Cry For Freedom

32.タイラント・イズ・バック

 僕がビルに帰ると、シャフバンダルが殺されていた。

 無惨な死に様だった。顔は苦痛に歪んでいる。

 誇らしくつけられた鷹は赤黒い血にまみれだ。よほど酷い責め苦にあったのだろう。皺の間に血のりが固まっていた。


 中南米系とアラブ系で大きく組織が分断されていた。

 スペイン語とアラビア語が飛び交い、今にでも掴み合いが始まりそうだ。


「メルキアデス。これはどうした事だ?」


 潰れたソファに腰掛けていたメルキアデスが立ち上がった。中南米人達がいきり立つ。

 ポルトガル語、スペイン語が喧しくビルを埋めつくす。それを見ているアラブ人達は目を怒らせていた。

 メルキアデスを囲んでいた、中南米人達は顔に影を落として、僕の方へと歩いてくる。

 隙があればアラブ人達は襲いかかりそうだ。


 辛うじて保たれてる均衡。


「何だ、ウノ。今頃帰ってきたのか? 女はどうした? 行きと違うじゃねえか。シャフは最後まで、お前が帰ってくるのを待っていた。そうやって俺達をまとめようとした。今まで通りの組織を維持しようとしていた」


「シャフバンダルを殺したのはお前か?」

「残念だったな。もう、俺はウンザリだったんだよ。暴走に次ぐ暴走。何がやりたいのかさっぱりだった。話もなくて、いきなり複数同時誘拐。その次はホテル爆破。何だって言うんだ。いつ殺されるのかだって、わかりゃしねえ。もう組織でも何でもねえよ。俺はリカルドのように殺されるのは御免だ」


 メルキアデスの言葉にアラブ人達は、目をギラつかせている。

 憤怒ふんぬが崩れたヒビに染み入りそうだ。

 僕は周囲の雰囲気を探りながら、慎重に言葉を口にする。


「そうか」

「今日からここのボスは俺だ。メルキアデスだ。わかったかい。ウノ。いいや、仙道達也と言った方がいいか? 日本人なんだってな、お前? 陳の野郎が言ってやがったぜ。陳はそんなに悪い奴じゃなかったぜ。シャフやお前は神経過敏なんだよ」


 メルキアデスが勝ち誇ったように、僕を見下すように言った。舌の上で驕慢がダンスしている。

 彼は感情を殺す傾向があったが、それは仮面だったのだろう。

 コマンド・ヴェルメーリョで生き抜いてきた彼にとっては当たり前の行為。黒い肌に縮れた髪。彼は薄く笑っていた。

 

 中南米人達がゆっくりと僕を囲む。

 アラブ人達はどうしたものか様子見らしい。

 組織的に迷いがあるのを見付けられた。


「何ともタイミングの悪い事だ」

「おい、お前はもうボスじゃねえんだよ! このジャップ。高校生らしいな。ティーンエイジャーだったとはな。ブラジルでも幼稚園ぐらいのガキが拳銃振り回して、ギャング名乗っているから、ガキがボスを張るのは不思議じゃねえ」

「……」


 メルキアデスの言葉を聞きながら、視覚の外側にいる周囲の連中に意識を注ぐ。

 組織が急激に変化して、どれだけの人数が賛同しているか見極める必要がある。

 アラブ人、中南米人。どいつもこいつも驚きを隠せないでいた。


 僕がフィリピン人とタイ人のハーフと信じ込み、あばかれた真実に注意力を全て持って行かれたらしい。

 組織内にあった割れ目が、驚愕きょうがくで消えてゆく。


 押し被すようにしてメルキアデスは片手を上げた。

「だがよ、腰抜けのジャップが、こんな大それた事をするとは思ってもみなかった。正直、驚いたぜ。だが、やっぱりジャップだ。最後の詰めが甘い。お前は砂糖漬けのように甘いぜ。平和な国に住んでいて、魂が鍛えられていねえんだな。最後にこうして足をすくわれる」


