23.イン・デヴィル・ウィ・トラスト
山田は行方不明になり、彼の子会員は劉との直接取引に切り替わった。彼らは高校生であるものの、ビジネスライクに割り切りができている。
覚醒剤はほとんど使用せず、売り捌いて金儲けをしている。覚醒剤との一番正しい付き合い方だ。
鈴木は連れて来た友達の隣で、眠るように死んだ。鈴木の権利はその友達に移行させた。
劉の話によると、彼女は鈴木の取り分を掠め取っていたらしい。だから、移行には手間がかからなかった。
彼女はとても現実的で、ビジネスというものがわかっている。ビジネスには感情は不要。愛情など必要ない。
「これから鈴木の取り分は君のものになる」
上品な絨毯の敷き詰められた部屋でその言葉を発した時、彼女は能面のような顔をして見せた。
だが、鼻の下にある
覚醒剤の売買する人間を、まるで親の仇のように憎む連中がいる。彼らは何か勘違いをしている。
全ての欲望は金額が付けられ、供給される。商品に悪いモノだとラベルを付けた所で、そこに欲望があるなら、誰かが供給する。
それを否定したければ、資本主義を否定する事だ。
神の見えざる手が僕達だ。
ビルの広間に主立った者が集まっている。壁はハンマーで取り除かれ、元あった部屋の仕切りから、パイプや配線が伸びきった身体を晒している。
僕を中心にして、右にシャフバンダル。左にメルキアデスが立っている。
僕達三人の前には四十五名の男達が、思い思いの姿勢で私語をしている。それらは重なり合い、まるで潮騒を思わせる。彼らの濃い体臭は混じり合い、それは饐えた臭いになって、闇雲に熱気だけを煽る。
今回は全員に呼集をかけている。何が起こるのかと全ての者が戸惑っていた。
恐怖と金で絡めていた忠誠心は、リカルドが殺害されてから、剥がれつつある。
シャフバンダルは新人が急増しているのを快く思っていない。それでなくとも、組織に無数の細かいヒビがある。
不審感により、それらは割れ目へと変わってゆく。
メルキアデスはむしろ頭数は力だと言っているものの、新参者の増加は組織の規律を揺るがせる。
「見ろよ、ウノ。この有様を。誰も話を止めようとしない。増員しすぎだ。規律が守れない。こんな状態だと、いずれ逮捕される奴が出てくるぞ」
彼は片手を集まった連中に方に広げて僕に迫る。眉間に掘られた
「シャフバンダルは不満か?」
「ああ、気に食わない」
メルキアデスが間を取りなすように、会話に加わってくる。黒い肌で表情は読みにくい。彼の白目だけが異様に白い。
彼の視線は低く、僕達の様子を油断なく覗き込んでいる。
「シャフ。俺達は強くならないといけない。何か起こってから、増員しているのでは間に合わないだろう?」
「このままだと捕まる奴が出てくる。規律が守られていなければ、一人捕まれば、芋づる式に引っ張られる。俺もお前もだ。そうなれば全滅だろうが。違うか。メル?」
「待て。シャフバンダル、メルキアデス」
詰め寄るシャフバンダルをメルキアデスが両手で止めた。シャフバンダルはいからせた肩を戻して、息を吐く。擦り切れた軍服に縫い付けられた鷲が泣いているように見えた。
「わかった。ウノ。お前がリーダーだ。しかし、アサドはどうした?」
「アサドは別行動をしている。ここには来ない。チーム分けも、彼らは除いている」
「この所、路地裏で活動しているみたいだが、何を企んでいる?」
「計画の一環だ。時期が来たら教える」
「どうしたんだ、ウノ。最近、おかしいぞ。どうなっている?」
詰め寄るシャフバンダルに制止を求めたのはメルキアデス。目を沈ませて、話に割って入ってきた。
「待て。ボスには何か考えがあるんだろう? 俺達の考えとは別にあるんだよ」
絡まった糸のように、僕達の会話は出口を求めて疾走する。
「シャフバンダル。皆こちらを見ている。僕達三人が乱れているのを、他の奴に見せると、士気に関わる。だろ?」
メルキアデスの目線が感情を抑えろと雄弁に語っていた。
瞳の場所は最初と違ってウロウロとはしていない。それを受けシャフバンダルは顎をあげた。
「ウノ。お前は変わった。最初はサイコだったが、今はオーバー・サイコだ。何を考えているのかわからない」
「シャフ」
「何も言うな。自分の立場は理解している」
元イラク軍人は息を吸う。胸郭が膨らみ、目元には力が入ってきている。
「皆! こちらを注目しろ! 話をしている奴らは口を閉じろ。閉じなければ、鉛の玉で閉じさせるぞ!」
低い屋根に号令がこだまする。広間が一瞬で引き締まった。縦横無尽に走っていた綻びが閉じた。
皆の目がこちらに殺到するが、シャフバンダルは揺らぐ事無く言葉を続ける。
「これから計画を伝える。この話を漏らした奴は殺す。必ず殺す。自分の国に帰ろうが、地球を脱出しようが、どこでもだ。中国、中東、アフリカ、中南米。どこにいようと、裏切り者は必ず殺す。死ぬ準備ができていない奴は、ここから出て行け」
この四十五人の連中の中にスパイはいるか?
