08.ウェイ・トゥー・ヘル

 血まみれで出て来た僕達を見て、車の中で寝て待っていたラヒームは絶句した。


 こいつも腰抜けだ。


 ラヒームはいつも覚醒剤を買っているアラブ人のメンバーの一人。

 髭は薄く、窪んだ目に力はない。背も低く、気迫が感じられない穀潰ごくつぶし。

 中国の三人は車の免許はおろか、車も運転もできない。

 仕方がないので、車の運転をさせる為に雇っている。


 ラヒーム会話は英語になる。


 集団でいると強気だったこいつも、一人にしてしまうと、すっかり別人。

 借りてきた猫のようにおとなしい。


「ウノ、さっきの子供はどうしたんだ?」


 僕は笑ってみせた。

 ラヒームの様子をつぶさに観察する。

 そして、親指を立てて首の前で横に引く。

 彼は強くハンドルを握り締めた。


「殺したのか?」

「ああ、殺した。現場を見るか? 死にたてだから、まだ新鮮だぜ?」

「何て事をするんだ! 信じられない! あんな小さな子供を殺すだなんて!」

 車のエンジンはつけっぱなし。排気ガスの匂いが鼻をつく。


「何を言う。覚醒剤を売るのと大して変わらない。よく似たものだ」

「全然違うだろう。殺しをするんだったら、俺はこの話には乗らなかった」

「もう遅い。お前も共犯者だ」

「信じられない」

「知り合ったのが運のつきだな。心配するな。約束通り契約金は払う。いずれは夢を見せてやる。大金持ちになった夢をな」

「……」


 エンジン音が騒々しい中、ラヒームは自分の状況を確認している。

 虚ろになった表情の奥で、必死になって計算をしている。

「いいか、このまま覚醒剤の売人をしていて五百万稼ぐのにどれだけかかる? 五年か? 十年か? その間、ラヒームは不法入国に怯えなくちゃいけないんだぜ?」


 太い眉毛をしかめたのを僕は見逃さなかった。

 探りを入れた言葉に彼の心が引っかかたらしい。

 僕は言葉を続ける。

「外国人街で明日殺されるかも知れない生活を送ってるお前。そうなると故郷の子供にも会えない。このまま順調にいったとしても、五年以上だ。子供は三歳だったな。そうすればお前が国に帰った頃には八歳になっている計算だ。十年かかれば十三歳」


 異国の地で生きているラヒーム。

 彼が日々の生活で忘れようとしていることを、とことん思い出させてやる。

「子供は今頃こう言っているだろう。僕のパパはどこ? どこにいるの? 寂しい思いをしているんじゃないか? 可哀想に。早く会ってやりたいとは思わないのか?」


 ラヒームは圧倒されている。

 自分の言葉を喋れないほどだ。

 彼が何かを言うならば、倍の言葉でラヒームの頭を抑えてやろう。

 僕は喋るのをやめない。


「今、お前の手元に選択肢がある。早く帰る方法と、そうでない方法だ」

 ラヒームは目を逸らせない。逸らさせない。


 沈黙は、エンジンのピストン運動が生み出す騒音が埋めてくれる。

「一方は、リスクは高いが直ぐに帰れる。半年後には故郷で家族団らん。お前の金庫に札束が積まれている。もう一方は、五年だか、十年だかわからないが、異国で危険と隣会わせで、寂しい思いをしながら、金を稼ぐ。今まで通りだ。薄汚れたアパートで故郷を想い、怯えて震える毎日だ」


