27.ノーマンズ・ランド
子供の絶命時の悲鳴を送信し、十分後に電話をかける。受話器から親の悲鳴が聞こえてきた。
相手は手にした金を撒き散らしている事だろう。
今は通りにいるらしい、車のクラクションの音が受話器から聞こえてきた。
「どうだ。警察に通報するからだ。約定を破棄したのはお前。だから、これはお前が選択した結果だ。警告はしていた。そして、お前はわかったと言った。しかし、お前は裏切った。恨むなら自分を恨め。警察を恨め。お前の子供を殺したのはお前だ。警察だ」
通話を切る。
「次の場所に移動する」
「ボス、いくらなんでも警戒しすぎじゃないのか? 次の電話もここでやればいいだろう?」
「いいや。こいつは警察に僕達の事を通報していた。今、電話したその情報を元に捜査線を展開しているだろう。あいつらは素早いぞ。油断ならない狐だと思え。数分もしない内に、警察官がこの辺りを訪問して回るだろう。出入りする道には非常線が張られているかもしれない。急げ」
シャフバンダルは異存がないようだが、メルキアデスは違うらしい。納得していない顔をしている。
「この前電話した、あの廃屋があるだろう。県境近くの。あそこは今、捜査官が詰めていると報告がある。ダークウェブでそういう情報があった。警察は相当に焦っている。電波を検知してから捜査員を送る時間が短くなってきている。今回、人質を殺しているから尚更奴らは必死になる。名誉挽回とばかりに全力でくる」
「人質が殺害された場合、警察が介入したからだと、世論が警察上層部を責任追及するというアレか?」
「そうだ。警察が誘拐事件で最も恐れているのは、それだ。今その彼らが汚名をそそぐのは、犯人逮捕しかない」
世論は警察叩きに動いている。先の誘拐事件で交通事故が発生した。
犯人の内三人は死亡。一人は逃走。僕が知っている限り、彼らの国籍はドミニカとコロンビア。
警察は彼らの国籍すら掴めていない。地図上のどこにあるのも知らないかもだ。
逃走した一人は、既に始末済み。彼の死体は藻屑へと消えた。
捜査は難航しており、明確な答えを出せない警察が一方的に責められている。
生き地獄だ。彼らが必死になる理由は十分ある。
シャフバンダルは無言で秋代を見張っている。
秋代はというと、顔色が真っ青だ。死人みたいに身を強ばらせている。口を硬く結ばれ、一言も漏らさない。
「どうした、秋代? 死にそうな顔をしているぞ?」
「信じられません。残酷すぎます」
「電話でも言っただろう。これはビジネスなんだよ。人質と金を交換する取引だ。契約を破った奴は罰せられるべきだろう?」
「法律で禁止されているじゃないですか。これは犯罪です。ビジネスではありません」
彼女は法律の代弁者らしい。僕とは目も合わせようとせず、怒りを地面にぶつける。
座り込み、秋代の黒い長髪は汚れた床に触れそうだった。
「その守るべき法律は誰によって制定されているんだ?」
「国でしょう。私達が住むこの国でしょう」
失笑ものだ。
「その国を君は信じられるのか? それは従うに足りる存在だと思うのか?」
「
この国にある善意はか弱いものだ。
自分に利害関係が発生すると、どいつもこいつも目を逸らす。何も語らなくなる。
連中が正義を気取っていられるのも、自分に害や損がない場合だけだ。
秋代の顔を覗こうとするが、彼女は顔を背ける。
「僕は彼らを理解できない。だから、僕の言う事を他の連中に理解してもらおうとも思わない。彼らが主張する全ての領域が、僕にとってはノーマンズ・ランドだ」
秋代は萎れて、黙ってしまう。何も言い返さない。
英語の語彙が足りないからか、反論が見つけ出されないか、どちらかはわからない。
僕とシャフバンダル。秋代とメルキアデスで組を作ってバイクに乗る。
秋代が逃走するうような事があれば、シャフバンダルが即座に射殺する。
僕達のヘルメットには、スモークフィルムが張られていて、顔が見られる事はない。混み合う車の間をすり抜け、目的地へと急ぐ。
バイクはエンジン音を後ろに飛ばしながら、稲妻のように渋滞を駆け抜ける。
「メルキアデス。次の場所はわかるか?」
ヘルメットシールドが風の奔流に押さえこまれる。暴風はまるで怒濤のようで、全身に圧力となって襲いかかってくる。
「ああ、インド人の所だな」
移動した先は、小規模な外国人街だ。家賃の安い所に彼らは集まる。
そこは無法地帯に極めて等しい。普通の日本人は入って行かない。
入っても行けない。出て来られなくなるからだ。
不法滞在外国人のコミュニティーは治外法権地区だ。そこではローカルなコミュニティールールが優先される。彼ら外国人は現実に生きる事を選択させられている。
夢想家が制定した法律や規則など、守られる訳もない。同じ犯罪をしても刑罰が軽いという理由で来日するような連中だ。失う物もない一攫千金を夢見ている連中に、説法をするほど馬鹿らしい事はない。
