05.トリック・オア・ドレッド
「それにしても、仙道ちゃんはすげえよな。成績もいいしさ。英語だってできんじゃん。俺、仙道ちゃんみたいになりてえよ。マジな話さ」
僕と山田がいるのはファミレスだ。
店内は会話で充満しているが、他人が何を話しても気に留めやしない。
安っぽいざわめきが忙しく行き来している。外は夜。
窓から見えるのは大きな通り。車がせわしなく走っている。
まるで止まれば呼吸できず、死んでしまう魚のようだ。
通販で僕が注文した品物を山田に渡した。
彼が欲しがっていたのは、海外でしか販売されていないヘッドホンアンプと言われるものだ。
プレーヤーの音声出力から、この機械を通す事で音質が良くなるらしい。
僕にはわからないが、市場が成立しているのだから、それなりに需要があるのだろう。
「サンキュー、ベリーマッチ」
「Rの発音がおかしい。日本人には難しい。どちらかというと、ウの発音の中にリの発音が入る感じだ」
「サンキュー、ベリーマッチ」
「違う、違う」
何度か、それを繰り返すと、不貞腐れたような態度をとりだした。
会話を止めてドリンクを口にしている。
「最近は中国語も始めた。発音は難しいが、クリアできれば、割と簡単なものだ。同じ漢字を使っているし。語学って面白いな。一つマスターすると、世界が広がる。これからの時代は国際化に対応できないと。卒業したらアメリカかイギリス辺りに留学しようか考えている」
「そうなんだ」
山田は羨ましそうに僕を見る。
肩からは力が抜け、僕を見る目が遠くを眺めるような目つきになっている。
嫉妬と羨望が捻れて育ってゆく。
それはほのかな炎となって、山田の眼底に沈んでいる。
僕は可能な限り、山田の飢餓感を煽る。
そうして、冷静な判断力を彼から奪う。
「いや、僕が成績を維持できているのには秘密がある。僕は皆には見せずに努力しているんだ。毎日必死だ。山田だって授業だけの勉強では足りない事はよくわかっているだろう? そうでなければ、僕があんな成績を維持できるわけがない」
沈んでいた山田が、目線をあげる。
食いついてきた。
「何だよ。仙道ちゃん。おいおいおい。それは教えてくれなくちゃ駄目だろう。俺達、友達だろ? なあ、それ俺にも教えてくんねえかな。情報はシェアしなきゃだろ?」
僕に笑いかけていたが、唇の端が引きつっている。
まだだ。もっと煽って、正誤判断できなくしてやろう。
「やっぱり、人に教えるのは、気が進まない。山田の成績まで上がったら、僕の成績が落ちるって可能性がある。僕は元々、努力型だから。この方法を使っても、努力しないと今の成績を維持できない。競争相手が増えるのは、やっぱり気が進まない」
「なあ、そんな事言うなよ。仙道ちゃん。頼むよ。俺の成績知ってんだろ? クラスで下から三番目なんだぜ? ヤバ過ぎでしょ。もう、余裕ないっていうかさ。後がないのよ。実際の所。だから、頼むよ。お願いだ。教えてくれよ」
「話変わるけど、入学した時って、山田は学年順位は何番だった?」
「は? 何それ。俺がお願いしているのと関係ないじゃん」
話を逸らされ、山田は露骨に嫌な顔をした。
「いいから。入学した時のでいいんだよ」
「わかったよ。百二十番だ」
「そうか。僕は二百七十八番だった。やっぱり教えたくない。きっと僕の順位が抜かれてしまう」
「いやいやいや。ここにきて、それはないでしょ。ここまで聞かせて、お預けとか。ありえないでしょ」
僕の入学時の学年順位は三番。
二百七十八番というのは嘘だ。
彼の飢餓感を高める為のリップサービス。
山田の脳内劇場ではテストで僕より良い点を取っている図が展開されている事だろう。
彼の目は飢えた狼のそれだ。
僕が教えないと言ったら、彼は
「わかったよ。山田の熱意には負けた。だが、一つ約束して欲しいんだ」
「何だよ? 一つと言わず、十でもいいぜ。俺達友達じゃねえか。仙道ちゃんとの約束だったら、絶対に守ってみせるよ」
「信用するよ。これまでの通販を代行したけれど、ちゃんと代金は払ってきたしな」
「そう。そう。俺は約束を守る男だっつーの。皆、その辺をわかっていないんだよな。俺は信用できる男なんだよ。俺さ。約束は絶対に守れって親にも言われて育ってきたんだよ。これ重要ね」
「そうか。わかった。それじゃ。ついて来てくれるか?」
「えっ?」
「ここじゃ話せないんだよ。わかるだろ?」
「あっ。ああ。わかるよ。良くわかる」
ファミレスを出て、しばらく道を歩く。
山田は興奮しているのか、鼻息が荒かった。
学年順位が上がって、皆に自慢している姿でも想像しているのだろう。
「なあ、仙道ちゃん。どこまで行くんだよ。いや、俺は別にいいんだけどさ。どこまで行けばいいのか、気にかかってさ」
「この奥だ」
僕達は古びた商店街の前に来ている。
外国人が経営している商店がいくつかあり、異質な感じが漂っている。
流れてくる空気に、腐った魚の臭いが混ざっている。
奥に進んで行くと、ダィオンティンビルと
その入り口には一人、ヒゲの大男が立っていた。
「
男は黙って僕達に道を開ける。山田は驚いたようだ。いつもと違った世界を見ている為か、目の奥に怯えの光が揺れている。凍り付いたように動けなくなっていた。
