(6)

「まあ想像ついとるとは思うけど。俺は《ローズ・ペインターズ同盟》を調査するために派遣されたんや」


 白手袋に包まれた両手をこすり合わせながら、ハクトが言った。


「あの教団の成長ぶりは普通やない。結成されたのは六年前らしいが……昨年あたりから、全世界で急激に信者を増やしとる。ぼったくり宗教と呼ばれてて、評判はあまり良ぉないんや。入会するのに高い金払わなあかんし、《臣下の証》とかいう変な像をいくつも買わせよるし。『神に祈りを聞き届けてもらうには誠意が必要』とか何とか言うて、ことあるごとに金を請求するらしい。

 けど、信者はみんなめちゃくちゃ熱心や。神への寄進のために借金するのなんか当たり前。全財産を教団につぎ込んで破産する奴らもおる。それでも社会問題にならへんのは、政界や財界にも信者がぎょうさんおって、大っぴらな批判を抑えてるせいや。

 つまり今、やばいぐらいの金と権力が《ローズ・ペインターズ同盟》に集中しとる。ひとつ間違うと人間界せかいのバランスを崩しかねへんほどに」


 俺は鼻を鳴らさずにはいられなかった。


「既存宗教にとっちゃ目ざわりこの上ねえだろうな。ぽっと出の新入りルーキーに、信じやすいカモどもを根こそぎかっさらわれたんじゃ。……で、《バラート》がいよいよ潰しに乗り出してきたってわけか」


 俺の声に含まれた棘を、ハクトはさらりと受け流した。


「『潰せ』という命令は受けてへん。『様子を見てこい』と言われただけや。

 《同盟》の教典を手に入れて分析してみたが、大したことは書いとらへん。どこの宗教でも説いてるような内容の焼き直しや。画期的なものやない。それやのに、なんであないに爆発的に教勢が伸びとんのか……それを探ってこい、と命令されてんねん。《ローズ・ペインターズ同盟》の本拠地はここコルカタや。教祖のマキヤ・アスドクールもこの街におるらしい」


 ハクトは「てへっ」という声が聞こえてきそうなおどけた仕草で、小首をかしげて帽子に手を触れた。


「せやけど初日からトラブってもてな。入信したがってるふりをして乗り込んだら、いきなり《バラート》と見破られてん。『女王様を殺しにきたのか!』とかわめかれて、もう大騒ぎや。逃げるしかなかったわ」

「何いきなりバレてんだよ。素人かよ」

「俺のせいやない。どうやら、向こうの変なチビのおっさんが、俺のこと知ってたみたいなんや。……おっかしいよなー。あんなおっさんに会うたことないで? 俺、一度見た人間の顔は忘れん性質たちなんやけど。……まあ、とにかく潜入は失敗に終わったんで、おまえの手でも借りよかと思て、《同盟》の事務所の近くで待ってたんや」


 俺は腕組みした。


「…………どうして、俺があそこへ来るとわかった? そもそも、俺がこの街にいることを前から知ってたのか?」

「えー、だって、おまえ昨日 《同盟》の事務所におったやん。俺があいつらに追いかけられてるのも見とったやろ?」


 アイシールドの奥で、《白ウサギ》の淡い紅色の眸が笑う。


「おまえが受付のお姉ちゃんに『目ぇつぶれ』って言うてるのが聞こえたんや。……あのタイミングで俺が目潰しを使うと予測できる人間は、世界じゅう探しても何人もおらへん。せやろ?」

「……」


 俺は天を仰いだ。

 己のうかつさを呪うしかない。あの状況で、こいつが俺の声を拾っているとは思わなかった。


 ごみだらけの狭い路地に、ハクトの能天気な声が響いた。


「俺、もともと潜入調査はあまり得意ちゃうねん。新興宗教へ潜入するのは、おまえの方がうまいやろ。[鏡の国ルッキング・グラス]があればどんな情報でも探り出せる。頼むわ。俺の代わりに《ローズ・ペインターズ同盟》に潜り込んで、奴らの手の内を調べてきてくれへんか」

