When you gaze into the abyss
16.RIP・ピース
僕とリカルドは外出をしている。
今、僕の前ではバンドが演奏をしている。フラッシュ・モブというらしい。
ネットや口コミで不特定多数を呼び合わせ、公共の場で突然演奏を始めるのだそうだ。
疾走感のあるギターと、臓器を揺さぶるドラムの音が場を沸き立たせている。
バンドメンバーの何人かは僕の麻薬販売網の会員になる。彼らのスマホには、販売網会員用のアプリがインストールされている。
そのアプリを使って、フラッシュ・モブを呼びかけたらしい。自分では思いつかない発想だったので感心をした。
路上では音楽で熱狂した人々が、バンドのコールに合わせて頭を振っている。無軌道に吐き出された情熱は、止まることを知らずに燃え上がる。
騒動を聞きつけてか、何人か警官がやって来た。僕の側を警官が通り過ぎるとリカルドが口を開いた。
「
突如、発生したフラッシュ・モブが生み出した人ごみの中。リカルドの言葉を理解する者は誰もいない。
「ふざけるな、行くぞ」
「
リカルドはビルへと続く、真新しい大きな階段に足をかけ、空を仰ぐようにして大笑いした。強い陽光がビルのガラスに当たって反射する。
空には雲がいくつか浮いているが、太陽の照射を受けて、今にも消えていきそうだ。背後ではバンドの演奏がより盛況になったようだ。
警官がやって来て、より盛り上がりを見せたようだ。ブーイングが聞こえてくる。
******
日常生活で日本語以外の言葉を注意して聞いてみると、色々な会話がされている。
以前、地下鉄で年寄りを囲んで、中国人達がこんな会話をしていた。
「なあ、この老いぼれ金持っているかな?」
「さあ。次の駅で引きずり降ろして、金を巻き上げようか?」
「いいね」
「そうだな。こいつヨボヨボだから、抵抗できないぜ」
「そういや朱の奴がさ、老いぼれの家に行ったら死ぬほど金を持ってたって言ってた。ババアが死んで寂しかったらしい。老いぼれが話相手に朱を家にあげたんだって。朱が死ぬほど老いぼれを殴り続けたら、涙を流して、金をやるから助けてくれって」
「どれだけ朱は稼いだ?」
「それがよ。三千万円」
留学生達の衣服は整えられ、見た目は学生に見える。
だが、内容は随分なものだった。細身の眼鏡のフレームに凶悪さは感じられなかった。
「マジかよ」
「で、ここからが笑えるんだけど、老いぼれにさ。警察に言うと殺すぞって言ったらさ。本当に言わないみたいなんだって。道で偶然会ったら、何も言わないのに、警察には言ってませんって」
「へえ。なんでもありじゃん」
「朱はもう一度その老いぼれの家に行ったんだけど、金はもうなかったって。腹が立ったから、もう一度半殺しにしたって」
「クールだな」
留学生達は快活に笑っていた。内容がわからない会話に乗客達が耳を傾ける訳もない。彼らは話を続けていた。
「日本人はさ。散々俺達の国で稼いでるわけだろ? こいつらから金を返してもらうのは当然だろ?」
「で、で、で、この老いぼれどうするよ?」
「家に行こうぜ。日本語慣れてないふりをしたら、こいつら馬鹿だから絶対に俺達のいいなりだよ」
「よし、お前こいつに話しかけろよ」
「何で俺?」
「お前の日本語が一番ひどいんだよ」
「ひでえ」
中国人に話しかけられた老人は、たどたどしい日本語で話かけてくる中国人をみて、微笑んだ。わかりやすいように、ゆっくりとした日本語で答えていた。
中国人が何を話していたかも理解できない老人は、訳もわからず無邪気に笑っていた。
僕はそこで電車を降りた。
信じるものは馬鹿を見る。
疑ってかかれ。
世界で当然の常識を学ぶのは、まだ時間がかかりそうだ。
******
「うおおお、俺最強!」
リカルドの瞳孔は開いている。覚醒剤の作用。この天気にその状態じゃ眩しいだろう。
不必要に感情の起伏が激しい。
横に長い階段を昇りきった所で、僕とリカルドは休憩している。海が見え、潮風が僕の頬を撫でる。
僕はミネラルウォーターを手にして、一気に飲み干す。喉を通る水は生暖かく、ラベルに印刷された清涼感は既に飛び去った後だ。
「おい、ドン。前の女が見えるか。ほら。あの赤いスカートを履いたケツのでかい女だよ。でかいな。ものすんごくでかいな。あのケツに俺のモノをぶち込んでやりてぇな。そうそう、女とヤってる時にさ。首締めると、アソコも締まるっつうじゃねえか? あれ、本当だと思うか?」
「知らないな」
