第56話 カリカリ天ぷらのコツ

 ――キッチンに置きっぱなしにしていた3DLから、ニュルッと実家に帰って来た。

 よく点けっぱなしになっている家の明かりは、珍しく消えている。

 オカンは家にいないようだ。


 時刻を確認すると、丁度月曜を迎えた午前0時過ぎである。

 基本週末は、オカンの店は休みのはずだが……。

 遊びにでも行っているのだろうか。


 電気を点けると、いつも通りの散らかったキッチンが現れる。

 ムシムシする梅雨特有の空気が、部屋中に充満していた。

 不快な気候だ。


「くそ、コッチの気候は居心地悪いな」


 湿度を落とすため、ドライモードでエアコンを運転させる。

 冷たい空気がエアコンの口から吐き出された。


「ああ、生き返る……」

「ふわぁ、冷たいさんですぅ。これは魔法ですかぁ?」


「違うよ、エアコンだ。エアーコントローラー、空気を冷やしたり暖めたりする」

「ふぇええ」

 

 フィーリアが風を待つ鳥のように、エアコンの前で涼風を享受した。

 エアコン無しで、日本で暮らすのは大変だ。


 それを考えると、家電など存在しないベルニアが、いかに恵まれた気候だったかを確認できた。


「ベルニアって、なんだかんだいい場所なんだな……」


 そんなことを呟きつつ、オカンのことを心配する。

 土日の間、家を空け続けたのだ。きっとオカンは怒っているだろう。


 彼女への一番の贖罪は、美味い飯を作って待っていてやることだ。


「おっしゃ、やったるか」


 俺は鍋を取り出し、サラダ油をトクトク注いだ。

 なみなみと油が入った鍋をコンロにかけ、熱する。

 その間に、氷水をピッチャーに作った。


 そうこうしている内に、キッチン中に油が煮える匂いが立ち込める。

 フィーリアがエアコンの前からヨッコラセと身を起こし、俺の隣にぴたりとくっついた。


「ふええ……こんな沢山の油さん、どうやって使うですかぁ?」

「ああ、これからワラビを揚げるんだよ」


「あ、揚げるですか!?」

「まぁ見てろ」


 ボールに卵を割り入れ、しっかり溶く。

 そして氷水を注ぎ、これまた念入りにとき混ぜた。

 卵と水が混じり合った、白っぽい卵液が完成だ。

 

 次に冷蔵庫で冷やしておいた、小麦粉を加えていく。

 だがここからは「念入り」は禁物である。

 チャチャっと箸でかき混ぜる程度で良い。


「わざわざ冷たいお水さんを、使うですかぁ?」

「それだけじゃない。粉も卵も冷やしてある」


「でも、これから揚げるのでは?」

「いいか。揚げ物はな、油と衣の『温度差』が命だ」


 そう言いつつ、熱された油に一滴、衣を落とした。

 するとすぐに衣が浮き上がり、ジジジと音を立てて揚がり始める。


「すぐに衣が上がってくるってことは、油の温度は十分ってことだ。で……」

 

 衣の欠片をさっと箸ですくい、キッチンペーパーの上で油を切った。


「衣の揚がり具合を見てくれ、熱いから気をつけろよ」

 

 フィーリアは慎重に衣を摘みあげ、じーっと観察した後、前歯で齧りとった。

カリッ……という小気味良い音が、可愛い歯の間から漏れる。


「うわぁ、カリカリサクサクですぅ!」

 

 フィーリアが嬉しそうな声を上げた。

 よし、ひとまず成功だな。


「それが良い天ぷらの証だ」

「天ぷらさんって?」


 ポリポリと残りの衣を噛みながら、フィーリアが興味深々で聞く。


「この世界の揚げ物料理だ。衣が軽くてカラッと揚がっていてこそ、成功と言える」

「ほぇええ」


「その秘訣は、揚げる直前に衣を作り、かつ出来るだけ温度差をつけることだ。

こう見えて天ぷらは、かなり手間がかかるし、難しい」

「ふわわ、奥深いですぅ」

「天ぷらは極めるとヤバい世界だからな。さ、ワラビを回収すんぞ」


 もうここまで来ると慣れたものだ。

 フィーリアと共に3DLに身体を突っ込み、灰汁に漬けておいたワラビの処理にかかった。


 ゲームの世界では、既にとっぷりと日が落ちている。


 ランプの明かりを頼りに外の井戸に出て、ざっと灰を洗い流した。

 黒い液体が、真っ暗な夜の中に流れ出る。


 適当にザブザブと井戸水でワラビをすすいだ後、再び実家のキッチンにとんぼ返りした。


 フィーリアは首を傾げつつ、ついてくる。何故俺がこうも二つの世界を行ったり来たりするのか、理解できないようだ。


「どうして最初からコチラに、ワラビさんを持ってこなかったのですかぁ?」

「ベルニアには外に井戸があるから、灰を落としやすいんだよ。こっちでやると、キッチンがドロドロになるしな。それに……」


「それに?」

「いくら特産ワラビのアクが少ないと言っても、灰汁抜きには時間がかかる。ベルニアは時間の流れがコッチより早いから……」

「……より長く、ワラビさんを漬けておけるですね!」


 その通りだ。

 実際にこの小細工程度の工夫が、どれだけ功を奏すか不明ではあるが。


「仕上げにワラビを好みの固さまで茹でれば、灰汁抜き終了だ」

「ふわぁ、手間がかかるですぅ……」

「だからこそ、山菜ってのはウマい」 


 ワラビを大鍋で茹でて、水にさらして熱を取った。

 うむ、いい感じだ。

 

 天ぷらにする前に、適当な大きさにザクッと切り、軽く小麦粉をまぶしておく。こうすると、衣がつきやすいのだ。

 後は天ぷら粉をつけて揚げれば完成だぜ!


「さて、早速揚げるぞ! ……あ、しまった」


 先ほど作ってあった天ぷら粉が、もうヘタってしまっている。


 自分で「天ぷらの衣は揚げる直前に作れ」と言っておきながら、先に衣を作った俺のミスだ。ヘタった衣は、ベチャッとした仕上がりになりがちだ。


 それは俺のポリシーに反する。


「捨てるしかないか……勿体ないけど」 

「そんなぁ、卵さんや小麦粉さんを犬死にさせるですかぁ!?」


 フィーリアが断固、廃棄に反対したため、結局ヘタった天ぷら粉を使う羽目になった。


 ま、ちゃんと揚がればいいか。

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