38.ウォンテッド・デッド・オア・デッド
慌てた警官を持ってもいない爆弾を爆発させるぞと脅し、家の中に入った。
秋穂から借りた携帯音楽プレーヤーはベッドの奥に隠れていた。
部屋に撒き散らされた血は拭き取られておらず、部屋自体が前衛芸術の作品のようだ。
モノトーンの部屋がものの見事に生臭く変わっている。
血に含まれた鉄の臭いが漂ってきそうだ。
部屋の中心には白いペンキで人の形が描かれている。秋代の父親の跡だ。
窓の外からは何も聞こえてこない。
ここは防音されている。
僕は椅子に座って音楽を聞いた。
安らかな時間が過ぎる。
玄関から出ると、サーチライトで照らされた。
包囲され、拡声器の言われる通りに両手を上げると、警官達が殺到してきた。
家々には明かりが灯り、好奇心を剥き出しにした連中が塀の向こうからこちらを覗いている。
顔を踏みつけにされ、混乱の中で僕はラグビーの授業を思い出した。
パトカーが警察署に着くと、多くの記者がフラッシュを焚く。
まるで昼間になったかのようだ。
人の海で阻まれ、一歩も進む事ができなかった。
「人殺し!」
「人でなし!」
「死ね! この殺人狂!」
この地上にある、ありとあらゆる暴言が僕に投げつけられた事だろう。
警官は怒鳴りながら、僕の通る道を作ってくれたが、導線を確保する素振りをしながら、横っ面を殴りつけてきた。
視線が揺れて、倒れそうになる。
「ボケが。倒れてんじゃねえよ。この糞ガキ」
警官が鬼のような顔をしてそう言った。
腕を掴んで引き起こされたが、腕が折れるような乱暴さだった。
群衆に押し潰されながら、アナウンサーが僕にマイクを突き出す。
それは勢いがあり過ぎたのか、僕の顔にぶつかる。
「全国の皆さんに一言。何かコメントないですか?」
黙っている僕に周囲から荒々しい声が浴びせかけられる。
「黙ってないで何か言え、この人殺し!」
「言わなくちゃわからねえだろう。お前は罪人なんだ。何か喋れ!」
「手前みたいな奴には人権なんざねえんだよ」
「お前に心はあるのか? 良心はあるのか?」
「この馬鹿、気取ってやがるぞ! こいつをここで殺しちまえ!」
警察署に入っても人だかりだ。
署長が感電したかのような勢いで立ち上がり、僕の所に走ってくる。
僕を逮捕した警官が、敬礼をした後、興奮気味に報告する。
「お手柄だ。よく捕まえてくれたな。あそこに来る事はないと思っていた」
「いや、僕もまさかと思いました。友人がこの前の動員の時に死んでしまったので、捜査に参加したかったのですが、あそこに居て正解でした」
「本当だな。お前がいてくれたおかげで、こいつを捕まえる事ができた。天国でお前の友人も喜んでいる事だろう」
「ありがとうございます」
僕を捕まえた警官は感無量とばかりに泣き出した。
鼻水をすすり上げ、顔は雪崩のように崩れている。
ここの署長と思われる男は、現場上がりなのだろう。
山のような体躯だった。鍛え上げた筋肉が盛り上がり、制服を押し上げている。
彼は僕の前に来るなり、顔面を殴りつけた。
不意打ちだ。
世界がふき飛ぶ。壁に勢いよく後頭部をぶつけたせいで、目が霞んで、意識が遠のいた。
「署長!」
「いいんだ。こんな畜生は誰かが天誅を降さんと駄目だ。こいつは動物なんだよ。体に教えてやらないと駄目なんだ」
「でも、後頭部から血が出てますよ。やり過ぎでは?」
「そんなのは、逮捕した時に、自分で頭をぶつけたと報告すればいいだろう。俺達の仲間がどれだけ殺されたと思っているんだ! 俺の仲間、お前の仲間も、殺されたんだぞ。家族も悲しんでいる。こいつに虫けらのように殺されたんだ。お前は悔しくないのか? お前は血の通った人間だろうが、悔しくないわけないだろう?」
「悔しいです。でも、もうすぐ捜査一課の連中やハムの連中が来ます。後で何か言われると面倒ですよ」
まるで三文芝居を見せられている気分だ。
できの悪いシナリオ。
全てが予想できてしまう。そんな語り。
「誰が座っていいと言った?」
倒れた身体を起こして、椅子に座ろうとする僕を署長が怒鳴りつけた。
一言一言大騒ぎしないと気がすまないらしい。
平衡感覚が失われ、揺れる身体を制御しながら、真っ直ぐ立とうとする。
「こいつフラフラしやがって」
「さっき、殴ったショックで鼓膜が破れたんじゃないですか?」
「構わん。どうせ逮捕の時に、もみ合いになったと言えばいいんだ。誰もこいつに同情しないし、信用しない」
僕は裸足にさせられた。
手と足に手錠をかけられた状態で、尋問室に放置された。
耳鳴りがして、世界が回る。いつか乗ったメリーゴーランドのようだ。
確かあの時、メリーゴーランドの馬の顔が怖いと秋穂が泣いていた。
怯える彼女は身体を縮ませ、僕の背中で震えていた。手が背中に添えられ、暖かかった。
もう、彼女は泣くのを止めただろうか?
