29.デストロイド・ジャスティス

 広間には僕とシャフバンダルとメルキアデスだけだ。テレビから緩んだ音声が流れている。


「南米の奴が捕まったらしい。これで今週に入って、不法滞在者の逮捕数は中国人で五人。南米系では三十二人。中東系で四十八人だ」


「警察も焦っている。ここに踏み込みたいが、決定的な証拠がない。確定付ける証拠を探している。外国人街は危険だ。もし、捜査中に捜査員の死傷者が出て、犯人が挙げられなければ、目も当てられなくなるだろう? 警察はこれ以上の失敗はできないんだよ」


 僕達のビルを訪れる外国人が急増している。

 先の連続誘拐、ホテル爆破があってから、不法滞在者を摘発するいう目的で、路上尋問が増えている。

 外国人にとっては降って湧いたような災難だ。不法滞在者は多く、路上尋問を避ける為に、この外国人街へと流れてくる。


 今まで、外国人滞在の規制が大きく緩和されていたので、捜査は難航している。

 いたる所で尋問が行われているのを横目で見てきたばかりだ。


 最早、警察もなりふりなど構っていられないのだろう。

 見苦しいほどに、そして、清々しいほどに、直線的で、とち狂っていた。

 連中も本気だという事だ。国家の番犬が、起き上がって、牙を剥き、その巨躯きょくを怒りに染めている。


 メルキアデスは煎った豆を食っている。

 口から下品な音をたてながら、だらしのない食い方だった。顎に巻き付いた髭がのび、黒い肌を更に黒くしていた。


 一方のシャフバンダルはソファーに寝そべり、錆びた窓枠を見つめたままだ。整えられていた顎髭は、いつの間にか不揃いになっている。


 僕とシャフバンダルとで打ち合わせをしたら、致命的な食い違いがおこった。

 それから、彼は僕の話を取り合おうとしなくなってしまった。ここ数日、口を聞こうともしない。


「メルキアデス。南米系の日本に滞在者のリストの進捗はどうなっている?」

「ああ、以前に言っていたアレか? ボス、お前は何をしようとしている?」

「質問に質問で答えるな。いいから進捗を答えろ」

「わかった。お前がボスだ。南米系は取りあえずリストはできている」


 ローテーブルに置かれている書類を取り上げる。メルキアデスは食事に戻った。

 書類は赤いスープの飛沫で汚れていた。紙はよれており、書き殴られた文字は読みにくい。

「これだけか? 南米系だと二十万は越えているはずだ」

「全てを書ける訳ねえ。主立った連中だけを書き揃えた。これ以上は無理だ。それより、俺の質問の答えてくれ。一体何に使用するつもりなんだ?」 

「ネットワークを構築する。ここで集中管理するようにする必要がある」

「それでどうするんだ?」

「何にでも使える。ドラッグやフェイク品の販売ネットワークも強化できる。とにかく今は連絡先を集めて、管理できるようにしてくれれば良い」


 メルキアデスは、僕を睨んで問いたげな顔をしていたが、質問はなかった。

 彼は再び煎った豆をかき込み始めた。


「シャフバンダル、お前の方はどうなっている?」

 シャフバンダルはソファーに横たわったまま、近くにある書類を指さした。僕と目も会わせるつもりもないらしい。鷹の眉は錆びた窓枠に向けられたまま。


 アジア系については陳から入手をしている。ただ、問題は彼らの関係性は複雑で、利害関係が交差している。ただ、彼らが普段通信している情報網へと入る手段だけは確保できた。


