(6)

 しかしスナーク博士は、ティリーの出生についての疑問を追及しないことを選んだ。ティリーのスクリプトが、LCのスクリプトと同じぐらい有益であることに気づいたからだ。


「もともと、LCの力だけでもデータセンター襲撃には十分だと思っていましたが。そこへティリーが加わると、新たな作戦の可能性が生まれます。女王の話によると……ロセッティ枢機卿は、[無生三昧イマージョン]が電脳にも効くのではないかという仮説を立てていたようです。未検証ではあるようですが。ティリーをデータセンターに突入させ、[ダイモン]の自我に対してスクリプトを使わせてみるのも面白いかもしれません」


 ――もう「未検証」ではない。ロセッティ枢機卿は我が身を懸けた実験で、[無生三昧]が電脳にも効くことを実証した。十数年前に《バラート》を離れたマキヤはそのことを知らなかったんだろうが。


 だが……「面白いかもしれません」じゃねえだろ? この男はティリーを何だと思ってるんだ。


 その後のスナーク博士の話は、教祖が語っていた内容とほぼ一致した。穏やかな子供だったティリーは三歳頃から急に感情が不安定になった。泣きわめきながらスクリプトを暴発させるので、大勢の人間がそれに巻き込まれて精神を破壊された。

 教祖は庭に牢屋を作ってティリーを閉じ込めた。博士もそれを黙認するしかなかった。


「ですが……どうやらあなたは、あのティリーをおとなしくさせるのに成功したそうじゃないですか。牢屋を逃げ出したあの子を『保護している』と。どうやったのかわかりませんが、すばらしいことだ。あなたならきっと、癇癪を起こさせずに、あの子をデータセンターまで誘導することができますね?」


 肉に埋もれた博士の細い目が、狂気じみた輝きを放って俺を見据えていた。


「……あいつが、嫌がらなければな」


 俺は慎重に答えた。


「私は少し前、バザールでばったりティリーに出会ったことがあるのですが……今思い返してみると、あのときティリーの隣にいた男はあなたですね? 私も動転して、完全にあの子しか目に入らなかったので、今になるまで気づきませんでしたよ。……あなたならティリーを連れて歩ける。《ローズ・ペインターズ同盟》の幹部として、最後の作戦のためにひと肌脱いでくれませんか?」

「俺がどうこうする話じゃねえ。ティリーが『行く』と言うなら、連れて行ってやる。あいつが嫌がるなら、俺は無理じいするつもりはねえ。ティリー次第だ」


 俺の返事に、スナーク博士はもどかしそうな仕草をした。


「たかが五歳の子供の意思にすべてを委ねるなんて! ここまでお話ししたのに、あなたにはどれだけ多くのものが懸かっているのかわからないんですか? ようやく時機が到来したのです。長年調整を重ねて、ついに、[ダイモン]がなくなっても世界を動かしていける体制が整いました。革命に乗り気でなかった女王も、舞台から姿を消しました。この絶好のタイミングで、姿を消していたティリーが戻ってきてくれるとは! 天が我々を応援しているとしか考えられませんよ」

「教祖はやはり、もうだめなのか?」


 完全に廃人になったのか、と俺は尋ねたのだが、博士の答えは思いがけないものだった。


「あの人は死にましたよ。《バラート》のあの白い悪魔にやられて、正気を失い……部屋の窓から飛び降りたんです。『バラが綺麗』と叫びながら。まあ、世間には最後までそのことを伏せておくつもりですがね。

 LCの[空言遊戯クレイジー・レトリック]で、すでに何万人もの人々を、女王を心から愛するよう洗脳してあります。盲従の対象を今さら変更するわけにはいかないのですよ。まあ、録画した女王のスピーチがたくさんありますので、なんとかごまかせるでしょう。テレビ局のトップも我々の味方ですしね」


 スナーク博士の口調はどこまでも事務的で軽かった。悲しみのかけらもない。教団を作るため力を合わせてきた長年の盟友を失ったら、少しは感情を揺らすのが普通だろうに。

 この男にとってマキヤは自分の復讐のための道具でしかなかったのだ。

 そしてティリーもLCも。ただ便利に利用できるだけの道具だ。


 博士はふと、微笑みに似た表情を浮かべた。


「あなたは女王の城で、女王を守るため、白い悪魔と戦おうとしてくれたそうですね? 私は信じていますよ。たとえどんな過去があろうとも、あなたは今確かに我々の一員だと。力を合わせて電脳を打ち倒しましょう」


 俺は落ち着いた態度をつくろって博士を見返した。


「わかった。あんたの言う通りにしよう。場所を指定してくれりゃ、そこへティリーを連れていく。……[ダイモン]の自我が収まってるっていうデータセンターはどこにあるんだ?」


