第9話 軽く、軽く、軽く
俺は慌てて青ネギを刻む手を離す。
まさか「卵を割れ」が「卵を叩き潰せ」に変換されるとは考えていなかった。
憐れな卵は黄身も白身も殻もぐちゃぐちゃだ。
とても食材としては使えない。
「何してんだよ!」
思わず大声が出る。
卵もロクに割れない女がいるなんて、理解出来なかった。
「ふぇっ、卵ってこう割るんじゃないんですか!?」
「当たり前だろ! 割るってのはな、中身を器に出してってことなんだよ。誰が投げつけろって言った!」
「ふぇ、ふぇっ……」
フィーリアの目に、またも涙が溢れてきた。
「マスター……やっぱりフィーはダメな子なんです……」
「そりゃ卵割れないのはどうかと思うけど」
「うわぁーん!」
しまった……、俺はどうして同じ轍を踏んでしまうのか。
あっけなくフィーリアの涙の堰は決壊。
深夜だというのに、彼女は構わず大泣きする。
何とかなぐさめなくては。このままじゃご近所に迷惑だ。
「ご、ごめん。言いすぎた」
「グスッ……グスッ……」
「卵の割り方知らないだけだろ? 教えてやるから、な」
「ま、マスターぁ」
「な、とりあえずこれで涙拭け。俺は卵片付けるから」
ティッシュを2、3枚取り出してフィーリアのほっそりした手に押し付ける。そしてシンクに飛び散った卵の残骸を、三角コーナーに捨てた。
「た、卵さん……もう食べられないのですか?」
「これはもう無理だな。殻がこんなに混ざっちまうと」
「ふぇっ、フィーリアのせいで……。ごめんなさい卵さん」
「大丈夫だ、まだある」
シンクを元の状態に戻すと、新しい卵を二つ取り出した。
適当なお椀も出す。
「いいかフィーリア。料理をするには、まず場所を確保することが大切だ」
フィーリアは眼を擦りながら、真剣な顔つきで俺の言葉に耳を傾ける。
「はい、マスター」
「レンジの上に台があるだろ、そこでやろう」
我が家のキッチンは意外と物が多く、作業するところが少ない。
そこで重宝するのが床に置かれたレンジ台の上だ。椀と卵を小さなレンジ台の上に置いて、エルフとおっさんは狭苦しく並んだ。
「さ、始めるぞ。いいかフィーリア、大切なのは殻を中身に入れないことだ」
「はいですぅ」
「よく見てろ。まず卵を片手で持つ」
「片手で、持つ……」
「そして割る。ここで力を入れすぎると、さっきみたいになっちまうぞ。だから軽く、ヒビが入るくらいに」
コツン、という音を立てて、俺の卵は華麗にレンジ台の角を叩いた。
「よく見ろ、ヒビが入ったろ? フィーリアもやってみ」
もう一つの卵を、彼女に渡した。
恐る恐る、フィーリアは卵を手に取る。
「軽く、だ」
もう一度、念を押した。
「は、はい……」
ぶるぶる震えながら、フィーリアは卵を角に近づける。
だが彼女の手は震えたまま、一向に卵を叩こうとしない。
「おい、どうした?」
「軽く、軽く、軽く」
ぶつぶつと呟きながら、卵を持ったまま固まっている。
その眼は見開かれ、額からは脂汗まで滲みでていた。
「おいどうした!?」
「軽く、軽く……」
「ちょ、顔が真っ青だぞ」
「ああダメですぅ!」
フィーリアは卵を角から離して、大きく息を吐く。
「なんで!?」
「フィー怖い!」
「失敗してもいから、とにかくコツンってやってみ」
「でもマスター! フィーリアが失敗したら、また卵さんが捨てられちゃうんです!」
「卵の一つや二つなんてことないから」
「またああなってしまったら……天国で卵さんが浮かばれません……」
天国の、卵さんだと?
そんなファンシーな同情をするハンターがこの世にいたのか。
ハンターならばゲームの世界で、卵どころかモンスターを狩っているはずだ。
俺はフィーリアの人柄を計りかねた。
しかしこの問答を続けて、食い物が出てくるわけではない。
「フォローするから、とりあえず割ってみ」
「卵さん、犬死ににはならないのですね?」
「犬死にって……アハハ」
やたらと卵の行く末を気にするフィーリアに笑いが込みあげた。
そんな俺を見てフィーリアも笑う。
「マスター、何が面白いですか?」
「いや、フィーリアって優しいなと思って」
「おウチでもよく言われました」
「へえ、ゲームの拠点の村か?」
「いいえ、フィーの実家さんですぅ」
「ハンターに実家なんてあるのか!?」
「モチロンです、いけませんか?」
「そういう訳じゃないけど……とにかく、早くチャレンジしろよ」
「はいですぅ」
緊張が解けたのか、フィーリアは「えいっ」と勢いをつけて卵を割った。
しかし……。
「わわわ、マスター!」
案の定勢いがつきすぎて、卵は大きくヒビが入ってしまった。
中から白身が流れ出る。
「うおぉっと!」
すんでのところでお椀を差し入れ、中身をキャッチした。
そのままフィーリアの握っている卵殻も回収する。
「また失敗しちゃいましたぁ!」
「まぁそう慌てんな。これくらいなら殻を取り除けば食べれるし」
「はぁ、良かったですぅ……」
「ほんっとそそっかしいやつだ、それでよくハンターやれてるな。ま、俺の操作通りに動くんだろうけど」
「フィー、卵も割れないダメな子! うわーん!」
またやってしまった。
やっぱり俺は口が悪いのか……どうも女の相手は慣れない。
「ごめんごめん! ほら、まだ卵あるからもう一回やってみ!」
「グスン……はいですぅ」
流石に二回目となると、フィーリアもコツを掴んだようだ。
いい感じに卵にヒビが入る。
「うわぁ! 出来ましたマスター!」
「よし、そのまま親指をヒビに差し込んでパカッとやるんだ。ホレ、見てろ」
俺は華麗にお手本を見せる。フィーリアも後に続いた。
「パカッと、ですね……」
フィーリアの指先の間から、綺麗な黄身と白身が零れおちた。
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