(2)

 ティリーと一緒に暮らすようになって俺の生活は若干の変化を余儀なくされた。

 第一に、ベッドをティリーに明け渡しているせいで俺は毎晩ソファで寝なければならない。寝苦しいことこの上ない。

 第二に、室内に不本意な物品が増え始めた。馬鹿でかい人形やぬいぐるみ、レースのストールなど。


 そういった物品は『媽媽的店』の茅尚ママからの差し入れだ。


「リデルさんのことだからきっと、娘さんのために着替え一つ用意してあげてないんでしょ? 駄目よ、そんなんじゃ。女の子ってのはね、暮らしていくために色々な物が必要なの♡」


 俺の子じゃねえって何度言えばわかる、と言い返したものの、着替えのことなど思いつきもしなかったのは確かだ。俺はママから差し出された高級百貨店のロゴ入りの袋を受け取るしかなかった。

 袋の中には、様々な身の回り品と共に、ティリーが今着ているのと同じ青のエプロンドレスと白の靴下が何セットも入っていた。


 なんだって同じ服ばかり買いやがった?

 これがマウンテンゴリラの感性の限界というやつか。


 幸い、ティリーは毎日同じデザインの服ばかり着せられることに文句を言うような子供ではなかった。

 文句どころか、ティリーはほとんど言葉を発しなかった。一日中じっと座っている。空気のように存在感がない。手がかからないのは結構なことだが――その異様なまでのおとなしさは「こいつ、どこか悪いんじゃないのか」と疑いたくなるレベルだ。

 食欲はあるから、病気ではないんだろうが。


 整った顔立ちの幼女が大きなぬいぐるみを抱きしめて、ちょこんと椅子に腰かけているのは、絵本から抜け出してきたような情景だ。

 だが自分の部屋の中で見たい情景ではない。



 できるだけ早くこいつの正体をつきとめる。こいつがいやがって大泣きしたりせず、おとなしく帰っていける場所を見つけてやる。

 それが俺の当面の課題だった。ガキの面倒をいつまでも見させられるなんて、まっぴらだ。


 金曜の夜にカリガート公会堂で勉強会がある、と《ローズ・ペインターズ同盟》の受付の女は話していた。

 俺はそれに参加する腹を決めていた。もし必要とあれば入信の手続をして信者になるつもりだった。

 《同盟》の幹部に近づき、ティリーの正体についての情報をつかむために。

 断じて、ハクトの調査に協力してやるためではない。




 カリカード公会堂はコルカタ中央駅から徒歩で十分ぐらいのところにある。その金曜の夜、俺が駅を出ると、公会堂へ向かう道路が警察に封鎖され、ちょっとした騒ぎになっていた。交通事故だ。機嫌の悪い猪が馬車馬に激突し、馬車が横転したらしい。


 警官の制服を見て、俺はとっさに《ローズ・ペインターズ同盟》のパンフレットを顔の前にかざした。

 可能性は高くないが、先日バザールでティリーを「誘拐した」俺の顔を覚えている警官が交じっているかもしれない。


 公会堂は、純白の有機合成素材オルガーニチで内装を統一した、味もそっけもない機能的な建物だ。大ホール一つと中ホール二つ、いくつかの会議室などを備えている。

 特別公式建物の例に漏れず、エントランスロビーも間違ったスケール感で設計されていた。高すぎる天井。でかすぎる柱。

 この夜の公会堂の利用者は《ローズ・ペインターズ同盟》だけらしく、《同盟》のパンフレットやフライヤーを手にした連中がロビーを埋め尽くしていた。 


 俺は人ごみをざっと見回した。

 昔の癖で周辺情報を分析。人口統計的データデモグラフィックスを抽出する。

 [認識野スパイムビュー]に、ロビー内の人間の人数と年齢構成、人種構成、性別構成が原色のグラフとなって表示された。続いて、世界六大宗教の公開データに基づき、各宗教のコルカタ市内の信者の年齢構成、人種構成、性別構成のグラフがオーバーレイ表示される。


 ――この公会堂のロビーに集まった二百六十四人は、他の宗教の信者に比べると、全体的に若い。二十代、三十代の占める割合が圧倒的に多い。

 これは目を引く特徴だ。伝統的な宗教の場合、死への恐怖が具体性を帯びてくる四十代、五十代が信者層の中心となる。「六十二歳が人間の公定寿命」だと頭でわかっていても、人が真剣に未来を恐れ、神にすがろうとするのは人生の後半に差しかかってからだ。若くて元気なうちは、誰も自分の終わりなど想像したがらない。

 《ローズ・ペインターズ同盟》が若い層にこれほど受けているのは、現世利益を露骨にアピールしているためか。


 やがて開場ベルが鳴り、閉ざされていた中ホールの扉が開いた。人ごみがそちらの方向へ流れ始めた。俺はその流れに乗り、落ち着いた雰囲気の空間へ足を踏み入れた。壁際の座席を選んで腰を下ろした。すり切れてはいるがまずまず快適な椅子が俺の体を包んだ。

 この中ホールの座席数は二百五十ほどだが、ほどなくその座席がすべて埋まり、ホールの後ろの壁に沿って立ち見の参加者が並んだ。入ってくる人の流れが途切れたところで扉が断固として閉じられた。


 集会が始まった。


 教祖マキヤ・アスドクールを生で見られると期待していたが。大量の花に飾られた舞台に現れたのは、風船のような体型の背の低い男だった。ハクトを追いかけ回し、ティリーを見て腰を抜かしていた、例のハンプティ・ダンプティだ。


「ようこそお越しくださいました。私は《ローズ・ペインターズ同盟》コルカタ本部長のベイカー・スナーク博士です」


 それほど大きな声ではない。だが、人前で話すことに慣れた様子の、張りのある発声だ。


 博士の服の襟元で、何かがスポットライトを受けてぎらついた。俺がその輝きに視線を集中させると、自動的に[認識野スパイムビュー]の中で拡大表示された。

 案の定、《同盟》の幹部のバッジだった。薔薇色の宝石を細かいダイヤモンドが縁取っている。

 そのバッジは菱形ダイヤだった。


「信じてください。今日という日は皆さんの人生の転換点です。今夜を境にすべてが変わります。皆さんは、ここへ入ったときとは別人になってこの会場を出ることになるでしょう」

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