 彼はまだこの集団を統率できていないと確信する。

 実質、シャフバンダルの指示で動いてきた者が多数だ。


 突然の事実発覚で、誰もが自分の立ち位置を計っている。

 主軸を折ってしまって、次の主軸の器量。それを掴むのに神経は注がれていた。

 メルキアデスとしては、僕を圧倒したい。


 黒いヒゲ跡まで汗が浮かんでいる。コンクリートに囲まれた鳥かごで息を荒くしている。

 圧倒し、僕を征服したように見せかける。それが彼の言動の理由。


「言葉が多いぞ、メルキアデス。外国人街には警察が踏み込んでくる。お前にはどうするか具体的なプランがあるのか?」

「そういや、お前はアサドを使って何かしようとしていたな。シャフの野郎も何か言ってやがったぜ」


 さて、攻守を入れ替えにかかるか。

 コマンド・ヴェルメーリョで学んだことは活かされていない。多数を掴むことがポイントだ。

 力で押さえ込むだけで、組織が動くわけがない。


「警察がどれぐらいの人数を抱えているか知っているか? 二十八万強だ」

「そ、それがどうした」


 思いもよらなかった角度からの質問に、メルキアデスは当惑を隠し切れない。

 言葉に淀みが生じていた。


「奴らが本気になれば、外国人街など直ぐに壊滅させられる。高架から港湾まで、全てヘルメットが埋め尽くされる。二十八万強というのはそういう数だ。土煙をあげてこの街を蹂躙じゅうりんする。盾でお前達の体が捻じ伏せられ、警棒で頭はかち割られる。倒れた所を奴らは底の厚い靴で踏みつけにする」


 理屈ではない。

 感情や感覚に訴えかける話をする。彼らは経験を元にして、自分の頭の中でイメージを作るだろう。

 そうすることで、この場にいる人間は僕の話に耳を傾ける。


「痛みでのたうち回るお前達を、連行していく。あの通りに催涙ガスが撒かれ、そのビルに多くの武装警官が殺到する。狭くて臭い牢獄の中で、お前達は死刑を待つ。日本の刑務所はお前らの国と違って、徹底的にお前達の魂を削ぐ。あらゆるハイテク技術でお前の脳みそは滅茶苦茶だ。このまま、お前達は何もしないで、黙って虐殺されるのか?」

「馬鹿かお前。気でも狂ったか。何トチ狂ってんだ?」


 僕が出すのは具体的なイメージだ。理屈よりイメージで人間はものを考える。

 嘘だろうが何だろうが構わない。僕の語りかけている相手はメルキアデスではない。

 僕を囲んでいる連中こそが対話者だ。


「シャフバンダルを殺したのは失敗だ。大失敗だ。取り返しが付かない事をしたな。警官がここに踏み込んできた時に、的確な指揮ができるのは、イラク国軍だった彼が適任だった。多くの戦地で生き残ってきた彼を殺したのは、致命的でどうしようもない失敗だ」


 失敗という言葉でメルキアデスをレッテリングする。イメージを戦略的に使う思考はないらしい。

 アドバンテージはこちらの手の中に戻りつつある。


「だがよ。仙道。お前がアサドに命令していたのを、俺は全部聞いているぜ?」

「そうか。高架下にC4を仕掛けるように指示をしていたが、その作業は完了しているんだな?」

「そうだ。完璧だ」

「高架に入る前と後ろのビルが倒壊するように爆弾を仕掛けさせている。それも完了しているんだな?」

「あ、ああ」


 多くの者が目を気ぜわしく動かしている。隣にいる奴の顔色を窺っている。動揺が広がり始めた。

 会話を重ねる毎にメルキアデスの首が絞まってゆく。彼はそれに気付いていない。


「高架の壁には、C4を仕掛けさせ、殺傷力を高める為に、鉄玉を埋めている。クレイモア爆弾だな。爆発と同時に鉄玉がバラまかれ、そこに居た奴らの身体を引き裂く。タイミングは間違えるなよ。タイミングがズレ、警官に生き残りが出たら、奴らこのビルを包囲する」


 周囲の者は僕の話に耳を傾けつつある。曖昧な抽象論よりも、求められているのは具体性だ。


「仙道、お前は何の準備をしていたんだ?」

 馬鹿め。

 質問をした時点で、攻守が入れ替わる。これから何が起こっているか説明してやろう。


「ここに警官が踏み込んできた時に備えだ。この街の入り口は高架からしかない。他の陸路は道が狭過ぎる。それ以外は川に面していて、大量の人員を送るには、船舶を用意しなくてはならない。そして、日本の警察にそんな装備はない」