間違いなく居るだろう。
シャフバンダルへと集まる奴らの横顔を見ながら、そんな事を思った。
号令の後、僕は一歩前に踏み出した。
皆に命令を下す。
こちらに向けられる視線に、疑いや嫌悪が混じっているが無視をする。迷いや
「これから誘拐を行う。誘拐する対象はリーダーに伝える。誘拐対象は一人ではない。六人だ。六人を同時に誘拐する。今回は対象に大人も入れている。任務が与えられた者は訓練を繰り返せ」
静まりかえった室内。古びた天井からも軋み音一つしない。
「誘拐対象を六人にした理由は簡単だ。今までの警察の誘拐事件への対応方法は、一つの誘拐事件にしか対応していない。彼らのマニュアルには複数同時発生した場合の対処法はない。警察の人数は有限だ。そこを狙う。質問はあるか?」
彼らは僕の目を見ている。僕の正体を確認すべく覗きに来ている。
「これは警察にとって始めての試みになるだろう。今回の行動で、自分の身に危険が及んだ場合は、身代金受け取りを忘れ、即座に人質を殺して逃走しろ。人質は容赦なく殺せ。余計な欲は必ず死を招く。シャフバンダル。続きの指示をしろ」
前に出ていた僕に代わってシャフバンダルが前にでる。
彼が放射する圧力のせいか、何人かが後ずさりした。
「いいか。これからチームを分ける。そして、ウノから襲撃する相手と、その誘拐手順を書いたシートを受け取れ。文字が読めない奴は俺かメルに聞け。いいか。情報は全て頭に叩き込め。メモも一切禁止する。自信がない奴は降りろ。失敗すると金を手に入れられないばかりか、命を失う事になる」
複数同時誘拐は初めての試みだ。警戒体制は日々厳しくなってきており、それに対応するべく警察を
これまでは誘拐をする場合、めぼしいメンバーを決めた後、チームを作って実行させていた。
厳しい訓練を何回も繰り返し、対象の行動パターンを探った後に実行する。地道な努力の結晶が今の僕達だ。
シャフバンダルの気迫が全員の頭を押さえる。硬質な圧力となって、叩き付けられる。疑問を許さない一方的な圧力だ。
彼は人の群れに中に入ってゆき、チームを分けてゆく。
見守っている僕にメルキアデスが耳打ちする。
「陳の所から、メッセンジャーが送られて来たぜ」
「それは本当か?」
「ああ、連中は何がしたいの不明だがな。どうも中国人は何を考えているのか、今一つわからん」
メルキアデスが僕の顔色を見ている。
声は聞こえないようにする為か、感情を出さないようにする為か、低くて控えめだ。周囲に気取られないよう、口の動きも最小限にしている。
「陳の事だから、お前を仲間に引きずり込みたいのかも知れないな」
「その可能性もある。いっそのこと陳を襲うか? かなり金を貯め込んでいるんだろう?」
「止めておけ、奴を襲うと、近辺の中国人が黙っていない。絶対数が違いすぎる。この時点で敵を作り回るのは得策じゃない。奴とは共存して、必要な時に圧倒的な圧力をかける」
僕の答えにメルキアデスの声のトーンが上がる。真っ直ぐに前を向いたまま、会話は続けられる。
「それだけでいいのか? 奴を叩かないておかないと調子に乗るぞ?」
「叩くのは今ではない。まずは軍資金を確保する。この中にも陳の息がかかった、スパイもいるだろうがな」
この前の陳は、リカルドが殺され僕の組織が荒れているのを知っていた。
内部情報が多少流れるのは仕方がない。だが、どの程度かは知っておく必要があった。
メルキアデスがその疑問を埋めるべく、小さく呟いた。
「陳の息がかかった連中というのを俺は知っている」
疑わしい。直感でそう思った。メルキアデスは中国語を喋られない。
誰から、どうやって聞き出したのか?
疑い出せばきりがない。同じ所を何度も巡り、それは誰かが死ぬまで続くのだろう。
「陳に通じている奴のリストはあるか?」
「リストはない。今、シャフバンダルと話をしている中東人。あいつはペルシャ人なんだが、こいつがまず陳と通じているらしい」
「あいつは新顔じゃないだろう? 昔から居るはずだがな」
確かあの男はイラン国籍で、最近周囲ともうまくいっていない。あの男が陳と内通するなら、英語、アラビア語、ペルシャ語のどれかになる。
陳の所に英語を喋る連中がいないわけでもない。
「だが、言っていた。あいつの家族が国外に出る必要があるらしい。家族がイランからアゼルバイジャンに移動するらしく、金がいるとか言っていた。それと、その隣の色が黒い奴。あいつもだ」
僕は目線を移す。知った顔だ。ラヒームの隣で、困り顔をして周りに質問をしている。
「証拠は何かあるのか?」
「ボス。頼むぜ。こういうのは証拠なんて無いんだ。あんたも理解してるだろう? 疑わしい奴は殺す。間違えれば、後はその理由をでっちあげるしかない」
メルキアデスは元々出身がコマンド・ヴェルメーリョだ。
内部抗争を繰り返してきている。疑わしきは罰する。それが彼の行動原理なのだろう。
ただ、彼ははリカルドの件を知っている。僕に同意を求めてきているのは、自分と同じと思っているからだろう。
「そうか。考えておこう」
根掘り葉掘り尋ねた所で、嘘なら嘘を被せてくる。真実はいつだって、自分で選ぶしかない。
それが事実と異なったとしてもだ。
「どうやら質問があるようだ。俺は行くぜ」
メルキアデスはそう言うと、南米人チームの所へと向かう。雑然とした群衆の中に彼の背中が消えてゆく。
今回のチーム分けは、同じ言語を使えるという点も加味している。正確な意思疎通ができていないとリスクが高くなる。
メルキアデス。
シャフバンダル。
二人をどこまで信じればいいか――
誰も信じるべきじゃない。それが答えだ。
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