 同じ場所にいるにも関わらず、幹部同士で意見がすれ違う。

 致命的なほどに一体感に欠けている。


「僕は外出する」


「どこへ行く?」

 メルキアデスの口の端に豆がついているので、指さして教えてやる。

 彼は指で口を拭った。


「悪魔の戸籍を確認するのさ。僕が登録されているんじゃないかと思ってさ」

「ちっ、ふざけるなよ。それで、あの女はどうするんだ?」

「連れて行く」


 興味なさげに、メルキアデスは歯に詰まった豆かすを爪で取る。

「あの女、覚醒剤でボロボロじゃないか。もう壊れてるぜ?」

「どこに居るんだ?」

「地下だ。地下室にいる」

「そうか」

「ボス。お前はあの女をどうしたいんだ?」


 メルキアデスの声を背で受け流し、僕は地下室へ降りて行った。


「馬鹿野郎! お前はサイコだ!」

 背中からシャフバンダルの絶叫が聞こえてきた。

 

******


 地下室の扉の向こうは煉獄だ。扉を開ける前から獣の吼える声が聞こえてくる。

 開くと、裸電球の下で一人の女を貪っている男達がいた。


 秋代は歓喜と痛みに泣いていた。豊かな乳房。艶美な腰。神の祝福が汚されている。

 覚醒剤による正気と狂気の間。秋代の魂は薄汚れた獣欲に引きずり回されている。


「おい、そいつを連れて行く。早く終らせろよ」

「もう少し待ってくれ。もうちょっとで終るから」


 秋代を犯していた男がそう言って、自分の行為に没入した。

「しかし、臭いな。腐ったような臭いがする。換気しているのか?」

「ヤルまでさ、気になるのは。この女の体は貧相だが、締まりは最高だ。とんでもねえ、ビッチだぜ」

「そういうものか」


 蒸し焼きになるほどの熱気。獣の狂宴。

 汗が蒸気となってサウナのようだ。その空気の中に、蒸発した精子が腐って、異様な臭気を振りまいている。


「おい、起きろ。いつまで寝てんだよ。大将がお前を連れて行くとさ」

 事が終わり、股から血と精液を涎のように垂れ流して秋代が立ち上がる。

 彼女の口は痴呆のように開かれていた。


「奇麗な華が台無しだ。服はないのか?」

「これです」

「急いで着させろ。連れて行く」


 秋代は子供のような動きで服を着ようとするが、身体がうまく動かない。

 苛立ったペルー人に腰を蹴られる。


 秋代の尻が、床に打ち付けられる。ショックで秋代が涎を垂れ流し、言葉にならない言葉を漏らす。


「とんだ売女ですよ」

「ああ、そうだな」


******



 車は僕が運転した。

 秋代が余りに臭うので、ホテルの風呂で体を洗ってやった。

 彼女は自分で動かず、僕に洗われるだけだった。まるで人形。彼女の心はすっかり潰れている。


 チェックアウトの後、彼女をホテルの一階にあるブランドショップに連れて行く。

 店内に入るとまだ若い男の店員が立っていた。整髪剤で髪型は整えられ、着ているベストも隙がない。

 店員は朦朧もうろうをしている秋代を見て、問いたげにしていたが、札束を積み上げると口を閉ざした。


「これなんかは。どうでしょう」

 店員が僕の顔を見て、精一杯の笑顔を開く。緩んだ道化を見ている気分になった。


 試着室から出てきた秋代が着ていたのは白いワンピース。日の光を背に受け、彼女は輝いていた。

 妖精のような細やかなフリルが彼女の動きに合わせて踊る。

 清楚で凄烈な美しさが押し迫る。彼女はゆっくりした動作で鏡を見ている。


「これがいい」

 椅子に腰掛けている僕が呟くと、店員が慌てだした。目は見開かれ秋代を凝視していた。


「お客様。血が、血が出ています」

 振り向いてみると、秋代の下半身が出血していた。男達に嬲りものにされ、傷付いたのだろう。


 店内に流れる軽やかなピアノ曲。調律された和音に歪みはない。

 理論化された鍵盤の響きは、心をフラットにさせる。


 秋代が履いた、絹の輝きを放つ純白のスカートに広がる、黒味を帯びた赤い血の領域。

 陽光に照らされ、鮮やかなコントラストだった。


「これは買い取らせてもらう。同じものをもう一つ、お願いしたい。それとタオルか何か拭くものを」

「大丈夫なんですか? お客様のお体の加減も良くないように、お見受けしますけど」


「彼女の体調は良くない。ただ、今日はどうしても外せない用事があってね。体調が悪くても、行かなくちゃならないんだ。他のものも見てみたい。靴とベルトも置いているか? アクセサリーも見ておきたい」


