Club Caios
11.タッチ・アンド・ゴーアウェイ
僕とシャフバンダルはマンションの非常階段の所で待っている。
まだ、真野夏希は寝ていない。
真野夏美。二十七歳。
製薬会社専務の愛人で、会社勤めはしていない。生活費は専務が出しているのだろう。
陽子から依頼のあった誘拐対象者。彼女の行動パターンは日によってまちまちだ。
三日ほど外出しない日があるかと思えば、県外まで足を延ばす事もある。衝動的に攫うのも可能なのだろうが、僕の趣味じゃない。
それにこれはビジネス。不安定要因は極力避けるべきだ。
夏美が住んでいる部屋はマンションの五階になる。
陽子からの情報によると、正面玄関、エレベーターホールにはカメラがある。
そこで撮影された映像は、マンションに併設されている警備室のモニターに映され、ハードディスクに保存。
保存された映像はネットを通じて警備会社に送られ、ここでもハードディスクに保存される。データの保管期間はマンションと警備会社の契約書類上三ヶ月になっている。
オートロックは正面入り口。
住民以外が中に入るのであれば、インターホンでマンションの住民を呼び出し、オートロックを解除してもらわなくては入れない。
住人は鍵があるので、それでオートロックを解除して中に入る。
僕の場合は、陽子から合鍵をもらっているので、中に入る事は可能だが、それだとカメラに姿を残す。
カメラに入ってしまうと、万が一、捜査が行われれば容疑対象者となるので、それは避けなくてはならない。
正面玄関以外の侵入経路としては非常階段がある。非常階段から目的の部屋に入る為には、片側開きのドアを通り抜ける必要がある。
このドアは中から外に出るのは可能だが、外から中には入れない。それが各フロアと非常口の出口に取り付けられてある。
ここへの侵入は劉を通じて中国人留学生で配送アルバイトしている連中に依頼した。鍵が自動的に落ちないように、布テープで鍵穴を塞いでもらっている。
彼ら中国人留学生はこれに関して、何も見ていないし、聞いていない。語る事も、もちろんありえない。
彼らの属するコミュニティーは日本ではなく中国だ。金銭目的で来日した外国人。
彼らが属するコミュニティーは、日本のそれでない場合が多い。
彼らが属するコミュニティーと日本のコミュニティー。
相反する見解がもたらされた時、意思決定はどちらの意見を重視する?
犯行を行うのに、このマンションを選んだのには理由がある。
まずは視界。
ここに他のマンションは他のマンションに囲まれ視界が悪い。不法駐車が多いのもポイントが高い。
次にカメラ。
もし、カメラが非常口と各フロアの非常口入り口に設置されていたら、ここでの犯行はなかっただろう。
最後にマンションのセキュリティの甘さ。
本当にセキュリティの高いマンションになると、各部屋に取り付けられている扉を開閉する度に記録が残る。
最悪なのは、その履歴が非常口の扉にも適応されている場合だ。そうなると、僕達も諦めて他の方法を選択しただろう。
犯罪の舞台になるには、それなりの理由がある。他と比較して、容易かどうかだ。
犯罪を犯す者は、常にリスクを避ける。
泥棒に入られたくなければ、隣よりも難しい状況を作る事だ。
ダミーカメラがあるだけで、候補から外すのに十分な理由になる。
「ウノ、そろそろか?」
「電気が消えてから三十分。そろそろだ。冷蔵庫に入れておいたミネラルウォーターを飲んだはずだ」
「睡眠薬はどれぐらいの時間が効くんだ?」
「水で薄まっているからな。良くて一時間ほどだろう」
「今回は誘拐ではなく、殺しでいいな」
「ああ、そのつもりだ。風呂場で血抜きをした後にこれを流す」
僕が取り出したのはオーストラリアの洗剤ボトルだ。
海外通販で取り寄せた。これはルミノール反応の元であるヘモグロビンの痕跡を消す。
僕とシャフバンダルは腰のポーチに収められている特殊工作員用の衣服に着替えた。
そして、鞄にいれていた工作ベルトを腰に巻く。
これらは特殊繊維で作られているもので、激しい運動をしても繊維が現場に残る事はない。
五階のフロアに入り、音をたてないようにして、目標の部屋に移動する。
靴は米国の特殊部隊が使っているものだ。
確かに移動の際に、衝撃は吸収されるが、体重で廊下が軋むのは避けられない。
少しの物音に神経が刺激される。
誰もいない廊下に二人だけが、明かりの下を移動する。
ドアにたどり着いたと同時に、腰に取り付けられているワイヤーを延ばす。
ワイヤーの先には陽子からもらった合鍵がある。
焦ってはいない。鍵を開く音が廊下に響いても、僕の心は縮まらない。ドアは音もせず開く。奥には何も知らない女が眠っている。
一気に駆け寄り、クロロフォルムをしみ込ませたハンカチをかぶせる。
魅惑的な眉の弧がひそめられる。
苦しいのだろう。
ドラマで出てくるクロロフォルムは即効性だが、実際は気絶するのに一分は要する。
