03.サイコパス・ダイアリー 3/3

 無味乾燥した授業が全て終わって、校門を出る。

 下校する生徒達が蟻のように並んで歩く。

 楽しそうにしている彼らの表情が作り物に見えて仕方がない。


 僕は不法外国人労働者が集うという噂の外国人街に向かう。


 動機は単純だ。

 もし、コンテナマンが無事に、日本に到着していたのなら、彼らがどのような生活をするようになるのか興味があったからだ。


 外国人街は学校からの帰り道から、外れた駅にある。

 僕は制服を脱ぎ、服を着替えた。

 駅に備え付けられている、コインロッカーに鞄と服を押し込める。

 念の為だ。外国人街は治安が悪いらしい。

 そんな街を普段着で歩くのは得策じゃない。古くてみすぼらしい中古服の方が良いだろう。


 駅から下りると皆が胡散臭そうに僕を見つめる。

 サリーを着た肥満したインド人女性や、破れた軍服を着たヒゲ面の南米人。

 白い帽子をかぶった油臭い中東人に、神経質そうな目を細めているアジア人。

 期待せざる訪問者。

 ここは日本であって日本じゃない。


 飛び交う言葉は日本語ではない。

 会話するペアごとに言葉が違う。

 そんな彼らも僕を見ると口を閉ざす。駅舎から出ると、肌に絡み付くような粘っこい油の臭いがする。

 香辛料の臭いが混じっていた。


 道を真っ直ぐ行くと、高架に行き当たった。

 道は二メートル強ほどの低いトンネルになっている。

 幅は自動車二台程。

 高架の両隣には、古いビルが侵入者を拒むかのように建っていた。

 築四十年は経つのだろう。窓が白く濁っている。


 高架下のトンネルは蛍光灯が盗まれてしまったのか一つも明かりを灯していない。

 空になった台座だけが煤けた体を晒している。


 ここはゴミの吹きだまりになっているのだろう。

 ナイロン袋が互いに身体を絡ませていて、胸が悪くなるような、酸っぱい腐敗臭がそこに座り込んでいた。


 壁には落書きがされており、ハングル、簡体字、アラビア語、タイ語など世界各国の文字が、それぞれの縄張りを主張するかのように書き連ねられている。


おいHey,何を見てやがるwhat the hell yo looking at?」

 いきなり訛りの強い英語がぶつけられたかと思うと、真っ暗な高架下に集まっていた連中が僕を取り囲んだ。

 アラブ人。

 目の下を縁取る隈が印象深い。

 瞳が焦りと怒りでギラついている。

 彼らを見つめたのが気に障ったらしい。ドラッグの売買でもしていたのかもしれない。


おいガキHey, brat お前が来る場所じゃねえHere isn’t yo business 家に帰んなFuck off

 立ち去らない僕を見て、彼らは覆いかぶせるように言葉を浴びせてくる。

 家に帰れという言葉の中に冷たい脅迫が混じっている。


 僕が日本人と思われるのは都合が悪そうだ。金を持っていると思われるのは厄介だ。

落ち着けよお前らChill out, guysここに来たばかりなんだ This is my first time in here 中国人が居る所を教えてくれないですかI’d like to know where Chinese live in