「断る」

「はやっ! コンマ一秒も迷わんかったな、即答か」

「なんで俺がおまえの任務を手伝わなきゃならねえんだ。そんな筋合いはねえ」

「けど、さっきの様子からすると、おまえも《同盟》と色々あるん違うんか。ケリをつけなあかんことがあるんやろ。標的が同じなんやから手ぇ組もうや。……それに、もしおまえが俺の任務に協力してくれたら、本部メッカがおまえを見る目も変わるかもしれんで。もうおまえを追う必要はない、と判断されるかもしれん」

「……」


 俺は舌打ちし、ハクトから視線をそらした。

 その拍子に、こちらを見上げるアリスと目が合った。俺のすぐ隣に立っているアリスは、絶対に逃がさないと言わんばかりに俺のジャケットの裾を固く握りしめていた。


 ハクトは上着の内ポケットから懐中時計を取り出した。ぱちんと開いて盤面に目を落とし、会心の笑みを浮かべてみせた。


「一緒に組んで仕事するの、二億七百三十七万四千六百五十三秒ぶりやな、『―――』? 懐かしわー」

「……その名前で呼ぶんじゃねえ。今は、リデルだ」


と、俺は唸った。




 《バラート》は実のところ、本当の意味での悪の結社ではない。《バラート》の上部組織である世界宗教者会議が悪の結社でないのと同様に。

 「人類の調和ある生存と繁栄」を目的として活動しているのも本当だ。《バラート》の構成員は七割近くが宗教関係者で、僧侶や神官の資格を持っている者も少なくない。


 二十一世紀末までにほぼ死に体と化していた世界の各宗教は、人類が深い絶望に打ちのめされた大転換期トランジション・フェーズに息を吹き返した。すべての秩序が崩壊する中、人は信仰に心の救いを求めたのだ。

 世界宗教者会議は今や、人類全体のスポークスマンと呼んでもいいほど有力な団体だ。人類を代表して、電脳ネットワーク[ダイモン]に対して人間の権利を主張する役割を果たしている。

 大転換期に世界の政治経済がいったん崩壊したせいで、広い範囲の人々の意見を吸い上げられる集団が宗教団体ぐらいしか残っていなかった、というのも理由の一つだ。


 電脳は神をも凌駕する演算能力をもって地球全体を守護している。環境を永続的に守り、生態系を発展させるのがその究極の目的だ。

 人間の社会生活は隅々まで[ダイモン]の統制を受けている。殖えすぎないよう、環境を侵さないよう、資源を使いすぎないよう、他の生物の生存を脅かさないよう、人類には様々な禁則が課されている。その最も悪名高いものが「六十二歳を過ぎた人間に対する医療行為の禁止」だ(例外として苦痛緩和の措置だけは認められている)。

 [ダイモン]は人類が長生きすることを望んでいない。ほとんどの生き物は生殖を終えると死ぬのだから、人間もそうあるべきだ、というのが電脳の理屈だ。六十二歳を過ぎて病気にかかったり怪我をしたりした人間は医者の手当てを受けられない。薬を買うことも禁止されているので、たいていはそのうちに死ぬ。

 この「寿命」は、最初は六十歳だった。世界宗教者会議が[ダイモン]と粘り強く交渉を続けて、ようやく六十二歳まで延ばすことに成功したのだ。

 世界宗教者会議は公定寿命の撤廃を求めて、今も交渉を続けている。

 

 寿命の他にも、世界宗教者会議が[ダイモン]と交渉している事柄は数多い。

 [ダイモン]は、数千年先の結果まで正確に計算した上で施策を決定しており、あらゆる意味で全知全能の神に近い。しかし電脳は、人類に対する愛をまったく持たない神だ。だからその施策は時に非人間的だ。

 人間の種としての健全性を保つため、一定以上の「品質」を持つ個体にのみ繁殖を認める、という施策を過去何度かぶち上げてきた。

 それを水際で防いだのも世界宗教者会議の功績だ。人口統制は、人類と電脳との交渉において最もセンシティブなテーマだ。


 世界宗教者会議がどのようにして[ダイモン機械]を相手に交渉し、言い分を呑ませているのか。はっきり知っている者は誰もいない。

 おそらくその交渉手段の中には「電脳のご機嫌をとること」も含まれているだろう。

 [ダイモン]の定めたルールを破っている人間の団体を積極的に潰してみせることによって、役に立つところをアピールする。世界宗教者会議は「話のわかる」協力的な存在であると[ダイモン]に思わせるわけだ。