ここリトル外国人街は道が狭く、抜け道も多い。無秩序に建てられたアパートが竹の子のように乱立している。波状の塩化ビニールの屋根が、あちらこちらで変色して捲れ上がっている。
昼でも足を踏み込んだ瞬間に、光量が下がったように暗くなる。
廃棄されたパイプやダクトが空き地に放置され、ビニールに包まれたゴミ袋が道路の真ん中に捨てられている。
小銭を取る為に壊された自動販売機は雨風で白くなっており、その壁面にはスプレーで何語かわからない落書きがされている。
この地区を一軒、一軒、虱潰しに回ろうとしても、ほとんどの者は住人の顔を判別できないだろう。住人の識字率の低さも意思疎通させにくくする理由の一つだ。
用意していた部屋へと入り、ノートPCを開ける。慣れた動作でスマホをテザリングで接続。準備は完了した。
「さあ、金を頂こう」
メールを送る。
内容はこちらが指定する場所に移動して、手持ち現金を米国の無記名債に交換しろという内容だ。
しばらくすると、メールが着信した。場違いな着信音が鳴り響く。問題なく交換できた事を確認した。
無記名債を交換したのは、マネーロンダリング屋だ。
僕達はブラックトレーダーと呼んでいる。
彼らは固定した店舗を持たず、指定された場所に行って、現金を宝石や無記名の有価証券などに交換する。
「さっきは現金に紙切れを入れていたんだったな。今回は大丈夫だったのか?」
「そうだ」
「しかし、紙幣に紙切れを混ぜるとは、相手も考えているものだな」
さっきの奴はそれで失敗した。紙幣に紙切れを混ぜたものを持って歩いていたのだ。
ブラックトレーダーから連絡があり、彼らの目論見は外れた。
「ああ、誘拐事件など大量の現金を用意する場合、警察が用意して、家族に持たせるように説得する。ブラックトレーダーを間にかませれば、そいつは防げるという訳だ」
更に電話をかけ、次の場所を指定する。その場所は遮蔽物が少ない。そして、常日頃から人通りが少ない。
警察は現金の受取場所には捜査官を配置する。数は場所にもよるが、公園など逃げ道が多い場合など、百名を越える人間が配置される。
特殊班、捜査課、機動捜査隊が複数の捕捉班に別れて犯人確保を行う。
彼らの変装は実に巧妙で、簡単に見分けられるものじゃない。ただ、全ての場所に捜査班を配置させるのは不可能だ。
移動場所を速やかに、断続的に変更する事で、その体制は崩れてくる。隙が生まれてくるわけだ。
公園に備え付けられているライブカメラを回転させる。遊具の少ない公園だ。木々も少なく広場のようだ。
子供も少なく、映る人影は、行き場所のない浮浪者と近道替わりに横切るサラリーマンぐらい。
午前は人がいない。三時間前から見ると人が増えている。そこにいる人間のほとんどが、その場に滞在している様子はない。ただ、神経を刺激する男が一人居て、判断に迷う。
「どうだ。ウノ。警察は来ているのか?」
「今の所は来ていないようだ。ただな」
僕は顎に手を当てた。シャフバンダルがノートPCを覗き込む。
「ただ、何だ?」
「公園入り口ベンチに座って新聞を読んでいる男。こいつが怪しい気がする」
ノートPCに映る人影を指差す。
「理由はあるのか?」
「いや、勘だな」
「そうか。勘か」
シャフバンダルはそうは言いながらも、僕の発言を疑う様子はない。メルキアデスもそうだった。
二人は僕に依存している。彼らは有能な指揮官だが、自分で計画する事ができない。
目標を決めると兵士を鍛え、統率し、ベストの状態に仕上げる事ができる。そして、作戦の実行力もある。しかし、戦略がない。
あっても戦術止まり。最終的な判断は僕に従う。
まだ、彼らは僕の駒である事をよしとしている。僕は入り口の新聞男を監視した。
普通の男だ。グレーの背広。ノートPCには、どこにでもいる中年が映されている。
警察関係者は目つきが鋭いと言われたりもするが、それも相手が警察関係者とわかってからの事だ。
現場の彼らは常々から周囲に溶込む工夫をしている。昨日今日の僕達とは踏んできた場数が違う。
「そろそろ相手が公園に入ってくるな。GPSがそう言っている。入り口の男はどうだ」
シャフバンダルは携帯で相手の位置を報告してくる。
「動かないな」
「どうする。次の場所に移動させるか?」
「これ以上は時間がかけられない。最初の電話から十五時間が経っている。他県の警察にも応援要請がかかっているはずだ。車両や捜査員も時間がかかる度に増援される。ここで決断すべきだ」
神経を集中させる。今は決断する時だ。
周りの動きは止まり、動いているのは、ノートPCの画面のみ。
「なら、どうする」
「待て」
矢継ぎ早に投げつけられる質問を止めさせる。
意識を更に集中させた。時計の音までが意識に触る。
公園の入り口を見る。
新聞男はまだ動かない。彼は待ち合わせをしているのだろうか?
