第12章 女王

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女王さまがやっかいごとを解決するやり方は、その問題が大きかろうが、小さかろうが、つねにただ一つでした。女王さまは、ふりかえって見ようともせずに、「そやつの首をはねろ!」と言いました。


『不思議の国のアリス』(ルイス・キャロル作、脇明子訳)


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 フェイプールまで馬車で行き、そこからコルカタ行きの物流線に乗り込む。船が使えない場合、それがダイヤモンド・ハーバーからコルカタへ行くための早道だ。ギャングどももその逆のルートで来たはずだ。



 物流線の始発駅があるフェイプールの町の大部分を占めるのは、人間の居住区ではなく、基本栄養食と補助栄養食材の製造工場だ。むしろ、工場の周辺に、申し訳程度に人の住処すみかが点在していると言ってもいい。


 夜空の下にうずくまる工場群は、横たわる馬鹿でかい墓石を思わせた。

 [ダイモン]の統制のもと、機械どもが百パーセントの効率性をもって食品を産み出し続けるこれらの施設には、生き物の気配がまるでない。

 工場から滑り出してきたいくつもの運搬ロボットキャリアが、ぶつかり合わないよう複雑な軌跡を描いて駅ターミナルの構内を走り回り、停まっている列車に荷を積み込んでいく。


 食品製造工場は[永久施設ケルビム]ではない。外部とのつながりを断ち完全に自己完結する[永久施設ケルビム]と違って、食品製造工場には当然、物資の出入りがある。

 だが、食品製造工場も、ヒトの出入りを想定していない自動化施設の特徴を備えている。

 目を引く特徴は、極限にまで達した空間の有効活用だ。自動化施設の床面積は意外なほど小さく、天井高も極端に低い。製造ラインが何の無駄もなくびっしりと詰め込まれているせいだ。

 施設内の環境は、そこで行われている作業に合わせて調整される。温度や空気組成が人間の生存に適していない場合も少なくない。


 生命から最も遠いこんな場所で、人の生命を維持するための材料(人間中心主義者どもは「餌」という言い方をするが)が昼夜作り出されているのは、考えてみれば皮肉な話だ。神だって苦笑いしているだろう。

 だが、それが、俺たちの生きるこの世界の現実だ。

 俺たちはあくまで、電脳に快適に飼育されている家畜なのだから。



 物流線とは文字通り、コルカタへ必要物資を運ぶため深夜に運行している貨物列車だ。人間向けの列車ではないため乗り心地は最悪で、時には振り落とされる危険も伴うが、安く速く移動したいワケありの連中に愛好されている。

 やかまし過ぎて会話さえままならない列車に揺られて、俺たち三人がコルカタにたどり着いた頃には、東の空が明るみ始めていた。



 辻馬車をつかまえて、ガンジス川の河畔に立つハルシオーネ・ホテル・コルカタまで移動。黄ばんだ朝日に背中を押されながら、凝った意匠の正面玄関をくぐる。


 ど真ん中に設置された背の高い透明な花器が圧倒的な存在感を誇るエントランスロビー。市内屈指の高級ホテルだけあって、富の匂いとハイセンスがむせ返るほど充満している。

 柱も床も、有機合成素材オルガーニチではなく天然物の大理石で造られている。一枚板の受付カウンターは模造生体合板フェイクウッドではなく本物リアルの植物から採取された材木だ。どれだけの金がかかっているのか想像もつかない。


 まだ早朝と言っていい時刻だが、客が何人かロビーをうろついている。一分の隙もなく制服を着こなしたホテル従業員が受付カウンターの奥に整列している。

 旅程の都合で早く発つ連中がいるため、ホテルの朝は早い。


 黒の礼服を着込んだ初老の男が、警備員らしい大男を二人引き連れて、速足で俺たちに近づいてきた。


「失礼ですが……当ホテルにどのような御用でしょうか?」


 生のパン生地のように白くやわらかい顔の皮膚。気取った声の出し方。匂いだけで値段が伝わってきそうな高級コロンの香り。上品を絵に描いたような男だ。

 だが、丁寧なのは言葉遣いだけだ。礼服男のまなざしは貫くような鋭さで俺たちを吟味している。


「申し上げにくいのですが……当ホテルではドレスコードを設けておりまして……そのような服装で歩き回られては……」


 そう言いながら、礼服男と警備員たちは、エレベータへ向かう俺たちの進路を完全にふさいだ。


 ――男の言う「ドレスコード」がどこまで本当なのかは謎だ。怪しい貧乏人をホテルから追い払うための方便かもしれない。

 ミサイルで狙われたせいで破片と砂埃だらけだが、ハクトはいちおうタキシードを着ている。服装にけちをつけられる筋合いはないだろう。


「防犯の観点から、当ホテルに御用のない方の立ち入りはお断りしておりまして……」


 ティリーへ向かう道を、こんな野郎に邪魔されたくはない。


 俺は、ライデンの足の甲を思いきり踏みつけて止め、早口で一気にまくし立てた。


「そんなのんきなことをくっちゃべってる場合じゃねえぞ。俺たちはコルカタ市の保健課から委託を受けた特殊生物回収業者だ。昨夜、このホテルの宿泊客から通報があった。禁制動物ポロゴーヴを、部屋の中でうっかり逃がしてしまったと……」