 もちろん、連れていく気などなかった。協力するふりをして博士から情報を引き出そうとしただけだ。

 俺の意図に気づいたのかどうか。博士は再び、肚の読みにくい笑みを浮かべた。


「それについては後日、幹部会議でお話ししますよ。そのときにはティリーも会議に連れてきてくれますか?」




 俺は博士と別れ、事務室を出た。ついに明らかになった《ローズ・ペインターズ同盟》の実体は想像以上のものだった。《バラート》との対決は不可避だろう。

 だが俺には関係ない。電脳のご機嫌をとるために人間中心主義者を叩きつぶすのは《バラート》の仕事だ。俺はどさくさに紛れて、ティリーを連れて消えるまでだ。


 階段へ向かって廊下を進む俺の進路を、人影が遮った。


 白いワンピースを着たマーチとヘアの双子だった。一人は白いかつらをかぶり、もう一人は頭に包帯を巻いている。少女たちは大きな目をくりくりさせて俺を見上げた。


「こんにちは、おじさん」

「あたしたち、《♢Aエース》の命令で、おじさんを足止めしに来たの」

「馬鹿ヘア! そんなこと教えちゃったらだめでしょ?」

「あ。そうだった」


 やはり、こいつらは俺を待ち伏せていたようだ。

 スナーク博士は口で言うほど俺を信頼してはいないらしい。この双子を使っているところを見ると、殺すつもりまではないようだが。


「なんで足止めが要るんだ?」


 俺の質問に、包帯姿のマーチは素直に答えた。


「《♠K》が《♡Qクイーン》を……ティリー様を迎えに行くのを、おじさんが邪魔しないようにするためだよ」

「馬鹿マーチ! そんなこと教えちゃったらだめでしょ?」

「あ。そうだった」

「そういうわけだから、おじさん。ここでおとなしく足止めされてね」

「心配しないで。苦しくないようにしてあげるから」


 双子はちらりと顔を見合わせ、声を揃えた。


「あたしたちはいつでも本気でしゃべっているよ」

「あたしたちの言葉は、文字通りの意味なの」


 鈴を振るような声とほぼ同時に、俺の[仮想野スパイムビュー]の下端で二つのアラートメッセージがひらめいた。


illegal script detected: unknown script

id ('march')


 マーチが謎のスクリプトを使い、


illegal qualification detected

target=unknown script

id=('march')

attribute=('amplify')


 ヘアがそれを増幅アンプリファイしたのだ。


「空気は水の蒸気でいっぱいだよ」

「水もアルコールも液体だよ」


 二人の言葉のキャッチボールに、俺はすかさず割り込んだ。考えてやったわけじゃない――反射みたいなものだ。


「――アルコールは有機物だが、水は無機物だぞ」

「結論! 空気は……はにゃ? 水とアルコール……一緒じゃない? あれれ?」


 マーチが頭を抱え込む。「もーっ、何やってるのよ。『空気はアルコールの蒸気でいっぱいだ』でしょ?」とヘアが頬をふくらませる。


 こいつらのスクリプトへの対抗策がわかった。二人のやり取りに割り込んで混乱させ、マーチに最後の台詞を言わせなければいいのだ。

 双子は顔を見合わせ、呼吸を整えてから再び言葉を紡ぎ始めたが、俺は余裕をもって待ち受けた。


「ミミズには目がないよ」

「ミミズも人間も動物だよ」

「――ミミズは表皮の視細胞で光を感じてるから、何も見えないわけじゃねえぞ」

「結論! 人間は……あれ? 目がなくても平気? あれれ?」


 マーチは再びスクリプトの発動に失敗した。ヘアが小さな拳でマーチの肩を殴りつけた。


「このお馬鹿! 『人間には目がないよ』でしょ? まじめにやりなさいよ!」

「人に『馬鹿』っていう子の方が馬鹿なんだからね」

「違うよ。人に『馬鹿』って言われる子が馬鹿なんだ」

「馬鹿に『馬鹿』って言われたって……あれ? どっちなのかな?」

「馬鹿馬鹿馬鹿……!」


 双子はかん高い声を張り上げて口論を始めた。


 俺は一瞬だけ迷った。今すぐ事務室へ駆け戻り、スナーク博士を締め上げるのが正解ではないのか、という思いが頭をよぎったのだ。

 だが、この手で直接ティリーを守るべきだ、という確信が勝ちを占めた。

 

 俺は双子の横を駆け抜け、階段を四段飛ばしで降りた。

 建物を飛び出し、バザールの人込みをかき分けるように進んでいると、カフェで聞いたLCの言葉がよみがえってきた。


 ――《♠K》が使うのは、「ありもしないことを体験させる」スクリプトだよぉ……。

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