「目標が公園に入ってきたぞ」
シャフバンダルが緊張した声で言う。彼が近くに居るが、目がPCから外せない。
耳に顎髭の感触があったが、それすらうるさく思えた。
ノートPCの画素が荒く思える。もっと細かくならないものか。後もう少し画素数が欲しい。
新聞男は動かない。
「おい。ウノ。どうするんだ? 指示を出すのか? 出さないのか?」
新聞男は新聞を覗き込むような動きをした。
「殺せ」
「わかった」
新聞男が警察だったかどうか確信はない。
命令を下した今となっては、人質を殺す理由を探していたような気もする。
十分後。ペットボトルでミネラルウォーターを飲んでいると、メールの着信音がした。
子供が拷問を受け、苦痛に狂い悶える音声が送られてきたようだ。内容を確認すべく再生させる。
子供の助けを求める声。
指をハンマーで潰し、その後、千枚通しで歯茎に二つほど穴を開ける。前歯の並んでいる辺りを、ハンマーで叩いて貫通させろと命じている。
殺すのはその後。
人質の悲鳴は豚が殺される時にあげる断末魔に似ている。子供の泣き喚く声が冷たい部屋の壁に反響していた。スピーカーは音声ファイルが終了すると同時に再生を終えた。
窓から入ってくる日光が肌を焼くが、他の連中の肌には、鳥肌が立っている。
「いつ聞いても胸くそが悪くなるな。メル、お前はどうだ」
「ああ、こればかりはな。俺も子供は沢山殺してきたが、子供相手に拷問した事はないからな」
二人は脂汗を浮かべている。秋代はさっきまで耳を押さえていた手で顔を覆っていた。苦しげな嗚咽が指の隙間から漏れてくる。
「どうした、秋代。何を泣いている?」
「あなたは人でなしだわ。人間なんかじゃない。獣よ」
「意味がわからない。もっと理解できるように簡単に表現してみてくれ」
「獣なんかにわかるわけないわ」
彼女は吐き捨てるように言った。ゴミを見る目で僕を見ている。だが、僕の心には痛覚がない。
部屋の家主であるインド人がやって来た。彼の顔色はわからないが、様子から察するに良い知らせではないようだ。彼は早口にシャフバンダルに報告をしている。
「シャフ。こいつは何を言っているんだ?」
「ああ、良くない知らせだ。パトカーが何台か、この地区を囲むようにして駐車をし始めたらしい」
「随分と早いな」
秋代はしゃくりあげながら、好戦的な目で見ている。僕達を嘲笑していた。
シャフバンダルが家主にパトカーの様子を聞いている。情報収集をしているのだろう。
理解できない言葉の塊が二人の間を行き来する。
家主のインド人はかいてもない汗を何度も拭き、目を剥いて舌を回す。ぬめりの多い言葉は耳障りな感じがした。
「ウノ。急ぐぞ。ここと正反対の場所に放火をさせる。そこに気を取られている隙に逃げるんだ」
元軍人の指示は的確だ。僕はそれにもう一つ付け加える。
「シャフバンダル。同時に二、三人でいいから、殺人があったと誤報を警察に入れさせろ。この辺りにいる捜査員に急行するように指示が飛ぶはずだ」
「わかった」
彼は即座に理解をし、インド人に金を渡して怒鳴り声で指示をした。インド人は壊れた玩具の様に何度も頷いた。
「おい、ウノ。誰に電話しているんだ?」
「アサドだ」
メルキアデスは靴ひもを確認する為に落としていた目線を上げた。黒い肌にある白目だけが異様に目立った。シャフバンダルが疑念をぶちまける。
「アサドだと? どういうつもりだ」
「シャフバンダル。放火はそのまま実行させてくれ。誤報もそのままやらせろ。それだけなら十分じゃない。非常線が張られている可能性がある」
「だから、何だ?」
シャフバンダルは目を細め、声を荒げた。
「言っただろう? 警官の数は有限なんだ」
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