(2)

「……おじさん、ティリー様のこと知ってるんだ?」


 その言葉を発したのは、白ずくめの少女だった。

 かぼそい声は、距離があるので、風に流されて聞き取りにくい。


「黙りなさいよ、ヘア。ティリー様のことはみんなには内緒だって、いつも女王様に言われてるでしょ」


 同じぐらいかぼそい声でもう一人の少女が言い、相方の肩をこづいた。


 タイガーが「アホっぽい」と評していた《♠J》は右側の少女か? それともヘアと呼ばれた左側の少女か? 二人とも、アホっぽさでは甲乙つけ難い。


 橋のたもとに電話が設置してあるらしく、ヘアは受話器を取って何か話し始めた。通話はすぐに終了した。二人の少女は、まったく区別のつかない真顔で俺をまっすぐ見据えた。


「女王様がお会いになるとおっしゃってるわ、おじさん」

「廊下を渡って、こっちへ来て」

「他の人は誰も渡ってきちゃだめだよ」

「この塔は、女王様の許可した人以外は立入禁止なんだからね」


 年端も行かない子供だが、こいつらの言葉はこの城では重みを持っているようだ。警備員たちが一斉に銃を下ろし、人垣が開いて俺の前に道ができた。

 俺は険悪な視線に見送られながらテラスを横切り、バラ園の上にかかる橋を渡った。


 少女たちが表情の読めない目で俺を待ち受けていた。

 飾り気のない汎用合金パラメタル製の扉が音もなく開き、俺を主塔の中へ招き入れた。




 主塔は全体的に薄暗く、甘ったるいバラの香りが立ちこめていた。

 階段を上った先にマキヤの居室はあった。


 広々とした空間に、昔の絵本から飛び出てきたような、ひどく古典的なデザインの応接セットが配置されていた。

 奥の壁一面がフランス窓になっていて、テラスに通じており、バラ園が見渡せるようになっている。

 他の三面の壁には、大小さまざまな額が所狭しと飾られていた。よく見てみると、それらの額はすべて肖像画だった――描かれているのはどれもマキヤの顔だ。


 狂気の気配に背筋が冷えた。


 マキヤ本人はでかいソファの上にちんまりと座っていた。想像していたより小柄な女だ。

 看板やテレビで見たのと同じへちゃむくれ顔。病的なほど白い肌。

 赤いフードに赤いミニスカートといういでたちだ。絵本の赤ずきんのように見える。老いを刻んだ顔を除けば。


 中年女は、歩み寄る俺を牽制するかのように、


「最初に注意しとくけど。……変な気は起こさないでね。この子たち、こう見えても最強のボディガードだから。ボクに手を出そうとしたら、この子たちに八つ裂きにされちゃうよ」


 舌ったらずな口調で言って、双子の少女を視線で示した。

 双子は俺をこの部屋まで案内し終えると、フランス窓の前に敷かれたラグに足を投げ出して座り、菓子を食べ始めていた。目を離した隙に、どちらがヘアなのかわからなくなってしまった。


 俺は足を止めた。何となくいら立ったので、ぶっきら棒に答えた。


「別にあんたに危害を加えたくて来たわけじゃねえ。俺はいちおう、あんたの教団の幹部だぜ?」

「むふぅ。危害とか、そういうのじゃなくてね」


 マキヤは見下すような微笑みを浮かべた。


「ボクの体質なんだよ。男をいきり立たせ、興奮させる物質が、常にボクの体から発散されてるらしいんだ。『歩く催淫剤』と言われたこともあるなぁ。……ただの友達や同僚だと思っていた相手がいきなり目の色変えてのしかかってくる。そんな目に何度もあってきたよ、昔からね。

 大会社の社長や有名アーティストや大学教授が、会ったその日にプロポーズしてくるんだ。いい人たちなんだけど……なんか申し訳ないでしょ。その人たちはボクのことを本当に好きなんじゃなくて、ボクの出すフェロモンに惑わされてるだけなんだから。お互いのためにならないので、ボクはできるだけ男の人と会わないようにしてるんだ。

 だから、今日キミと会うのは……特別なんだよ。キミがティリーちゃんのことを知ってると言うから」


 どこかで聞いたような話だ。このフェロモン云々というたわごとは。どこで耳にしたんだったか。


 あまり長話したいとも思えない相手だし、長居したくない場所だ。俺はさっさと話を進めることにした。


「ティリーは俺が保護している。ハートのバッジをつけてたので、教団の関係者だってことはわかったが……教団に帰そうとすると、おそろしく嫌がるんだ。あいつが教団に帰りたがらない理由を知りたい。できればそれを解決して、さっさと教団へ帰ってほしい。ま、そういう話だ」