 僕の英語が通じたようだ。

 中国人はどこだと聞いてみた。

 彼らは何かを早口で話していたかと思うとナイフを取り出した。一人が僕に激しい口調で詰め寄る。


チャイナはどこかへ行きやがれGet fuck out , shitty Chinese!」

 憎悪を剥き出しにしている。

 今にでも飛びかかってきそうだ。

 標準的なアメリカ英語とは違い、随分と訛りが酷い。

 注意深くしていれば、聞き取れない事もない。

 彼らの敵意に満ちた表情を見る限り、早く立ち去った方が良さそうだ。

 今にでも噛み付きかかってくるかもしれない。


 ここには僕達が知らない日常があるのだろう。

 肩を竦め、明るい所に行く。

 彼らの視線が背中に突き刺さるかのようだ。

 沈黙が支配する高架下に僕の靴音だけが響いた。


 背後に迫る脅威を感じながらも、外国人街に来て良かったと感じた。

 この街には弛緩した日常にはないリアリティがある。

 メディアからだらしなく垂れ流される虚飾に満ちた生活ではなく、死が隣合わせのシリアスな生活。

 背筋に興奮が心地よい痺れとなって駆け上がってくる。


 僕達がため息をつきながら電車で登校している時、彼らは生活の為に盗む。


 僕達が授業であくびをしている時、彼らは快楽の為に犯す。


 僕達が疲れた身体を引きずって下校している時、彼らは欲望の為に殺す。


 生命の原色。無秩序な混沌と出鱈目な混乱の共存。忘れていた色彩が戻ってきた。

 止まっていた心臓が動き出した。


 高架を抜けた所は悪臭に満ちていた。

 高架に凭れるようにして、ブルーシートで作られたテントが立ち並ぶ。

 貧民どもが垢で汚れた体を掻きながら、落ち窪んだ目でこちらを見上げている。


 道の両側には腐ったコンクリートのビルが疲れた顔をして並んでいた。

 不揃いな壁面に様々な色のペンキが不器用に塗られている。

 通りを下ると僕の日常では見られない、生活があった。


 少年達が覚醒剤をあぶって吸引している。

 一人は地面に転がり、獣のような声をあげて陰茎を擦っている。

 歯茎を剥き出しにしているその姿は寄生虫に脳を犯された猿のように醜かった。


 裏通りでは尻を突き上げられている売春婦を横目にしながら、黒人とアラブ人が偽造カードの値段交渉をしている。

 女が嬌声をあげる度に二人は、下卑た笑いを浮かべている。


 アパートの玄関では小学生ぐらいの白人の娘が、ソバカスだらけの顔をしかめて、スカートの中を見せたのにどうして金を出さないのかと、浮浪者に詰め寄っていた。


 更に奥に進むと、崩れそうなコンクリートの建物に木造の建て増しがされていた。

 暗闇へと続く横道には幾本もの紐が建物の間に通され、古びた衣服がその身体を風になびかせている。


 夫婦喧嘩でもしているのだろうか、

 男の怒号に女の断末魔のような悲鳴が空から降ってきた。

 道行く人々は知らぬ顔だ。


 道にはゴミが山のようになって、道の真ん中に捨てられている。

 生ゴミ、不燃物、ダンボール。なんでも有りだ。

 その中には排泄物でもあるのだろう。

 吐き気をもよおさせるような刺激臭が鼻をくすぐる。


 地上に堕ちた腐った果実。

 淫猥と狂乱。

 野卑と下品。

 あらゆる汚濁おだくがこの街を支配している。

 日常生活の排泄物の集積地。

 ここに母親を診察している精神科医を連れて来たらどんな顔をするだろう。


 裸足で下半身を丸裸にした幼稚園児ぐらいの子供がこっちを見ている。

 顔を見る限り、アジア系だ。英語は通じない。


中国人は何処中國人在哪里?」

 中国人は何処だと尋ねると、彼は舌足らずな口調で答える。

ここ这里


 どうやら僕の目的地はここのようだ。

 中国人はここにいるらしい。

 中国語は以前、興味本位に勉強をした事がある。

 英語だけでは物足りなかったからだ。

 子供の発音だからか発音が平坦で、聞き取りやすかった。

 それよりも案外と自分の中国語が伝わる事に驚いた。

 子供からここが中国人が住む場所だと聞いてはみたものの、奥に入るのも躊躇われた。


 奥にあるアパートの入り口には、ビンや缶にゴミ袋が無秩序に置かれている。

 玄関に人はおらず、簡単に入れそうだ。


 しかし、奥に入れば逃げる場合の選択肢が少なくなってしまう。

 表で適当に話をして、盛り上がったら中に入る事にした方が良さそうだ。


 中国語を上達させるべく、一方的に話しかけた。

 子供ながらに僕に警戒感を持っているのか、最初は会話をするのを嫌がっているようだった。

 くたびれ果てたシャツを着込んだ子供は死んだ目をしている。

 ひつこく話しかけていると、どうやら彼は無視をするのを諦めたらしい。

 垂れた鼻水を器用に飛ばした後、ポツポツと話をするようになった。


 話題が広範囲になるにつれて、理解できない単語や言い回しが出てきた。

 まだまだ僕の中国語は勉強が必要なようだ。

 毎日百語暗記するのを十日ほど続ければ、日常会話は問題なくなるだろう。

 暗記する際に、単語単位ではなく、文単位で覚えておけば、表現方法も広がるはずだ。


 僕の顔はここにいるアジア人としては、生活の疲れが滲みでていない。

 その為、この環境では目立って見える。

 だが、子供と話をしていると、景色にまぎれてしまうのか、僕の上で止まる視線は少なくなった。


 ビルの向こうに太陽が隠れる頃、男達がくたびれた様子で帰ってくる。

 そろそろ、帰宅時間らしい。

 激務で疲れ果て、魂まで消耗しきった彼らの顔を見て、付け入る隙を探す事に神経を注いだ。


 僕の奥底で何かが蠢きだしたのを感じた。

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