「どうした、怖くなったか? 怖いなら帰って良いよ? 僕は行くけど。今度の試験では学年一位を目指す。山田はここで帰れば?」
「ビビってなんか。いねーし。それにしても仙道ちゃん。中国語もいけるんだな」
強気な口をきいても、声の端が震えている。怯えているようだ。
「半月もあれば、僕レベルにはなれる。もっとも、ここで買うSを使ってだけど」
「Sって何だよ?」
「もう、薄々わかってんだろ? 覚醒剤だよ。スピードの頭文字をとってS」
とってつけたように体裁を繕う山田。
付き合う方が疲れてくる。
「そうなんだ。まあわかっていたけどさ。なるほどな。Sか。ネット掲示板やブログで見た事あるよ。案外身近にあるもんだよな」
「僕は中学生の頃に教えてもらった。Sを知るまでは、僕も毎日が地獄だったな。勉強しなくちゃいけないのに、焦りばかりで、何も頭に入ってこなくて。本当、もっと早く知っておけば、学年一番も夢じゃなかったと思う。僕は努力しないと勉強ができないから、時間かけないと頭に入ってこないんだ」
「へえ、そうなんだ」
山田の様子を見る限り、怯えは少しは取り除かれている。
僕の演技が百点満点である必要はない。ここまできたら勢いだ。
階段を昇りきり、奥にある部屋のドアを開ける。
そこには王が居る。
ここは劉のコネを通じて借りた場所だ。
いくらかの金でこの部屋の合鍵の隠し場所を買った。
事務所の中で騒ぎが起こった場合、部屋の持ち主は、知らない奴が隠しておいた合鍵を使って、勝手に入ったんだととぼけるだろう。
王にはサングラスをかけさせている。
彼の弱気が目に出るのを悟られないようにする為だ。
先に行った打ち合わせ通りに、彼には適当な中国語を喋らせる。
山田は中国語がわからない。
王が何を喋っても、僕の通訳を疑う方法がない。
部屋の奥で、僕はパケと呼ばれるパッケージを開き、カードで刻む。
これは高架下にいたアラブ人から買ったものだ。
彼らは中国人を嫌っていたが、金になると話は別だ。
金が切れていた絆を取り持った。
彼らは僕に対しての警戒感を少しだけ解いた。
いずれ、彼らも利用してやろう。
ちなみに僕のパケは小麦粉にしてある。ドラッグを身体に入れるつもりはない。
「なあ、マジでやんのか? 仙道ちゃん。マジでか?」
「もうやり始めてから三年ぐらいになる。その経験から言っても問題ない。適量ならな。タバコの方が身体に悪いぐらいだ。ネットにもそう書いてるから、後で調べればいい」
「そうなのか?」
「そう。管理できていたら、問題ないから。ほら、僕を見ろ。ヤバそうに見えるか?」
「いや、全然」
「そうだろう。ほら」
短く切った、ストローを渡し、一気に鼻で吸う。
山田は勢いよく吸い込み過ぎたのか、顔を真っ赤にして咳き込んだ。
冷静を保とうと、咳払いをするが、目が微かに潤んでいた。
「何これ? ちょっと、効かないんだけど? 少しはクるけど。これって粗悪品て奴? もっとガツンと来るもんだと思ったけど」
「直ぐには効かない。少し時間が経たないと」
「映画とかだと、直ぐに気持ち良くなってんじゃん? あれって嘘なわけ?」
「演出だ」
「そうなんだ」
山田は悪い事をしているという背徳感に少し酔っている。
口数が多くなっていた。
「あの中国人に言われているんだけど、山田も友達を紹介すればキャッシュが貰えるらしい。で、その紹介した友達がまた紹介したら、そのキャッシュがもらえる。つまり、紹介者が紹介する度に、君の懐にキャッシュが舞い込む」
「何、それ? まるでマルチ商法じゃん?」
「そう、それだ。さすがに飲み込みが早いな。僕は最初に聞いても、さっぱりわからなかった」
「ふうん。小遣い稼ぎにはいいかもな」
「そうそう。あいつら中国マフィアの一員だから、警察にチクったりしたら、家族全員殺された上に家まで燃やされるから。いい加減な奴を紹介するな。僕を紹介してくれた先輩の友達が実際そうなったんだ。先輩が言っていた。孫会員の責任は親の責任になるから。僕まで面倒に巻き込まないでくれ」
「大丈夫だよ。俺に任せとけって」
山田は間違いなくハマるだろう。今の彼は現実逃避をしたがっている。
そういう奴は自制ができないのだそうだ。
覚醒剤を止めるのは難しくはない。
ただ、その止めやすさが罠だ。
いつでも止められるという意識が、破滅の階段を見えにくくさせている。
気が付けば取り替えしがつかない所まで来てしまう。
いい加減な気持ちで薬物をやり始めた奴が、確固たる意思を持って止められるはずもない。
明日止めよう。
その明日はいつまでも来ない。
薬物依存は繰り返す事で強化される。
ストレスから抜け出す手段が、いつしか目的へとすり替わる。
次は鈴木の番だ。彼女は見所がある。
合コンで自分を紛らわしているが、今の自分に満足していない。
山田や鈴木の最後がどうなろうか知った事ではない。
僕は山田じゃないし、鈴木でもない。
「きたきた! 何コレ? すごいんですけど。おいおい、笑っちゃうよ。すげえ。マジすげぇ。俺、何でもできちゃうんじゃないの」
「そうさ。君は何でもできる。政府だって、何だって余裕で倒せるさ」
僕はニッコリ笑って、そう答えた。
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