういう反応をするのだろう?

 脳裏の蘇る彼女の白い首。そして、力なく垂れ下がった細い指先。

 何故かコンテナマンを思い出した。


「何もない。いいから黙ってくれ」

 執拗しつように食い下がる鈴木。集中力が乱され、僕は迷惑している。

 彼女はそれを理解していない。無神経さに苛立ちを覚える。


「したら、合コンに参加してくれるって事でいいよね」

「僕には関係のない話だ。他の奴を捕まえればいいだろう」

「何それ。頼まれた私の立場がないんですけど」

「知った事か。自分の問題は自分で解決しろ」


 僕が断ると途端に機嫌が悪くなる。頬を膨らませた表情が醜い。

「何コイツ。マジウザいんですけど」

「うるさい。黙ってろ」

「何気取ってんだよ。コイツ」


 僕は馴れ合いが好きじゃない。

 連中と適当に話を合わせる事もできる。

 しかし、そうなると僕の時間をこいつらの為に費やさないといけなくなる。

 時間を捨てるのと同じだ。何の意味もない。

 こいつらの有様を見て、何か価値があるものを得られるとは思えない。

 嫌われていた方が楽だ。


 つまらない授業が続けられている。

 ホワイトボードに書かれた例題を解いてゆく。それほど難しいものではない。

 基本から少し形を変えた応用だ。

 周りを見れば、頭を掻いている者もいる。こいつも来年は低ランククラス入りだろう。

 ノートを滑る鉛筆の音の中、彼の焦りの時計が進んで行く。


 僕達の学校は進学校だから、競争が激しい。

 テストの点数が一点違えば、人生も大きく開きがでるのだそうだ。

 だから、一学期の終わり頃になると、競争についていけずクラス内で挫折する者も出てくる。


 抵抗する者もいるが、多くの場合、自分が傷つかないようにする為に、合コンや他の事で自分の意識を逃がす。


 勉強ができたとしても、それが幸せかどうかわからない。

 今の時代、ネットを見れば、自分の人生が大体想像できる。

 高度に情報化された社会に占いは必要ない。

 僕達の前には電子化された、乾燥した未来が広がっている。


 例題の答えを教師が書き終わると、授業終了のチャイムが鳴った。

 生徒の間からため息が漏れる。椅子の上で伸びをしている者もいた。


 前の席の男が僕の方を振り返る。

「よお、仙道。お前、授業中うるせえんだよ。もう少し静かにできねえのかよ」

「僕に言うなよ。山田と鈴木に言ってくれないか。僕の責任じゃない」

「あいつら落ちこぼれなんだから、相手にすんなよ。自分と同じように落ちこぼれて欲しいから、お前を誘ってんだよ。それぐらいわかれよな」


 山田や鈴木に聞こえるような大きな声だ。

 彼らに聞かせる為に言っているのだろう。

 見れば二人とも、黙って俯いている。屈辱に身を震わせているのが見えた。

「ああ、女はいいよな。股を開けば、将来は安泰。勉強しなくてもいいんだからよ。羨ましいぜ。勉強できなくても、馬鹿とつるんで合コンでもやってればいいんだから、気楽なもんだよ。なあ、仙道」

「ああ、まったくだ」


 鈴木が大きな音をたてて席を立つ。

 どうでも良い。彼女が僕の人生に影響を与える事はない。

 彼女はここを去り、自分の背丈にあった生活をするべきだ。



 僕にあった生活?


 僕にだってわからない。コンテナマンが僕の心の中で泣いていた。

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