28.崩落の後
僕達は広間でテレビを見ている。ニュースだ。
どのチャンネルに変えても、マエストロホテルが爆破されたと報道されている。
広間に集まった有象無象がテレビを覗き込み、思い思いに会話している。
まるで蠅の羽音。誰ともしれない唾が僕の腕にかかる。
広間の奥にはソファーが置いてあり、僕はそこに座っている。
隣には秋代が身体を小さくして横目でテレビを見ている。
僕から見える景色。
このビルに集った、不法行為を何とも思っていない奴らでも、今回の事件は大事だったらしい。
母国語で話しをされ、内容は理解できない。だが、吐き出される言葉を見る限り、動転を隠せていない。
報道されているニュースによると、爆破された場所はマエストロホテルの会議室。そこでは東証一部上場の製薬会社の株式総会が開かれていた。
百名ばかり出席者がいたらしく、彼らはいずれも死亡したとの事だった。
隣の会議室では、婦人が主体のボランティア団体が年次報告をしていたらしい。
三十名の参加者中、三名が死亡、十五人が重傷を負ったのだそうだ。また、爆発はその振動を建物中に余す事なく伝播された。ガラスが割れ、通行人へと降りかかり、騒ぎは更に大きくなっていた。
今日一日で何度、報道されただろう。爆発現場は噴火口のような有様。
ビルからは黒煙が昇り、大の大人が泣き声をあげて、右往左往している。
シャフバンダルは自分の知らない所で、実行された事件に驚きを隠せないでいた。
テレビの端に手をかけて、食い入るように見ていた。
「いつの間に仕掛けたんだ」
「誘拐時にだ。アサドを別行動にさせていただろう?」
「これじゃテロじゃないか」
シャフバンダルがテレビを見ながら奮然としている。
大いに不満のらしい。濃い顎髭が怒りで震え、目が強い眼光を帯びていた。
「そうだな。だが、これで非常線は乱れ、僕達は逃げる事ができた。そうだろう?」
「確かにそうだが」
黙るシャフバンダルを尻目に、メルキアデスが話しかけてきた。
幹部だけはある。他の連中とは違い、組織の運営に意識が向いている。
「ボス。殺した人質だが、いつも通りにするのか?」
「いや、今回は入念に科学洗浄を行った後に、目玉をくり抜き、鼻耳を切り取って送りつけてやれ」
「やりすぎじゃないのかよ」
メルキアデスは呆れ顔だ。
警察に僕達を売った両親も、苦痛に顔を歪ませた子供の顔を見ると信条を変えるだろう。
帰属すべきは国家の法ではなく、僕達のルールである事を。
「今回も虐殺シーンを録画をしてあるんだろ? 僕に渡してくれ。この一連の事件は、警察からの圧力で規制される。誘拐事件で誰一人助からなかった上にこの爆発騒ぎ。これは大きな責任問題だ。マスコミどもは警察上層部の入替を求めるから、警察は今まで以上に必死になる。僕達も外を歩けなくなるかもだ」
「お前は本当にイカレてやがるよ。完全に病気だよ」
メルキアデスは引きつった笑いを浮かべた。黒い肌に白い歯だけが浮かんで見えた。
彼は縮まった頭の毛を引っ掻き回したかと思うと、ツバを吐いた。彼の心が離れてゆくのが見える。だが、シャフバンダルほど深刻にはなっていない。
「僕は奥の部屋で休む。配下の連中には、二・三日は外国人街の外には出るなと伝えろ。
「わかったよ。ボス」
メルキアデスは片手を上げて応じたが、シャフバンダルは目を下に向けていた。
何を考えているのかわからないが、意思を確認しておく必要がある。
「シャブバンダル、返事がないぞ」
「了解した」
シャフバンダルはテレビの方へと向き直り、生返事をした。僕の方を見ようともしなかった。
僕はソファーから立ち上がった。そして、隣に居た秋代に声をかける。
「秋代、お前も奥の部屋に来い。ここに居たら三秒で犯されるぞ」
「ヘイ、セニョール。たまにはそいつを置いていってくれよ。後ろから犯してやったら、さぞかし良い声で鳴くんだろうな。きっと小鳥のように違いないぜ」
「ちげえねえ」
男達は黄色い歯を剥き出しにして、大笑いする。以前は、僕の前で下品な野次を飛ばす事はありえなかった。
シャフバンダルも制止しようとしない。
不信感が風紀を爛れさせている。それは弛みを孕ませ、崩壊という胎児を生み出す。
引き締めようにも、手段が存在していない。
「秋代、来い」
秋代は魂を失った人間のように、僕に付いて来た。五階にある僕の部屋へと向かう。
ノブを引くと錆び付いた蝶番が鳴く。
僕の部屋に入ると、秋代は倒れ込むように来客用ソファーに横になる。古びた黒い革が擦れ
「疲れたか」
秋代は不貞腐れたように背中を向けた。すすり泣きが聞こえてくる。それは薄暗い部屋に広がり、壁に無数に入ったヒビに染み込んでいく。
歩み寄って、肩に手をかけると、払われた。揺れる背中が僕を拒絶していた。
「何を泣いている?」
「どうしてあなた達はこんな酷い事をするの? 滅茶苦茶だわ! 普通の生活を壊して何が楽しいの!」
吐き捨てられた言葉は鞭となり、僕の心を打つ。
「日本の常識なんて、ここだけでしか通用しないローカル・ルールだ。人口比率で考えてみればいい。これが世界標準だ」
秋代は涙を拭こうともしない。可憐な白い頬に露が流されていた。
「あなたなんて死んでしまえばいいのよ」
蛍光灯の焼ける音が、部屋に落ちてくる。
「僕を殺したいのか?」
「ええ、あなたのような人は殺されるべきなのよ!」
僕は口角が上がるのを感じた。蛍光灯のちらつきで、影が揺らいでいる。
「僕はたくさん殺してきたからな。教えてくれ。普通、人を殺そうとする時は、何を感じるものなんだ? 何を考えるものなんだ?」
「やめて! 気持ち悪い!」
秋代の声はこの部屋を塗り替える。
拒絶。彼女の思考は壁の向こう側にあるようだ。
「僕は人の考えている事がわからない。お前は僕を殺したいと言ったな?」
「本当に殺したいわけないじゃない! あなたはどこか変よ。異常だわ!」
椅子に腰掛け、片手を上げ、僕は自分の指先を見る。多くの人を殺めた手。
僕の心には何も生じてはいない。
「秋代から見ればそう見えるんだな。僕から見れば、僕以外が異常だ」
「知らないわよ。そんな事。そんな事を聞かせないで」
僕は自分の席で深く腰掛けた。背もたれの錆びた音が耳の奥に響く。
秋代は自分の殻に閉じこもっていった。
僕は携帯音楽プレーヤーを取り出し、イヤホンを耳に掛けようとする。
「ねえ」
「どうした?」
「仙道さん。私は一体どうなるの? 私は生きてここから出られるの?」
逃げ場所のない、絶望色に染まった声だった。秋代の横髪が乱れている。それは彼女の口元にかかっていた。薄い青ざめた蛍光灯の光が彼女を病的に見せた。
蛍光灯がぎこちなく瞬く。
「これから君を壊す」
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