 メルキアデスから虚勢というメッキがはがれ落ちてゆく。彼は、皆は、黙って僕の話を聞いている。

 僕から出てくる情報を待っている。


「警官が高架をくぐる最中に、高架下のC4を爆発させる。軍勢を前後へと分断する。動揺している所でクレイモア。損害の大きさに戦意は失われる。最後にはビルを爆破、倒壊させる。そのビルにはナパーム剤が入ったドラム缶が満載だ。引火させれば、壊滅状態。ナパームは水では消えない。そして大量に酸素を消費する。そこにいる警官は皆殺しだ」


 メルキアデスは完全に動揺していた。

 顔には混乱しか見当たらない。口は開かれて、喘いでいるかのようだ。黒い肌の無精髭が、どうしようもなく無様だ。

 群衆に入った亀裂は収まりつつある。


「やばかったらココから逃げれば良い話じゃねえか。正面切って戦う理由なんかねえよ」

 腰が引けたか、メルキアデス。僕は口角を上げて応じる。


「もうどこにも逃げられない。

 不法滞在者の摘発がキツくなってきているのを知っているな?


 加えて、僕は動画をアップした。これまで録画したものがあっただろう?

 それら全部をYouTubeに公開した。


 そして、罪の告白をした。

 誘拐を、殺人を、拷問を、爆破を、全てだ。


 今頃は全ての者が僕達を憎んでいる事だろう。

 この国にいる全ての日本人が僕達を憎み、憎悪している。


 そして、僕はここで王として君臨していると宣言した。


 違法行為に手を染めて、犠牲者の血肉を食らい、王座に鎮座していると言い放ってやった。


 幾千、幾万の瞳が公開動画を見ている。

 幾千、幾万の耳が公開動画を聞いている。


 もう黙認はできない。


 見ていないふりはできない。


 国は、その尖兵たる警察を前に進めさせるしか方法がなくなった。

 後ろの道は全て閉ざされた。


 誘拐で、それにホテル爆破で遅れを取り、そして捜査で進展がない中、証拠動画が公開された。


 狂ったようにメディアが警察の出動を要請している。


 警察は、法の執行者を自認する警察はそこから逃れる術はない。

 叩き付けられた挑戦状を無視できない。


 奴らが来るのはもう直ぐだ」


 僕の突然の発言に皆は動揺を隠しきれない。心も隠せず誰もが他人の目を覗き込んでいた。

 そうだろう。そうだろう。

 この外国人街に警察を呼び込むなど、誰も想像しなかったに違いない。


 反発するにも突然の事態に聴衆は驚きを隠しきれず、自我を崩壊させている奴まで居た。


「警察はいつ攻め込んでくるんだ?」


 メルキアデスから恭順の色が浮かんでくる。だが、まだ彼は這いつくばっていない。

 僕の前にひれ伏していない。


「もう直ぐだ。彼らは軍勢を並べて、ここに来る。奴らは圧倒的に早い。もう時間はない。もう明日はない。どうする、メルキアデス? ボスになりたいんだな。万の警官が押し寄せ、僕達を押し潰しにくる。億の銃弾が放たれ、僕達の命は引き千切られる。さあ。メルキアデス。お前の命令は何だ? お前の決断とは何だ? 僕なら何とかできるがな」


 僕から流れてくる情報の波。メルキアデスは翻弄ほんろうされていた。

 周りはざわつきながら、メルキアデスに屈するのを促している。

 急場しのぎで実行案の無い彼に、命の手綱を渡す奴が居る訳もない。


 両手を組んでメルキアデスを見下す。


「この南米野郎、お前じゃやっぱり話にならねえ、ウノにやらせろ」

「そうだ。メルキアデス、このままじゃ捕まっちまうじゃねえか」

「お前は器じゃない」


 一つの声が二つの非難を呼び、それは無数の罵声へと変わる。

 メルキアデスは膝をついた。僕に屈した。彼は僕の駒だ。僕の奴隷だ。


「わかった。ウノ。お前がボスだ」

「陳を呼び出せ。そして、外国人街にいる連中全てに呼集をかけろ。今直ぐにだ。呼集に応じない者は全て裏切り者だ」


 僕は再び王座に返り咲いた。

 奴隷どもがが平伏する。頭蓋骨の裏側まで洗い流され、正気を失った連中。


「ここは警察に完全に包囲される。僕達は逃げられなくなる。どうすれば助かるか、わかるか?」

「どうすればいいんだ? 教えてくれ、ボス」

「まず、僕の靴を舐めろ。話はそれからだ」


 メルキアデスが僕の靴を舐めた。

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