(2)
俺の表向きのステータスは「売れない絵描き」だ。
天気の良い日はたいていリポン公園へでかけ、風景を描いたり、作品を道端で並べて誰かが買ってくれるのを待ったりして過ごしている。
金になる仕事ではない。無名の画家が描いた絵を手にとってくれるのは、よほどの物好きだけだ。
同業者と組んで展覧会を開けば、少しは絵も売れるかもしれない。賞に応募して知名度アップを狙うのも一つの方法だ。
だが俺は、絵描きとして収入を増やすための努力を、あえてやらずにいた。
絵描きはあくまで表向きだから、別に儲からなくても構わないのだ。
目にも鮮やかな芝生が見渡す限り広がるリポン公園は、モイダン公園に次いで市内第二位の広さを誇る。
コルカタ市の面積の約三分の一を占めている公園の大半がそうだが、ここは二十二世紀初頭まで、百階超えの超高層マンションが林立する過密住宅地だった。最盛期の人口密度は30,000/㎞2を上回っていたという。
もちろん、そんなものは、遠い昔の話だ。
二十二世紀初頭の
それらの災厄がすべて電脳ネットワークによって引き起こされたものだと人類が悟った頃には、人類はすでに地球の支配者の座から転落してしまっていた。
いつの間にか人間をはるかに凌駕する知性と自律的な意志を持つに至った電脳ネットワーク[ダイモン]は、増えすぎた人間を駆逐したのだ。地球環境を守るために。
[ダイモン]は、人口の激減により不要となった住宅群を喜々として叩き壊し、緑豊かな公園に作り替えた。
電脳によって開発された電脳がさらに進化した電脳を開発する、マイクロセカンド単位で進行する技術革新はとっくに人間の把握できる範囲を超えている。人知を超え[神]の領域に突入した無限のインテリジェンス・ネットワーク[ダイモン]。その行動原理はきわめて明確だ。
あくなき
それらがすべてに優先される。くだらねえ人類の便益やプライドなんかよりも。
だから昼間のリポン公園は、さまざまな動物でいっぱいだ。
広い芝生の上を駆け回り、あるいはのそのそと這っていく四足獣たちの個体数は、広場内を散策しているヒトの数よりも明らかに多い。広場の外周に沿って樹木が完璧な等間隔で植えられているが、どの枝にもびっしりと鳥たちが留まっている。
こういった空間を「公園」とみなしているのは、あくまで人間の勝手な都合であり――[ダイモン]はここを動物の居住区と位置づけている。
背中にぬくぬくと日を受けながらほとんど動かずじっとしている大型の哺乳類や爬虫類は、絵のモデルにぴったりだ。
俺が石のベンチに腰かけ、池のほとりで甲羅干しをしている
「おい! 心臓に悪い
俺の怒声をさらっと聞き流し、茅尚ママは不気味に腰をくねらせた。
「ねえねえ。このタイトスーツ、セクシーだと思わない? お店じゃ衛生と機能性重視だから、あまりお洒落な格好もできないのよね。たまにこうやってドレスアップしてる私を見るのって……新鮮でしょ? ドキドキしない?」
「や・め・ろ。周囲に恐怖と困惑を振りまくな。見ろよ、
「仕事の話よ、リデルさん」
茅尚ママの口調はとってつけたように甘ったるかったが、俺のへらず口を封じるには十分だった。
「……電話で済まない話なのか」
「最近
「じゃあ、こうやって俺と会ってるのもまずいんじゃねえのか。監視されてるかもしれないだろ?」
「大丈夫よ。あなたは表向き、私のお店の常連さんだもの。常連さんと公園でばったり会って立ち話するって……すごく自然なことだから、警察は怪しみやしないわ。そうでしょ?」
俺はため息を押し殺した。
イタリア料理店のオーナーシェフが、なんだって「サツにマークされている」のか、あえて尋ねようとも思わない。
茅尚ママは、俺の「本業」における雇い主だ。俺はママのお抱え情報屋の一人だ。
二年前にこの街に流れ着いた時、スクリプトを使って金を稼ぐ方法を思いつかせてくれたのは茅尚ママで――それ以来、コルカタ市のダークサイドのいちばん暗い部分に生息してるらしいこのゴリラ男に、俺は経済的に依存している。
「昨日『納品』してもらったばかりなのに、こき使うようで悪いんだけど」
そう言いながらも、軽やかなママの声には、申し訳なさそうな響きはまるでない。
「また新しい依頼があったの。六十五番街の賭場『コーカス・レース』を調べてほしいのよ。支配人室の金庫の開け方をぜひ知りたい、という依頼人がいてね」
「賭場の売上を奪おうってわけか。そいつ、泥棒のくせに、下調べを
「依頼人の素性や目的は、詮索しないのが私の主義なの。――私がどんな情報でも探り当ててくる凄腕の情報屋とつながっていることは、街のみんなが知ってる。情報の正確さには定評がある。だから、ありとあらゆる人が私から情報を買いにくる。私は情報とお金を右から左へ流すだけ。ただの仲介人よ」
茅尚ママは分厚い唇をめくり上げ、客商売をしている時には見せないすごみのある笑みを浮かべてみせた。
「『盗みの片棒をかつぐのは嫌だ』なんて、まさか今さら言わないわよね、リデルさん?」
俺は肩をすくめた。
俺が《バラート》にいた頃やらされていた汚れ仕事に比べれば、盗賊のために賭場の金庫の開け方を調べてやるぐらい、大したことはない。
むしろ「人類のため」「正義のため」などという偽善的なおためごかしを持ち出さない分、今の依頼人どもの方がいさぎよい。金を盗むため、ギャングの勢力争いのため。わかりやすくていいじゃねえか。上等だ。
「確か『コーカス・レース』は、何とかっていう新興ギャングの経営だったな」
「ルーラント・サーフェリー。今コルカタの暗黒街を支配してる〈オールドマン〉ウィリアムに取って代わるのはこいつしかいない、と評判の、売り出し中の若手よ。ちょっといい男なのよねー、私好みだわ♡」
「今回の仕事は相手がヤバ過ぎる。料金は普段の三倍だ。でなきゃやらねえ」
いいわよぉ、とママは即答した。
「レアな情報だから、どっちみち依頼人には多めに吹っかけてあるのよ。……依頼人が万一盗みに失敗しても、あなたにまで
俺たちのかたわらをアルマジロがのんびりと歩み過ぎていった。
天頂近くに達した太陽が優等生のように律儀に、地上を光で埋め尽くしていた。
みずみずしい芝生の上を雲の影が流れていった。その影の行きつくところ、周囲の木々よりひときわ高いポプラの木の下に、見覚えのある純白のワンピースを着た女が立ち、こちらをみつめていた。
一目でわかった。レジィナの亡霊だ。
なつかしさが俺の胸を満たした。
あまりほめられた生き方をしてない俺を、彼女が
「とりあえず三日くれ。それ以上かかりそうだったら連絡する」
それだけ言って、俺はピンタゾウガメを睨みつけ、スケッチを再開した。俺を半ば覆い尽くしていた巨漢の影が消え、日光の熱が再び俺を包み込んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます