09.オープン・セサミ

 ラヒームの部屋は殺風景な部屋だった。

 髭の薄い、痩せた彼にはピッタリな部屋だ。

 印象の薄い彼同様に、全てが色褪せている。

 畳部屋に大きな古びた絨毯が敷かれていた。


「よし、テレビをつけろ」

 僕は劉に命じる。


 部屋の隅には服が脱ぎ捨てられたまま。

 部屋には香辛料の臭いが濃く残っており、香辛料の色素が移るのではないかと思えるほどだ。


 絨毯の中央には十枚ほどのナンが紙の上に置かれている。

 湿気を吸ったナンが萎れたように体を投げ出している。


 チキンカレーと野菜カレーは黄ばんだ陶器に盛られて、香辛料の酸味がかった臭いを振りまく。

 近所の店で僕が金を出して買わせたものだ。


 窓は一つだけあったが、すぐ向こうにはビルが建っている。

 窓から漏れた光が、隣のビルの汚い壁を照らしていた。


 僕、劉、王、胡、ラヒーム、シャフバンダルの六人はテレビを凝視した。

 全員の体温が放射され、部屋は汗ばむほど暑い。


 シャフバンダルが右手でナンを器用に切ってカレーに浸す。

 テレビから音声が漏れた。


 丁度ニュースが始まった所だ。

 どこかの国会議員が違法献金を受け取っていたと報道している。

 どうせ他の議員もやっている。どうでもいい話だ。

 こいつらも僕と同様にイカレている。


 誘拐事件にシーンが切り替わる。

 日頃、僕達がなじんだ景色がテレビで映し出される。


 不思議なもので、テレビにある風景は、現実感がまったく感じられなかった。

 僕達が日頃見ているのとは別世界だった。


 パッケージ化されて商品になってしまったような感すらある。

「おい、ウノ。あいつは何と言っている」

「ウノ。教えてくれよ」


 日本語、中国語、アラビア語、英語が同時に飛び交う。

 ちょっとした混沌だ。どこかの国のバザールのような騒乱。


「待て待て。聞こえないだろう」


 画面に評論家らしい男が、上品な背広を着て主張している。

「このような残忍な事件は社会的に許されるべきではありません。近年の凶悪化してきた犯罪は、社会の無秩序化が招いたもので、政治には、より健全な社会の構築をするべきです」


 いざとなったら、見て見ぬふりをする男が何かを言っていた。

 都合が悪くなれば、彼らは黙る。

 彼らの語る言葉は全て戯れ言だ。

 画面が交通事故のニュースに切り替わる。


「なあ、奴らが何と言っているか教えてくれよ」

「ああ、まだ犯人はわかっていない。遺体は見つかって照合は済んでいるようだ。今頃、利之君の親は警察に知らせた事を悔やんでいるんだろうぜ」


 利之君の死体は念入りに化学洗浄をした後に、残った指の爪を剥がして送りつけた。

 住宅地に死体を放置したかったのだが、殺害した場所の痕跡は残ってしまうというので諦めた。


 外国人街での死体処理屋に言わせると、生きたままつれて帰れば、臓器を売る事もできたらしい。

 死体処理屋の言う事によると、バスユニットで解体するのが一番面倒がないとも言っていた。


「どうする今後」

 ラヒームが聞いてくる。

「車は処分しなくちゃな。Nシステムや街灯カメラも避けてるが、どこで目撃されたものかわかったものじゃない。どうせ、お前達の国に中古車として持って行くんだろう?」

「ああ、そうだ。だが、街頭カメラはわかるが、Nシステムとは何だ?」

「Nシステムというのは、警察の車追跡システムだ。カメラでナンバーを控えている。主に高速道路や幹線道路、県境にしかけられていて、車が通れば記録が残る」


「本当か?」

「カメラがある道路を通った際は、無差別にナンバーが控えられる。全ての車が記録対象となり、それらはコンピューターに保存されていている」


 街頭カメラやNシステムカメラの場所はダークウェブに掲載されている。

 それらはハッカーによって有料で共有されている。

 国家の防犯予算を遙かに超える金額がダークウェブでは動いている。


「それに最近では街灯カメラが多く設置されている。それは車だけではなく、人間を識別する機能すらある。事件発生後は必ず警察はそれを確認する。それも避けなくてはならない」


 部屋の時間が止まった。

 彼らが想定しているよりハードルが高い事を認識してくれれば良い。

 そうなると彼らは僕なしではいられないくなる。


「これからどうする?」

「簡単だ。次の誘拐だ。誘拐は日本では一般的ではない。理由は誘拐のプロトコルが、存在していないからだ。誘拐をして警察に連絡するのが、一番の解決方法だという考えを矯正させる必要がある。後、二人ほど攫って殺す。警察に知らせたら、人質は確実に死ぬという事をメディアを通じて教育する」


「正気か? あんな殺しをまたするのか?」

「そうだ。なるべく残酷に殺してやるんだ。そうだな、その時の映像を録画するのもいいだろう。ネットにあげてやれば、子供の悲鳴を聞きながら、彼らは僕達のルールを学ぶだろう」