この薬を使用した場合、死亡する場合もあり、後に肝臓や腎臓に障害が出る事もある。
今回は殺人が目的だ。
睡眠薬なら、ふとした衝撃で起きてしまう可能性がある。風呂へと運ぶには、より深い昏倒が必要だ。
「シャフバンダル。どれだけ待てばいい?」
「三分だ」
「できるだけ早くしたいな。この手袋とキャップはひどく蒸れる」
「殺した後に、薬剤で浴槽を洗浄し、その後に足跡を拭き取る必要もある。まだ時間はかかる。三十分から一時間はかかる」
「なるほどな」
シャフバンダルの手際は良い。返す返事も即答だ。
「ウノ、契約者は信用できるのか?」
「半金は確認した。問題ない。連中、金は持っているからな。これが終われば半金。でなきゃ奴らに噛み付くまでだ」
シャフバンダルは僕の様子を注意深く見ている。彼は僕ではなく、僕から払われる報酬を信じている。
雇用関係とはこのようにシビアであるべきだ。
「そろそろだ」
「よし。服を脱がせる」
寝間着をはぎ、下着を脱がせると、夏希の豊満な身体が露わになった。
二人で彼女を風呂場へと運び、彼女を浴槽に投げ込む。
「シャフバンダル。血が飛び散らないように血抜きをしろ」
彼に逡巡はない。
取り出した短めの鉤状のナイフを取り出し、夏希の脇と股の付け根に差し込んだ。
おびだたしい血が先を争うようにして排水口に駆け込む。まるで血が詰まったナイロン袋に穴を開けたかのようだ。
粘性のある黒い血。油性塗料のように淡い黄色の浴槽を染上げてゆく。
「首を切る訳にはいかなかったのか?」
「それは後だ。今のこいつは血袋のようなものだ。少し血抜きを終えてから、首を切る。そうじゃないと、天井まで飛び上がる」
「そうか」
かなりの血が抜けたであろうと思われた頃に、夏希の身体を逆さまにする。
彼女の茶色の髪が血で黒く染まってゆく。
「切るのは僕にやらせてくれないか?」
「お前も好きだな。生まれつきの快楽殺人者だ。まったくいかれたサイコ野郎だ」
腰にぶら下げている。
ホールディングナイフを取り出し、彼女の首筋に差し込む。良く研いであるせいか、バターのように刃先が食い込んでゆく。
思ったよりも手応えがないものだった。
次に反対側の首を切る。深く切り過ぎたせいか、切り口が捲れる。
首の薄い脂肪が血をはじいて、身をのぞかせている。その奥にある頸動脈の円形になっているのが印象的だった。
血が出てゆくに従って、夏希の身体から色が失われてゆく。
足が鑞の色へと変わってゆく。まるで人形を作っているかのようだ。
シャフバンダルが声をかけてきた。
元職業軍人は行動には一切の迷いがない。
「ほとんど抜けた。水を流すぞ」
「わかった」
僕は蛇口を捻り、音が聞こえる程度の勢いで水を放出させた。
「シャフバンダル。死体は切り刻んだ方がいいか?」
「駄目だ。時間がかかり過ぎる。血抜きをした後は、ボディバッグに詰めて車へと運ぶ」
「大きいと見つかる恐れがあるだろう?」
「ウノ。作戦時は全体を見ろ。小事にこだわって、全体を見失うな」
軍人の行動は的確で、明確だ。
彼は僕に有無を言わさず、携帯ボディバッグを広げた。
闇のような黒。闇夜を散歩する僕達にはふさわしい色だ。
血は精神を支えている液体だ。夏希の顔から表情が失われてゆく。
彼女の顔から緊張が失なわれてゆき、ゴムまりのよう虚ろになってゆく。
人からモノへと戻ってゆく瞬間だ。
「血はあらかた出たな。そろそろ仕上げにかかるか」
僕はホールディングナイフを握り直し、夏希の性器に突き刺した。
死んでいる人間だからか、苦痛によがるわけでもなく、味気ないものだった。
ナイフを前後に動かし、夏希の性器から出し入れする。
彼女の秘肉が短冊のように刻まれ、肉の潰れる音がバスルームを満たす。
こんな行為で、快楽に達する人間が詰まらない存在に思える。
行為の結果で射出される、僅か数ミリリットルの液体から僕達の意識は作られる。
「何をしている?」
無表情でシャフバンダルが尋ねる。
彼から恐怖の臭いがしてこない。期待はずれのリアクション。
彼の心の隙間は何処だ?
どうすればこいつを支配できる?
「陽子とかいう女に、僕からちょっとしたスリルのプレゼントだよ」
スマホのカメラを起動させた。
<Supplement>
本話でのセキュリティについては、致命的なパートを意図して抜いています。
犯罪者達がどのような視点で見ているか、分析しているかを考えた上で、
防犯対策をされることを強く勧めます。
尚、カクヨム上で描写に問題がある場合については、
通報前に感想欄、もしくは下記の近況報告にてご連絡下さい。早急に対処します
https://kakuyomu.jp/users/eed/news/1177354054887306964
本作品にはテーマがあり、決して犯罪を示唆するものではありません。
</Supplement>
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