 言葉に詰まったラヒームを追い立ててやる。

「さあ、選べ。人生の選択肢がお前の前にある。この国を来た時を思い出せよ。お前は金を稼ぐ為に来たんだろう?」


 ラヒームは固まったようになっていたが、諦めたように息を吐いた。

 彼の魂の臭いが含まれていたかもしれない。


「わかったよ。俺は金が欲しい。俺は早く国に帰りたい」

「そうだ。僕に付いて来たら、報償は必ず約束しよう」


 成り行きを見守っていた、王と胡の身体から力が抜けてゆくのが見えた。

 目の前で自分に理解できない言葉で会話されていたら疑いも膨らむ。

 緊張するのも当然だ。


「ウノ。どうしたんだ? 一体、何を話していたんだ?」

「子供が死んだのを知ってビビっているんだよ。肝の小さな奴だよ」


 笑う僕を見て、中国人二人は恐ろしいモノを見たような顔をした。

 恐怖が彼らの背後に回って支配する。

 そうだ。それで良い。


「子供の死体を始末する必要がある。劉を回収した後に、道具を持ってもう一度ここに来るぞ」

「正気かよ?」

「ああ、このままだと証拠が大量に残った状態だ。直ぐに分析されて捕まってしまう。それに」

「それに、何だ?」

「子供の死体を見つけやすい所に置いてやるんだよ」

「ウノ。お前は狂ってる。頭がどうかしている」

「子供をあんなに虐める必要があったのかよ。あんなに酷い事をするだなんて」


 胡が泣き出した。

 我慢をしていたのだろう。

 爆発のしたように感情が溢れ出てきた。

 迸りながら出てくる言葉は、僕には聞き取れない。

 適当に相づちをうって、彼の気をなだめる。



 僕達は門田利之を苛んだ。

 手の指をナイフで落とすのは映画で見たよりも大変だった。

 もっと驚いたのは、小学生でも必死になると、潰す気で抑えないと、引っくり返されるという事。

 王が渾身の力で利之君の体を抑えていたにも関わらず、簡単に跳ね飛ばされてしまった。


 一番細い小指を落とすから、直ぐに切れるだろうと思ったのだが、思いの他、切れないものだ。

 手の平を上にしたり、下にしたりして、体重をかけて切ろうとした。


 だが、骨に当たってしまって、小指はなかなか切れなかった。

 関節に刃を当てて、少し体重を乗せると、それまでの苦労が嘘のように、すんなり切れた。

 指一本で僕達三人は汗まみれになった。


 ラヒームが言葉を挟む。

「ウノ、お前と中国人は何を言い争っているんだ?」

 中国人と話をしているのは中国語。ラヒームが理解できる訳もない。

「ああ、ガキを随分と痛めつけたんでな。こいつらビビっているんだよ。これぐらい覚悟しとけ。ガキの一人や二人殺した所で何だって言うんだ」


「何をしたんだ?」

 ラヒームが唾を飲み込む。

 中国人二人の様子がただ事ではないと気付いたらしい。

 肌の色。言葉。

 人種すら違うというのに、普通ではない状態だと察したようだ。


 中国人達の顔は血と涙で、まだらになっている。

「当ててみろよ。ラヒーム」

「わからない。俺はお前がわからない。何をしたんだ」

「指を外した。本当は全部、切り落とした後に、手と足も切ってしまいたかったが、大変だからやめておいた」

「ウノ、お前。相手は子供だぞ?」

「待てよ。これで全部じゃない。早とちりするな。話はこれからだ。これからなんだ」


 僕から出てくる告白にラヒームは身をこわばらせた。

「それから目をナイフで切った。角膜だけだ。目玉は潰しちゃいない。閉じようとする目蓋をこじ開けて、刃を横に引いてやったんだ。すごい悲鳴をあげたぜ。子供の声とは思えない。窓が震える程の大声だ」

「やめろ、ウノ! そんなの聞きたくない!」


 それで舌を止める訳がない。耳を塞ごうとするラヒームの手を押さえつける。

 ラヒームはひな鳥のように震えていた。

「鼻に針金を突っ込んだら、あっけなく死んでしまったよ。軟骨が削れる感触が手に伝わってきた。思ったより手応えがあるもんだな。針金を抜いたら、血の混じったゼリー状の粘液にマスタードみたいな物が絡まっていた。これから心が生み出されていると考えると感慨深かったな」


「お前はサイコだ」


 僕は顔をラヒームに近づけた。僕の吐息が彼の顔にかかる。

 緊張でラヒームの歯が鳴っている。瞳の中には僕がいた。

 そいつはどうしようもなく暗く嗤っていた。


「そうだ。俺はサイコだ。だからどうした? だからなんだ? だがな、ラヒーム。俺は大金を持ってくるぞ。お前らが一生かかっても稼げない金をお前の所に持ってくるぞ。普通にやってちゃ、いつまでたっても大金は稼げないんだよ。わかったか。ラヒーム。僕に従え、さもなくば、殺すぞ。ラヒーム」


 恐怖で彼らを支配する。

 彼らは不法滞在者。

 犯罪者ではあるが、色濃い犯罪行為に手を染めている訳じゃない。

 死に慣れていない。

 残虐に慣れていない。


 壮絶で残酷な殺しは彼らの心を縛る。

 氷の鎖で逃げられないように彼らの心臓を縛る。

 ここは背の高い雑草に囲まれている。普段は沈黙が支配しているだろうこの空間で、僕達だけが騒々しく生きている。

「わ、わかったよ。ある程度は協力する。だが、俺を厄介事に巻き込むなよ」


「安心しろ。お前は、お前だけは食わないでおいてやるよ」

 笑って見せるとラヒームは目線を反らした。

「わかったから。もういい」


「素晴らしい。僕はお前とお前の一族の繁栄を約束してやろう。絶対だ」

「そう願いたいぜ」


 長い夜だった。

 僕達は劉を拾い、道具を集め、廃ビルに戻った。

 掃除は一日では終りそうもなかったので、ラヒームから他のアラブ人に集合をかけてもらう。


 アラブ人との関係は最初ほど悪くない。

 今となってはアラブ人達にとって、僕達は上客になる。

 覚醒剤をまとめて買ってゆく固定客を邪見にし、今の売上を失うほど彼らも馬鹿じゃない。


 だが、油断はするべきじゃない。

 彼らが腹の底で何を考えているのかわかったものじゃないからだ。

 僕とは違った論理で動いている。


 馴れ合うな。騙せ。騙されるな。


 それだけだ。

 一人頭、三十五万で交渉は成立した。ラヒームを入れて二百十万。

 それほど高いものでもない。覚醒剤の利益からすれば、大した額でもない。


 アラブ人も死体には慣れていなかった。現場の有様を見て吐き出す奴が二人もいた。

 血の臭いが余りにも濃密だったからかもしれない。鼻の奥に残る鉄の混じった臭い。


 皆は僕を獣でも見るような目をして見つめていた。

 恐怖で僕達の間に上下関係が構築される。恐れによる統治。絶対的な主従関係が僕の欲するものだ。


 帰りの車では一人を除いて皆が疲れ果てている。


 その一人はイラク人で名をシャフバンダルと言う。

 

 他のアラブ人が立ち去った後も彼は残っていて、誰もいなくなってから、僕に話かけてきた。

 頬から下が髭の覆われ、険しい目付きをしている。顔に刻まれた皺は深く、火薬の匂いがしてくる。


「お前といれば金が手に入るのは間違いないんだろうな?」

「当然だ」

 僕は答えた。


「お前が良い働きをするのだったら、報酬は与える。僕はシンプルだ。良い働きをする者は優遇する。金が欲しいなら、金を払いたくなるような仕事をしろ」



 シャフバンダルは僕の視線を避けず真っ直ぐ見つめ返してきた。

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