(3)
翌日、俺は指定された時刻に《ローズ・ペインターズ同盟⦆の本部へ出頭した。受付に控えているのは例のキツネ顔の女で、はしゃぎながら俺を三階まで案内した。
「面談室」というプレートの貼られた扉の向こうにいたのは、スナーク博士ではなかった。
まず最初に目に入ったのは、先の尖った靴底だ。椅子に深々と腰かけた男が、両脚を豪快にデスクに放り上げている。
いわゆる「色男」ってやつだ。「美男子」ではない。目鼻口がくっきりしすぎている濃い顔立ちは、整っているとは言いがたい。ただ、明らかにたっぷり金がかかっているスーツとブーツ、一筋の乱れもなくセットされた艶のある黒髪が、外見へのこだわりを物語っている。こういう手合いはたいてい女受けが良い。ヒモなどに多いタイプだ。
だが黒々と輝くその双眸と視線が合った瞬間、俺は背中に冷たいものが走るのを感じた。
――この男は普通じゃねえ。チャラついた外見に似ず、相当やばい奴だ。
次の瞬間、記憶がつながった。考える前に言葉が口から転げ出た。
「あんた……ルーラント・サーフェリーか。ギャングの」
ニュースで何度も見た顔だ。
この男の経営するカジノに、金庫の開け方を調べるために潜入してからそれほど日が経っていないことを思うと、背筋の悪寒が収まらない。
サーフェリーは分厚い唇を歪めてにやりとした。
「『ギャング』じゃねえ。『実業家』だ。口の利き方に気をつけやがれ」
「なんで、あんたがここにいる? 〈オールドマン〉ウィリアムを殺した容疑で逮捕されたんじゃねえのか」
「証拠不十分ですぐに釈放だ。サツに尻尾なんざつかませるかよ」
サーフェリーの口調は気味悪いほど穏やかだ。猫撫で声と言ってもいい。
これぐらい殺気がだだ漏れになっていれば、人を圧倒するため凄む必要もないんだな。
サーフェリーはデスクに上げていた足を下ろし、俺に椅子を勧めた。その時になって初めて、デスクに置かれている紙資料のファイルが俺の視界に入ってきた。
「俺は《♠7⦆(スペードの7)だ。『セブン』と呼べ。それがここでの決まりらしいからな」
スーツの襟元の銀色のバッジを示し、だるそうに名乗りを上げた。
「おまえにスクリプトのことを教えてやれと、ダイヤのエースに言われたんだ。あの卵親爺はスクリプトの使い方を知らねえから、説明は俺たちスペードの幹部の役割なんだと。俺はごちゃごちゃお喋りすんのは
いいか、よく聞け。スクリプトってのは一種の超能力だ。それを使うためには……頭ん中でイメージするんだ。
俺はしばらく待ったが、ギャングはそれきり口をつぐんでしまい、次の言葉を発しようとはしない。デスク一つだけでほぼ一杯になっている手狭な面談室に、微妙な沈黙が下りた。
「……説明、それで終わりかよ。本当に簡単だな! そんな程度でわかるわけねえだろう」
俺は声を張り上げた。――スクリプトについては俺の方がはるかに詳しいので本当は相手に教えてもらう必要などないのだが、ここは、役割に徹しなければならない。
サーフェリーはひょいと肩をすくめた。
「言葉で教えられるようなもんじゃねえんだよ。感覚だからな、これは。てめえ自身でイメージするしかねえ。
人はそれぞれ、どんなスクリプトが使えるのか前もって決まってるそうだ。シナプスの配線っていうのか? その具合で、使いやすいスクリプトと、逆立ちしたって使えねえスクリプトがある。おまえがやらなきゃならねえのは、自分に向いてるスクリプトを知ることだ。
このファイルに、色々なスクリプトの種類と、それを発動させる時のイメージの仕方の例が書いてある。これを読んで自習しろ。俺からの講義はここまでだ」
「自習だと? 超能力をか? できるわけねえじゃねぇか。どれだけ不親切なんだよ、まったく……」
ぼやくふりをして、俺はテーブルの上の紙資料を手に取り、ぱらぱらめくってみた。一瞬、心臓が縮んだ。これは俺たちが子供の頃、《バラート》の養成所で使っていたテキストとまったく同じだ。
この《ローズペインターズ同盟⦆に《バラート》の人間が関わっていることは百パーセント間違いない。部外秘のはずのこの資料を持ち出し、こうやって勝手にばらまいている奴がいるのだ。