「本当だ! 絞り取られるかと思ったぜ。今度、殺しやる時さ。やってみねえ?」
リカルドは落ち着かない手つきでポケットを探る。
タバコを探しているのだろう。整えられた髪を見る限り、彼が誘拐犯である欠片すら発見できない。
「ああ、考えておいてやるよ。リカルド、ここは禁煙だぞ」
「頼むぜ、ドン。それにしてもドンはノリが悪過ぎんだろ? ゲイかよ。それと名前は”ウノ”っつうだろ? あれってスペイン語で”1”って意味なんだよ。呼びにくくていけねえ。フィリピンだと、そんな名前が多いのか?」
覚醒剤のせいか、話題が安定しない。熱に浮かれでもしたかのように、彼は言葉を撒き散らす。
禁煙だというのにも関わらず、リカルドはタバコに火をつけた。潮風に流され煙が僕の顔にかかる。
「まあ、タイとのハーフだからな。親父に聞いてくれ」
「おお、あそこの女もいいなあ。見ろよ。あの服。色情狂だろ。イカれた女ばっかだな。この辺りは売春婦しかいねえのかよ?」
リカルドは僕の話を聞きもせず、僕の肩に手をかけてくる。
僕はそれを払いのけた。こいつらはスキンシップが過剰だ。彼らの国ではそれが当たり前なのかも知れないが、僕に取っては不快でしかない。
「お前の国もひどいものだろ?」
「まあな。しかし、なんだな。ここの女は顔が平たいな。鉄板のようじゃねえか。それに比べて、俺の国の女は最高だ。その美しさたるや、見れば胸が張り裂けそうになるぜ」
「もう、ホームシックか?」
「いいや。その内に稼いでやるよ。他の連中をぶち抜かして、ビビらせてやるぜ。糞畜生が」
リカルドが大きな声を出すので、フラッシュ・モブを取り囲んでいた警官の一人が、僕達の所にやって来た。
「君の友達さ。もう少し静かにできないかな。他の人がうるさいから迷惑だろ?」
「ここに居る彼はバンドの演奏で興奮してるみたいです」
「騒ぎが大きくなるから、あそこには加わらないでくれないかな?」
警官が指さした先には、バンドの演奏に集まった群衆が居る。
「わかりました」
「後、ここ禁煙だから。ノー・スモーキングだから、ここ」
警官が僕に向かって日本語で話しかけてくる。
リカルドは明らかに外国人とわかる顔だから、話が通じずにトラブルなるのを避けたのだろう。
「私、酔ぱらたみたいです。日本は来るの初めです」
リカルドがたどたどしい日本語で言うと、警官がたじろいだ。
これだ。この隙が僕達のつけ込む所だ。
外国人のふりをすると、日本人は戸惑う事が多い。警官もただの人間だ。一般人と同じ反応をする。
リカルドは大きな口を横に開き、警官にむかって笑顔を作る。リカルドは無精髭を掻きながら、彼は大げさに両手を上げる。
「シガレート ノー?」
「ノー。ユー キャント スモーク ヒア」
警官は背中を反らして、リカルドの英語に答えた。腰が既に逃げている。
警官の後ろを通りゆく人は、自分からは話しかけようともせず、ただ警官が何とかしてくれるのを遠目で眺めているだけだ。
リカルドは大げさに悲しそうな顔をして、タバコの火を消した。警官は安堵の吐息を漏らした。
何もせず傍観しているだけで規律は守られる。
そんな日々は過去のものだ。彼らには忍び寄る足音が聞こえていない。
「グッド。そ、それじゃ、他の人に迷惑かけないようにね」
「アリガト。サイヨナラ」
「バイバイ」
リカルドが大きく両手を振って、警官に別れを告げる。彼の大きな身振りに、警官は苦笑いを浮かべて去って行く。
これ以上話しかけられたくないのか早足でフラッシュ・モブの所へ向かう。
リカルドは大声で笑った。天まで届くかのような大声だ。
「リカルド。仕事ができないなら、ここで帰れ。覚醒剤の量を間違えただろ?」
「ああ、俺の国ではろくなものがなかったからな。こんなに回るとは思わなかった」
ここはマエストロホテルと呼ばれる五つ星ホテル。
この辺りは繁華街になっており、休日になると多くの人が遊びにくる。階段の踊り場から見下ろしてみれば、道が見えないほどに混在している。
皆は開放感の為か、様々な装いをしており、通りに絵具をぶちまけたような有様だ。
僕達はここの写真を撮影しに来た。リカルドなら観光に来た外国人に見えるだろうから選んだ。
だが、覚醒剤で冷静な判断ができそうにもない。
この繁華街では誰もが楽しそうに笑っていた。
僕と彼らが同じ世界を共有しているようには見えない。近くにいながら、その距離はとても遠い。
彼らは一年後も二年後も、変わらず同じ景色が、同じ気持ちで見られると思っているのだろうか?