「そんな事可能なもんか。そんな事が許されるなら、この社会は滅茶苦茶だ」

「いいか。ルールは法律ではない。僕達が一定の基準で動きさえすれば、それがルールだ。何度か攫った奴を殺していけば、それを理解してゆく。誘拐はビジネスで、ルールを守らない奴、守れない奴は罰を与える。繰り替えすが、僕達がルールを作り、彼らはそれに従う。それだけだ」


「後、二人も殺すのかよ?」

「そうだ。場所は離れた所にして、二人は確実に殺す必要があるだろう。今までのルールが通用しなくなったというのを教えてやらなくてはならない。だから、手間がかかる」


 僕は同じ事を中国語で説明してやる。中国の三人は絶望したような顔をした。

 今頃、彼らは僕と知り合いになった事を反省しているのかも知れない。


 もう遅い。

 彼らは既に金の味を覚えつつある。

 覚醒剤を売った金は家族の元に送っている。

 その時の彼らの喜びようはただ事ではなかった。

 今は彼らが豊かになったという実感がないだろう。

 だが、それは手にする金額が膨らんでゆく内にクリアになってゆく。


 彼らは階段を昇り始めた。金は彼らの良心を麻痺させる。

 メディアに露出するセレブのようになりたければ、まず金を手に入れる事だ。

 手段を気にしていたら、いつまで経っても見ているだけ。


 僕は耳から毒を注ぎ込む。そうして不法滞在者を立派な犯罪者へと進化させてゆく。


 今は金遣いが荒くなると目をつけられるという理由で、稼いだ金はほとんど、家族に送らせている。

 しかし、その内に彼らには金を使わせて、金が提供する力を教えてやるべきだろう。

 それは彼らの中に残っている良心を跡形なく消しさる。


 金は犯罪者にとって最大の動機だ。


「胡は誘拐から外れた方がいいかもな」


 それを言ったのは劉だった。胡が俯いていた顔を上げる。

「どうだ。胡? お前はどうしたい?」


 そう言うと、胡は僕の顔を怖々覗いてくる。僕の反応を見ているのだろう。

 彼は人の顔色を見すぎる傾向がある。みすぼらしい野良犬のような表情。


「どうした。胡。僕はどちらでも構わない。覚醒剤に専念したいのだったら、それでも構わない。正直に言え」

「俺は人殺しはしたくない」

「そうか。それなら仕方がないな。できない事は仕方がない。わかった。僕は君の事がよくわかったよ」


 僕はシャフバンダルの方に振り返る。

「シャフバンダル。こいつを殺せ」

「?」

「こいつはルールを守れない。軍ではルールを守れない奴は厳罰に処すのだろう? これから組織を大きくしなくてはならない。もっと金を稼ぐ為にな。その時にルールを守れない奴を許したという事がわかれば組織は維持できない。こいつを殺せ、シャフバンダル」


 彼はイラクの元軍人だ。

 アメリカに占領される前に国外脱出をした。反米を掲げ、戦地を駆け回っていたのだそうだ。最近では、シリア内戦でも戦闘に明け暮れていたらしい。

 整えられた顎髭で、表情が見事に隠されている。眼光は鋭く、そこに居るだけで戦地の匂いが漂ってくる。


「わかった。報酬は?」

「百万。後でキャッシュで渡す」

「わかった」


 彼は表情も動かさずに胡の首を絞めた。一瞬の出来事で誰もが理解できなかった。

 胡は足をバタつかせ、汚れた絨毯が捲りあがる。空気を求めて胡の手は天井に延ばされた。

 悲鳴と叫び声が交差する。


「やめろ。やめてくれ。ウノ。俺達は友達だろう? どうしてそんなに酷い事をする? 胡は良い奴だったじゃないか?」


「関係ない。ここでは僕がルールだ。ルールを守れない奴は死ぬしかない」

「そんな」


 胡の身体から力が抜けた後、彼の首の骨が折れる音がした。

 充血した目が飛び出し、舌が犬の陰茎のように吐き出されている。


 舞い上がった絨毯の埃が落ちてきた。僕に対する恐怖。

 それが彼らを支配するのも時間の問題。

 

 シャフバンダルだけが何もなかったように落ち着いていた。

 他の連中は地獄をのぞいたような顔をしている。


 馬鹿な奴ら。



 本当の地獄はこれからだ。


<Supplement>

 Personal Profile

 名前:シャフバンダル

 性別:男

 年齢:47

 身長:181cm

 特徴:元傭兵、シリア内戦参加者。

 元々イスラム教シーア派。

 転戦を繰り返している内に、宗派を超えた活動をするようになる。

 ジェマ・イスラミアで活動していた時期もあり、イスラム過激派と横の繋がりがある。

 元軍人であった為、規律に厳しい。これは過激派として生き残ってきた彼の哲学でもある。


 イメージ:安全確認済み

 https://en.wikipedia.org/wiki/Ghassan_Massoud#/media/File:Ghassan_Massoud.jpg



 リスキーシフト


 仙道達也が組織運用の際に使用している行動原理。

 社会心理学用語で、集団がリスクが高い方に意思決定をする現象を指す。

 集団極性化(a-1)の一例。逆の現象をコーシャスシフトと呼ぶ。

 意識的に集団の中で極端な言動を行い、リーダシップを獲得している。


a-1.集団極性化

 集団で意思決定を行う際に、個人の言動、行動、感情が極端な方向に向かってしまう現象。

 一般的な生活では、ブログの炎上、イジメ等がよい例となる。


</Supplement>

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