「こちらです」
「こいつか? なんだ? こいつ今にも倒れそうな顔をしてやがる。何かあったのか?」
「逮捕の時にもみ合いになりましたからね。こいつ爆弾持っているとか言って大変だったんですよ。鼓膜破れたかもしれませんね」
警官と一緒に入ってきた、白髪頭の年配の男は大笑いした。
「まあ、こんな大捕り物があったら事故はあるもんさ。気にするな。ただ、歯を折るぐらいならいいが、尋問前だから、鼓膜は勘弁してくれよ」
白髪の男は僕の腹を蹴り上げた。肺の空気が吐きだされ、胃液が逆流してくる。
「ほら、これで俺も共犯者だ。鼓膜ぐらい良いさ。お前も気を楽にしていいぞ。こんな凶悪犯なんか、昔だったら、尋問中に殺してしまってたもんだ」
「そうですね。ちょっと気が楽になりました。これから尋問前に鼓膜は破らないように、皆に言っておきます」
「ほどほどにしておけよ。くれぐれも俺が言ったとか吹聴するなよ」
「わかってますよ。任せて下さい」
白髪頭が僕を小突き回す。彼は執拗に僕の肉体を痛めつけた。
「いいか。この極悪人め。お前なんざ生まれなきゃ良かったんだよ」
尋問は続けられる。
寝る間も与えられず、食事も与えられず、そして、便所に行くのも許されずに垂れ流しだ。
同じ問いが何度も繰り返される。
嘘をついているかを判断しているのだろう。
尋問担当者は、何度も変わって僕を責めた。
動機は?
どうしてそんな事をしようと思った?
何がお前をそうさせた?
尋問は執拗に続いた。
僕は眠気と空腹で頭が回らない。
口を動かす為の言葉も出てこない。
僕を尋問する連中は誰もが感情の波に溺れていた。
感情の洪水を一身に受ける。
だが、身体の中でそれは実を結ばない。
激情は伝わらず、僕の中を虚しく通り抜ける。
それほそうだ。
僕には心がない。
「正直に言わねえと、手前ぶっ殺すからな。わかってんのか?ああ!」
ぶつけられる言葉。
他の連中はそれを言葉の暴力と言ったりもしているが、僕にはその実感がない。
困窮して意識を消えかける僕に意識を取り戻させたのは、鳩尾への一撃だった。
吐き出すものなどないはずなのに、僕は背を丸めて吐いた。
苦い空気が口から這い出てくる。
「もう、それぐらいにしとけ」
顔を起こすと、初老の男がいた。
「しかし、おやっさん。こいつはこれぐらいしないとわかりませんよ。獣ですからね。こいつは」
尋問員は嫌な顔を隠そうとはしない。
「いいから。後は俺が聞き出すよ。お前はあがりな」
「はい」
遠ざかる視野の向こうに初老の男が揺れて見えた。
眠りに落ちたのは、数秒後だった。
もう起きないかもしれないな。
そんな事を思いながら、僕は眠りに落ちた。
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