(4)

「こいつの尋問は俺に任せてもらってもいいですか」


 明らかに弾んだ口調でそう言って、ライデンは拳にバンデージを巻き始めた。

 鼻歌交じりで手を動かしているその様子を、床に座り込んだ[帽子屋]が怯えた目で見上げている。


「ずいぶん楽しそうだな」


 俺は指摘せずにはいられなかった。ライデンはあっさりうなずいた。


「神から与えられた身体を鍛え上げることは善、そうして得られた力を神のために使うことは善。俺たちはそう教えられています」

「――烈火華団か、おまえ」

「はい。多くの宗教では人を傷つけることを戒めていますが、俺たちの宗派では、そういう縛りは薄い。だから俺たちは、どの宗派の連中よりも《バラート》に貢献できてるんですよ」


 ライデンはバンデージを巻く手を休めず、挑発的なまなざしを俺に投げかけた。


「確か、あんたの所属はガイナント伝道教会でしたね。平和な、おとなしい教えだ。……他人を殴るとき、心の痛みを覚えるでしょう、あんたみたいな人間でも?」


 俺は顔をしかめた。


「てめえが相手なら、良心の呵責を覚えずにぶん殴れる自信がある」




 ライデンは宗教人とは思えないほど残忍に[帽子屋]をいたぶった。むやみにタコ殴りにするのではなく、打撃と打撃の間に十分すぎるほどの時間をとった。[帽子屋]に、殴られた痛みを味わい、咀嚼し、次の痛みを恐怖する猶予を与えているのだ。


 [帽子屋]は苦しみのあまり四つん這いになって床に吐いた。その顔は変形し、血まみれだった。

 しかし心は折れていないらしい。


「俺は、暴力には屈しない! 勝てないかもしれないが、負けない!」


 血の混じった唾を飛ばしながらわめいた。


 [帽子屋]はそのうち、殴られ蹴られるたびに「女王様万歳! マキヤ様万歳!」と叫ぶようになった。その声は次第にか細くなっていったが。


 延々と続く芸のない暴力に、俺はうんざりしてきた。


「うっわー。やっとるやっとる。サディストがお楽しみ中か」


 ようやく目を覚ましたらしいハクトが応接室に入ってきた。頭痛をこらえる仕草でこめかみを揉みながら、室内の有様を批判の目で見渡す。

 ライデンがむっとしたように下唇を突き出した。


「俺はサディストじゃありません」

「サディストやないなら、ど素人や。おまえ、目的を見失っとらへんか。おまえがやらなあかんのは、ティリーちゃんについての情報をこいつから聞き出すことやぞ。その点、おまえはスタートから一歩も進んどらへんやないか。今まで何やっとったんや。自分のパンチのすばらしさに酔ってただけか」

「……」


 うらめしげに睨みつけるライデン。上司づらしようとふんぞり返るハクト。


「おまえが管理職らしいこと言うの、初めて聞いたぜ」


 茶化してやると、「放っとけや」とハクトがこちらを向いた。


 視線の交差だけで「ええ加減、おまえが何とかせぇや」「じゃあ援護しろ」のやり取りが完了する。――袂を分かってから六年近いのに、いまだにアイコンタクトだけで意思が通じてしまうことに複雑な思いを噛みしめる。


 ハクトがライデンに向かって、何か言おうとするかのように唇を動かした。しかし声は出てこない。

 読唇術が使えるライデンはその無音のメッセージを読み取ったようだ。

 次の瞬間、奴のスクリプト[無間童唱]が停止した。


 これは賭けだ。かなり危険な賭けだ。――ハクトがその危険をどこまで認識できているのかはわからないが。

 [無間童唱]が止まって、スクリプトを使えるようになった[帽子屋]が、再び「時間を結んで輪を作る」攻撃をかけてきたら、俺たちは手も足も出ず眠りに落ちる。

 これだけ高度なスクリプトなら、[帽子屋]は短期間に何度も発動できないのではないか、という楽観的な予想に基づいているわけだ。


 だが俺の目的のためには、[無間童唱]は邪魔になる。

 集中力を乱されている状態の[帽子屋]の五感と同期したら、俺も自分のスクリプトを維持できなくなるからな。


 俺は、倒れている[帽子屋]のすぐそばまで歩み寄って、しゃがみ込んだ。

 その腕に手をかけながら、もう片手で、腫れ上がって目をふさいでしまっているまぶたを無理やりこじ開ける。


「おーい、大丈夫か。まだ生きてるか?」

「……!」


 血走った眼球がぎょろりと動き、俺を見上げた。


target=('mad_hatter')

run ('looking_glass')


 視線が合った瞬間、俺は[鏡の国ルッキング・グラス]を発動させた。


 あまり条件が良くないので、失敗するのではないかと思ったが――一瞬で全身を包み込んだ激痛がスクリプトの成功を告げていた。俺は[帽子屋]の五感と同期した。奴が感じている痛み、吐き気、眩暈を俺は我が身のものとして知覚した。軋む肋骨。口の中を満たす鉄臭い血の味。くそっ、ライデンの野郎、徹底的にやりやがったな。


 俺は[帽子屋]と苦痛を共有しながら、ぎこちなく己の体を操り、立ち上がってソファへ移動した。


 瞼が腫れているので、[帽子屋]の視野は上下が狭い。その目線が、蹴破られて開いたままになった扉に向けられている。


「ちょぉ、おまえは下がっとれ。尋問は俺がやるから」


 ハクトがライデンの胸に手を当て、壁へ向かって押していった。ライデンは素直に後退した。

 その瞬間、[帽子屋]と扉との間を遮るものはなくなった。


 [帽子屋]が立ち上がった。扉へ向かって猛然とダッシュした。

 痛めつけられたダメージのせいか、足がもつれて途中で倒れ込んだ。


 ハクトもライデンも制止の動きを見せなかった。[帽子屋]は懸命に立ち上がり、廊下へ飛び出した。




 [帽子屋]は建物の構造を熟知しているらしい。迷わず最短距離で階段にたどり着き、駆け上った。二階に達すると、埃っぽい空気の充満する純白の廊下をまっすぐに駆けていく。


 硬いながらも奇妙な弾力性を併せ持つ、妙に生物っぽい感触の有機合成素材オルガーニチの床を足が打つたびに、全身で苦痛が合唱する。[帽子屋]はうめき声を発しながら走った。靴を履いていないので衝撃がまともに響くのだ。

 もともと運動神経の良い男らしく、その手足は軽やかに動く。レスポンスの良さが、感覚神経にただ乗りフリーライドしている俺にも心地良い。


 「本部長室」というプレートの嵌まった白い扉に達した。

 [帽子屋]が八桁の暗証番号を叫ぶと、頑丈そうな扉はするするとひとりでに開いた。


 室内は驚くほど殺風景だった。建物の他の部分と同じく、天井も床も壁も純白で統一された室内には、事務机が一つしかない。窓もないので、まるで独房のような印象を与える。


 [帽子屋]は事務机の奥にある椅子に、崩れるように腰を下ろした。

 やけに巨大な椅子だ。おそらくスナーク博士のための特注品だろう。


「ハルシオーネ・ホテル・コルカタを」


 息を弾ませながら、[帽子屋]が叫んだ。卓上の電話機がその声に反応して立て続けに操作音を立て、二秒としないうちにホテルのフロントと通話がつながった。


「《スペードのエース》だ。ロイヤル・ペントハウスに泊まってるメグ・ノーバディにつないでくれ」


と[帽子屋]は言った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る