俺は資料から、デスクの向こうのサーフェリーに視線を戻した。
「あんたは誰からスクリプトのことを教わったんだ。そいつもあんたみたいに雑な説明しかしなかったのか」
「……てめえ、なかなかいい感じに生意気な野郎だな。ひねり潰されたいか?」
サーフェリーは眉をぴくりと動かした。が、別に腹を立てた様子でもない。位の高いやくざは簡単に激昂したりはしないものだ。あっさり答えを返してきた。
「この組織には色々と細けぇルールがあってな。新入りにスクリプトの講義をするのはスペードの下から二番目の幹部で、新入りの『入団試験』の相手をしてやるのはスペードの一番下の幹部、と決まってるそうだ。俺に話をしたのは
得意げな口調で言い放ちながら、奴は頭の後ろで指を組んでふんぞり返り、天井を仰いだ。再び両脚をデスクの上へ放り上げる。踵が金属製の表面を打つ音が、狭い部屋に反響した。
俺は眉をひそめた。
「プロボクサーと殴り合って勝てるほどあんたは強い、と言いたいのか?」
「違ぇよ。スクリプトの話だ。……ここじゃ、正式なスクリプトの『試合』で自分より上のランクの幹部をぶっ倒しゃ、どんどん上へ行ける仕組みになってんだ。それが、俺がこの教団を気に入ってる理由よ。
もしおまえが入団すれば……本当なら一番下の《♠2》からスタートするところを、今なら《♠5》から始められる。俺がここまで上がる途中で、戦った相手を全員再起不能にしてきたからな。今スペードは欠員だらけなのよ。ありがたく思え」
真っ白な歯をむき出してみせる。猿の威嚇に似たその表情が実は上機嫌な笑顔だと気づくのに、少し時間がかかった。
――コルカタ市で一、二を争う凶悪な犯罪者がスクリプトを悪用し始めているのは、危険すぎる事態だ。
ひょっとすると、この男はスクリプトを利用して〈オールドマン〉ウィリアムを殺したんじゃねえのか。警察が証拠をつかめないのはそのせいかもしれない。
「あんたは……どういうスクリプトを使うんだ、セブン。参考までに教えてくれよ。あんたはスクリプトを使う時、何をイメージする?」
俺は相手の答えを引き出すため、控えめな口調で尋ねた。
勝利の記憶に興奮しているらしいサーフェリーは何の躊躇もなく情報を吐き出した。
「俺のスクリプトは特別だ。資料には載ってねえ。オリジナルだ。
こうやって、ぐっと手を伸ばしてな。相手の懐に突っ込むのよ。そして中身をぐいっとつかみ出す。そういうイメージだ」
サーフェリーは指輪が派手に光る節くれだった手を伸ばし、喋っている通りの動作をやってみせた。
空中で閉じられた拳がひどく不吉に見えた。
――その仮想の拳で、いったい何をつかみ取ろうというのか。
突然、俺の背後で、派手な音を立てて扉が開いた。甘ったるい香水の香りが殺伐とした空気を一瞬で塗り替えた。すっとんきょうな少女の声が響いた。
「あー。思った通りだぁ。アホがアホ丸出しの話をしてるぅ。そぉんな説明の仕方でわかる人間なんかいるかっつーの。馬鹿じゃん?」
相変わらず露出度の高い恰好をしたLCが狭い室内に入り込んできた。
薄っぺらい扉ごしに俺たちの会話を聞いていたらしい。俺のすぐ隣に立ったLCは、
「『俺のスクリプトは特別だ』」
とサーフェリーの声真似をしてみせ、
「……って。よくそんな頭悪い台詞、平気で言えるよねぇ。恥ずかしーー」
キャハハハ、とかん高い笑いを響かせた。サーフェリーの眉が見る見るうちに吊り上がった。
「『
「おい! そういう物言いはねえだろう、実業家さんよ」
俺は割って入らずにいられなかった。サーフェリーが何か言おうと口を動かしかけた。だが声を発したのはLCの方が早かった。
「ジャック様に逆らってもいいのかなぁ、セブンおじさん? あたしが本気出したら、おじさんの脳味噌なんか風船みたいにバーン、だよぉ? ……おじさんが世間でどれだけ偉かろうと、喧嘩が強かろうと関係ない。ここではあたしの方が、おじさんより上なんだからぁ。そこんとこ間違えないでよねぇ」
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