(2)

 そして、あの雨の日から六回目の十一月十一日がやって来た。




 俺はティリーを連れて六十五番街近くの教会を訪れた。途中で買ったブルーハーミットローズの花束が濡れた外套のように重苦しく俺の手からぶら下がった。

 前回来た時と同じく、細かいタイルが敷き詰められた聖堂には一人も参拝者がいなかった。


 扉の開く音を聞きつけたのか、聖堂の奥からごま塩頭の教父が姿を現した。


 俺は故人を偲ぶ鎮魂ミサを依頼した。

 教父は快諾し、「レジィナ・キアーベさん。享年二十二歳ですね」と復唱しながら、俺から花束を受け取った。基本的にガイナント伝道教会の教父はミサの依頼を断らない。たとえ所属信者でない者からの頼みであっても。実際、俺はこの六年間世界のどこでもミサを断られたことがない。



「Nam vox de Locusta, Ego audivi illum dicentem,

"Tu quoque me, brunneis panem, ut debet sugar capillos."」


 聖句を唱える教父の声が、がらんどうの聖堂にこだました。張りのあるその声は、確かに天にまで届きそうだ。


「Sicut anatis ad eius vident palpebrae eius, et ipse cum nasus

Bullae trims et cingulum et digitos euenire.」



 俺は祭壇に飾られた花をぼんやりと眺めた。銅の――たぶん汎用合金パラメタルではなく本物の銅の――花器に入れられている。

 ブルーハーミットローズは死者の花だ。

 青と名がついてはいるが、血の通わなくなった人体のような色をしている。



 記憶にある限り、俺は泣いたことがない。

 失意の時も。孤独の時も。

 ちょうど六年前のあの朝。降り始めの雨に打たれながら、まだくすぶって煙を噴き上げている寮の離れの焼け跡を茫然とみつめた時も。

 その後まもなく行われた葬儀の席でも。



「Cum harenae aridus et gaudet cum Alauda

Et loqueris ad Pistris per contemptoris sonituum dederint,

Sed, cum maris aestus oritur circa squali studium meum,

Habet sonus vocis eius pavidus, dum tremulum movens.」






 ――レジィナ。俺はまた一年生き延びちまった。おまえのいないこの世界で。

 死ぬ理由もないから生きている。ただそれだけのことだ。








 教父はミサの締めくくりに、古びた自動ピアノの演奏に合わせて朗々たる声で聖歌を歌った。俺も声を揃えた。

 傍らのティリーは、何が起きているのか理解できないといった風で、無邪気に見開いた瞳に俺を映していた。



 ミサが終わってから、俺は祭壇に歩み寄り、礼の言葉と共に献金箱にマネーチップを入れた。教父は丁寧に一礼し、花器から薔薇を取って俺とティリーに一本ずつ手渡した。

 言いたいことがありそうだ。教父は控えめに咳払いをしてみせた。


「……今だったらもう、お伝えしてもいいかもしれません」


 何か深いものを含んだまなざしが、まっすぐ俺を射抜く。


「五年前から毎年、この時期になると、ガイナント伝道教会本部から世界中の末端教会にお触れが出ていたのです――『十一月十一日に鎮魂ミサを頼みにくる男がいれば、その人相風体を本部に報告するように』と。申し訳ないのですが、昨年あなたがいらした時、そのことを本部に報告させてもらいました。上からの指令でしたので。

 なぜか今年は、その指令は出ていないのですがね。

 本部の目的があなただったのかどうかはわかりませんが……お心にとめておかれた方がいいかと」

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