「お加減がよろしくないようですから、無理はなさらぬように。そうしましたら、急いで商品をお出ししますね」


 店員は畏まりながらも、商品を提供するのを止めようとはしない。

 売上げに繋がる、客を逃そうとはしない。柔和な面は心配そうにしているが、頭は売上高の数字で一杯らしい。彼は急いでバックヤードへと戻る。


 試着室に秋代と一緒に入って、服を脱がせた。タオルで血を丁寧に拭き、下着を変えさせる。


「大丈夫だ。君は大丈夫。何も問題ない。君は大丈夫」


 試着室から出てきた僕達を店員はにこやかに迎えた。先ほど心配そうにしていた表情はどこかに置いてきたらしい。


「こちらは今年の新作になります」

「秋代。少しだけ歩く」


 足下のおぼつかない秋代の肩を抱く。

 彼女はなされるがままに体重を預けてくる。転ばないようにゆっくり歩いた。


 他の客を尻目に、広めのガラス張りのテーブルに他の服を広げる。


「ミネラルウォーターはないか?」


 秋代の様子を見て、店員に聞いた。

 彼女の額に薄い汗が膜となっており、息が荒くなっている。


「ええ、ございますけれど」

「それをくれないか」


 受け取ったボトルを秋代に渡す。彼女は何もせずに、それを見つめているだけだ。


 飲ませようとすると、口の端から水をこぼした。それは細い顎を伝って服を濡らす。

 ボトルを手に取り、僕は秋代に口移しで飲ませた。


 唾液が混じり、暖かかくなった液体を彼女は飲み干した。

 もう少し欲しいと揺れる視線で訴えてくる。


 空調され、空気にも香水が混ぜられている調和した空間。彼女はその空間にマネキンのように立っている。

 違いと言えば、秋代には命があるだけだ。彼女は命がある人形だ。


「新作はこちらになります。絹の美しさというのを、今期作品のメインテーマにしています。肌触りがよく、そして繊細なタッチ。着ていて楽しいという喜びを、あなたの美しい彼女に与えてくれるでしょう」

「もらおう。他にお薦めは?」

「昨年のになりますので、時代遅れになりますが、これなんかはお似合いになるかと思います」

「こいつは色が嫌だな。できればシンプルなのが良い。これは麻なのか?」

「ええ、麻五十、絹五十です。麻といっても手をかけて加工しています。絹のような肌触りは出せませんが、風通しも良く、着心地は最高ですよ。お気に入りの一着になるでしょう」


 店員が薦めるままに、棚のほとんどを買い付けた。車に積み込むと服の展覧場になった。


 元より僕は女性が好む服がわからない。

 僕が良いなと思ったのは、最初の白いワンピースだけだ。フリルが楽しそうに踊っていた……


 秋代を先にシートに座らせる。首が据わっておらず、腰をかけた時に、頭が大きく揺れた。

 彼女の髪が紗のような音をたて、ダッシュボードに被さった。


 彼女のシートベルトを付けた後、僕は運転席に回って腰を下ろす。柔らかい革張りのシートが体を包む。革の匂いが鼻に心地良い。


 エンジンをかけると、秋代の目が少しだけ開かれた。睫毛が何度か上下している。


「どうだ。意識は戻ったか?」

「ええ」

「まだ、朦朧もうろうとしているようだな」

「まだ夢の中のようだわ。それにとても眩しいの」


 言葉少ない秋代。意識は混濁しているのだろう。目に手をかざしていた。

 既に言葉使いが怪しく、呂律ろれつも回っていない。


「秋代」


 僕の呼びかけに、彼女は相づちを繰り返すだけだった。

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