 その手足となるのが《バラート》だ。

 世界宗教者会議の命令を受けて、電脳の意に沿わない団体を次々と潰して回る、汚れ仕事専門の部隊だ。


 もちろん、大義はある。

 電脳に対する世界宗教者会議の立場を強くすることは、電脳の不当な抑圧から人類を守るための力になる。世界宗教者会議がなければ、人類はただの家畜だ。何の権利も主張できず、ただ飼われるしかできない。[ダイモン]に飼われている他のすべての動植物と同じように。

 地球は[ダイモン]の巨大な飼育場であり、電脳は生物多様性バイオダイバーシティとたわむれて楽しんでいる。人類は電脳の膨大な生き物コレクションの一つにすぎないのだ。


 ――しかし、《バラート》の任務の中には、「これは既存宗教の権益を守るためだけの任務ではないか」と疑いたくなるものが多かった。

 俺たちはよく、人間中心主義を唱える新興宗教の撲滅を命じられた。

 「機械の支配から逃れて人類の尊厳を取り戻そう」と唱える新興宗教は、当然ながら電脳の受けが悪い。そういった宗教団体が力をつければ、[ダイモン]に対する抵抗勢力に発展しかねない。また、そういう団体を野放しにしておけば、[ダイモン]は宗教全般を縮小・禁止しようと思いつくかもしれない。

 だから人間中心主義との戦いは《バラート》の任務の大きな部分を占めていた。

 だが、それは、「既存の有力宗教の立場を守る」という色彩の強い任務でもあった。新興勢力を叩きつぶし、世界宗教者会議の中核を占める古い教団を保護するための、くだらないミッション。




 その日も俺は女児をアパートへ連れて帰る羽目になった。

 こいつを手放そうとすればするほど俺の立場がますます悪化する。泥沼状態だ。

 まるで、したたかな女に嵌められて無理やり同棲に持ち込まれたような感じだ。相手は俺の背丈の半分にも届かないようなガキなのだが。


 たちが悪すぎる。そもそもこいつは本名さえ名乗っていなかったのだ。


「おまえの名前、本当はティリーっていうのか」


と尋ねると、金髪頭がこくりとうなずいたから、そういうことなんだろう。


 だが、返答らしい返答が得られたのはその質問だけだった。


「おまえの親は『ローズ・ペインターズ同盟』にいるんじゃねえのか」

「どうしておまえは、あの卵みたいなおっさんを見て、あんなに大騒ぎをした?」

「どうしてあのおっさんは、あんなに怯えてたんだ? おまえはあの男に何かしたのか?」


等々、いくら質問をぶつけても、アリスは――いや、ティリーはだんまりを続けるだけだった。



 深夜近い時刻になっても寝つけない。俺は、窓から無人の街路を眺めながら思案したあげく「今すぐコルカタを出るのがいちばん安全だ」という結論に達した。


 ハクトに俺の所在をつきとめられたからには、もう枕を高くして眠ることはできない。あいつは俺の粛清命令を受けていないと言っていたが、たぶん嘘だ。奴にいつ[泡沫夢幻オブリビオン]を喰らわされてもおかしくない――奴はすぐに俺の住処すみかを調べ出すだろうし、俺も二十四時間警戒し続けられるわけではない。


 夜が明けるまでにコルカタを出る。ハクトもティリーも追ってこられない、どこか遠くの街まで逃げる。そしてまた新しいIDを偽造して、別人としてやり直す。それが正解だ。完全に形跡を消すため、海を二回ぐらい超える必要があるだろう。

 望みもしないごたごたに巻き込まれるのは愚か者のすることだ。

 世界で拡大を続ける謎の新興宗教なんて、厄介ごとの予感しかしない。


 だが俺は、あの雨の夜を思い出していた。濡れねずみの女児に傘を差し出したあの夜の情景を。


 窓のそばを離れ、ベッドに歩み寄った。

 ティリーはシーツにくるまって寝息を立てていた。長い睫毛があどけない頬に影を刻んでいた。


「……なあ。まさか、おまえは……?」


 俺は問いかけようとしてやめた。相手は眠っているし、起きていたとしても答えられるはずもない。

 狭い部屋に規則正しい寝息がこだました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る