「キミが保護してくれてるって、ティリーちゃんを? わあ、ありがとう。それは素敵な知らせだ。ある日突然、急に部屋からいなくなっちゃってね。心配してたのさ」


 マキヤは弾んだ声をあげた。芝居がかった動作で、胸の前で両手を握り合わせる。

 俺は女を睨んだ。


「部屋じゃなくて……『牢屋』じゃねえのか」


「え? なんのこと?」

 こてんと首を横に倒す。――このババアの少女ぶりっこがそろそろ鼻についてきた。


「ティリーを知ってる奴が、そう言っていた。『牢屋に閉じ込められていてかわいそうだったから、逃がしてやった』と」


 その瞬間、相手のまとう雰囲気が変わった。

 それまでのマキヤは、すべての表情や仕草がわざとらしく、芝居じみていた。発せられる言葉にも真実は一つも感じられなかった。


 だが、その瞬間、ちんくしゃ顔を焦がした憤怒は本物だった。黒い瞳が憎しみでぎらつく。


「……LCだね! ティリーちゃんを逃がしたのはLCだったんだね! やっぱりそうか。そうじゃないかと思ってたんだ。あいつっ……どこまでボクの邪魔をしたら気が済むんだ。可愛くない子っ!」


 醜く顔を歪めて叫ぶマキヤを、俺はひどく冷めた気分で眺めた。


「なるほど。ティリーが教団に帰りたがらねえのも当然だな。実の母親に牢屋に閉じ込められてたんじゃな」

「……牢屋じゃないよ。リボンとレースできれいに飾りつけてあるし、お人形もおもちゃもありったけ置いてある。欲しいだけお菓子もあげてる。部屋から出さないようにしてたのは本当だけど。牢屋なんかじゃないよ、そんなひどいことするわけないじゃない」


 軽く鎌をかけたのだが、マキヤは自分がティリーの母親であることを否定しなかった。拳を揃えて口に当て、わざとらしく目をしばたかせた。


「ティリーちゃんは自分のスクリプトをコントロールできないんだ。……三歳ぐらいまでは、よく笑ってよくしゃべる普通の子だったんだけどね。ある日突然、まるでシャッターが下りたみたいに、あの子の心が見えなくなってしまった。意思疎通が全然できないんだよ。言葉がまるで通じない、あの子も何もしゃべってくれない。ときどき癇癪を起こしてスクリプトを暴発させる。あぶなくて近寄れないんだ。あの子のスクリプトは人の精神を壊すから」


 ソファに座った姿勢から上目遣いで俺を見上げてくる。唇を尖らせて身をくねらせているのは色気を出しているつもりだろうか。


「ボクたちだって、あの子のために手を尽くしたんだ。高いお金を払って世界中から有名なお医者を呼び寄せたよ。でも、どうにもならなかった。あの子は野生動物と同じで、周囲のすべてに牙をむくんだもの。大勢の人が死んだり廃人になったりした。……だから、閉じ込めたの。この城のバラ園の真ん中に専用の小屋を作って。小屋から半径二十五メートル以内には、絶対誰も立ち入らないようにしてある。食事を運んだり小屋の掃除をしたりは、ロボットに任せてある。そのおかげで無事に済んできたんだよ、この一年ほど」

「一年も……子供を一人きりで小屋に閉じ込めていたのか? 他の人間とまったく会わせずに? おかしくなっちまうぞ」

「だって! そもそも初めからおかしな子だよ! 仕方ないじゃない。そうでもしなくちゃ城の人間が次々と壊されちゃうんだもの。こうするしかなかったの!」


 俺はこの女の言うことを信じない。

 マキヤの口から語られるティリーは、俺の知っているあの子供とまるで違っている。


 確かに、ほとんど口をきかないし、表情も動かさない。だが、あいつが何を喜び、何をいやがるかは、様子を見ていればおおかた読み取れる。俺のような鈍感な男にだって理解できるのだ――母親なら、あいつの感情がわからなかったはずがない。

 ティリーは俺の言葉をちゃんと理解できている。意思の疎通は可能だ。

 それに、ティリーは自分のスクリプトを制御できる。一度目撃しただけだが、ティリーはターゲットを絞り込んで、厳密に効果を限定して[無生三昧イマージョン]を発動させた。大人顔負けの制御力だ。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る