マエストロホテルの中に入ると、中は空調がされている。乾燥した心地よい空気が僕達を歓迎した。
奥にはロビーがあり、そこは数フロアを連ねた吹き抜けになっており。空から青色の光が降りてきている。
空に吸い込まれるかと思う程天井が高い。横に大きなテレビが掛けられていた。
連続して発生する誘拐事件について、警察や芸能人が集まって討論をしていた。
事件の当事者になって初めてわかる事だが、彼らの言っている事は見当違いだ。差し障りのない事しか喋らない。
道端で歩いている奴を適当に捕まえても同じ事しか言わないだろう。それぐらいに凡庸だった。
大画面に移された司会者は緩んだ顔を引き締めているみたいだが、それでも緊張感が欠けていた。
自分には関係ないという浅はかさが見え隠れしている。
「現在、誘拐が多発しており、三件中、三人とも殺害されています。手口は残忍で、これまでの事件とは異なったように思われるのですが、警察の方で犯人というのは、目星が付いているのでしょうか?」
これは僕達が大衆にルールを飲み込ませる為に行ったものだ。僕達が定めたルールはこの国にも、浸透している。
実際に、誘拐を行っても、警察への通報はされなくなっている。
「現在、捜査中ですが、証拠がありません。目撃情報も少なく、門田利之君の時に外国人。おそらくアジア人が利之君に接触しています。アジアから来た誘拐グループか、それを模倣したグループが暗躍していると思われます。まだ、明確な事は申せませんが、外国人の犯罪と考えて間違いないと思います」
「外国人の誘拐グループと言いますと?」
「世界では誘拐はビジネスと言われるほど一般的です。中国で一年で推定七万人の子ども達が誘拐されています。一昔前、世界最高は2001年のコロンビアの年間三千件でした。それを上回ります。こういった誘拐事件は、誘拐を組織的に行うグループが確認されており、今回の誘拐事件についても、そういったグループによるものだと見当をつけ、捜査を進めています」
ロビーで待ち合わせしていたのか、二人のビジネススーツの男が、お互いに挨拶を交わし、奥の喫茶店へと入って行く。彼ら二人には、このニュースにはまったく関心が無さそうだ。
喫茶店ではサングラスをかけた女がコーヒーを掻き回している。
「ふーん。安心して暮らせなくなってきたと言う事なんですかね。警察はこういった、組織犯罪に対して、どのような取り組みをしようと考えているのですか?」
司会者が警察関係者に質問を投げかけた。警察関係者は意味のない言葉を並べているだけだった。
番組の出演者は、したり顔でコメントをつける。彼らの言葉の主語はいつも警察だ。自分には関係ないと思っている。
ホテル内にあるロビーでは、誰もが自分の世界に閉じこもっている。テレビで何を言おうが気にしていない。
「ただ、警察さんには頑張ってもらって、外国人ですかね? そう言った連中にですね。屈する事のないような体制にしてもらいたいものですね。私達も高い税金を払っている訳ですから」
問題を警察だけの問題にしている間は大丈夫だ。
僕は嗤った。
「どうした、ドン? なにを笑ってる?」
「ああ。この国は本当に犯罪慣れしていないと思ったんだよ」
「そうだな。本当にぬるま湯のような世界だぜ。男はだらしないし、女は隙だらけ。俺達アウトローにすれば、天国のような国だ」
「当分は大丈夫そうだ」
二人のビジネスマンは商談を続けている。二人は笑顔でいっぱいだ。
カフェに座っている女はコーヒーを飲み終ったのか、コーヒーカップをソーサーに置き、広げていた英字新聞を畳んでいた。彼女の動作を見る限り、僕達の会話を拾ってもいない。
僕はホテル内部の撮影を始めた。
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