「何ですって? 私は支配人ですが、そんな報告は受けていない……!」

「あんたが聞いてるかどうかは関係ねえ。ポロゴーヴは、人体に有害な細菌を保有してる。感染後数時間で発症する強烈な細菌だ。そんな鳥が今このホテル内を飛び回ってるんだぞ。早く捕獲しねえと」


 その言葉にかぶせるようにして、


target=()

run ('easy_contraction')


 目の前の相手に[収納自在イージー・コントラクション]を食らわせてやった。


 手足の収縮を知覚した支配人が床に転がった。落ち着き払った態度が吹き飛び、驚きと恐怖に顔をひき歪めた。


「何だ! これは! 何だ! これは! 手と足がっ……!」

「……!」


 異常事態に警備員たちは顔色を変える。だが、俺が支配人に指一本触れていないことを、奴らも目撃している。


「誰かっ……助けてくれっ……!」


 悲鳴をあげてカーペットの上でもだえる支配人。助けるためにかがみ込む警備員たち。


「細菌に感染したな! 早く病院へ連れて行ってやれ、命にかかわるぞ! 俺たちはクソ鳥を見つけ出して回収する」


 俺は出せる限りまじめくさった声を出した。あわてふためいている男たちの横を小走りで通り過ぎ、エレベータホールへ向かった。ハクトとライデンは無言でついてきた。


 ロイヤル・ペントハウスは最上階の十六階にあり、専用の直通エレベータも用意されているが、もちろん俺たちが乗るのはそれとは別の一般エレベータだ。

 扉が閉まり、ケージが上昇し始めるのを待ちかねたように、ライデンが口を開いた。


「何です、あの細菌がどうとかいう与太話は? 一般人相手にスクリプトを使うなんて、どういう了見ですか」


 俺は間髪入れず反論した。


「てめえこそ、俺が足を踏んで止めなければ、あのおっさんを殴り倒すつもりだっただろう? ちゃんとわかってるんだぞ。一般人相手に物理的な暴力をふるって警察を呼ばれる方が厄介だろーが」

「すぐに警察を呼ばれるような殴り方はしませんよ。最低半日はおねんねさせてやります。相手が動けるようになる頃には、俺たちは用件を済ませた後ってわけです」

「……おまえら、なんやかんや言うて、思考の方向性が同じやな? 仲良しか」


 ハクトのまぜっ返しに対し、「こんなのと一緒にすんな」「冗談でもやめてください」という俺たちの反論が重なった。ハクトは、あからさまに真実味がこもっていない薄っぺらな笑みを浮かべた。


「だんだんチームらしゅうなってきたな。ええことや。……おい。ライデン。さっさと[暗中夜行ティップトウ・ステップ]使って俺らの姿を消せや」


 機嫌をそこねたガキのように厚い唇を尖らせたライデンが、スクリプトを発動した。

 これで、十六階に詰めているメグやサーフェリーの[仮想野]に、俺たちの接近は映らない。


 一般エレベータは十四階までだったので、俺たちはそこから非常階段を使い屋上へ上った。冴え冴えとした青空の下、屋上を歩き回る。

 三百六十度、コルカタ市の街並みが遮るものなく見渡せた。

 高い位置から眺めると、この街が整然たる計画都市であることが見て取れる。ほとんど隙間なく地面からびっしり生えている建物群は、ブロックごとに高さと年式が揃っている。電脳の提示する標準都市計画に則って、地区ごとに一斉建築・解体が行われている証だ。

 ホテルのそばに、巨大でいびつな円形の施設があった。その緑色が灰色の街並みの中ではっとするほど鮮やかに際立っていた。コルカタ・クリケット・グラウンドだ。

 ハルシオーネ・ホテルの近所だとは聞いていたが。これほど近くにあるとは思わなかった。

 芝生のグラウンドからそそり立った客席が朝日を鋭く反射している。


 俺は足元を見降ろした。このすぐ下がロイヤル・ペントハウスだ。

 [仮想野]に、ペントハウス内にいる人間全員の生物学的・人口動態的情報が表示されている。ペントハウスの平面図と照らし合わせると、階下がどういう状態かおおよそ見当がつく。


「このロイヤル・ペントハウスには、バスルーム付きの寝室が五部屋あって、執事とサービススタッフが三人ずつついてるそうや。めちゃくちゃ豪勢やな」


 ハクトがのんびりした声をあげる。


 俺は大きく息を吐いた。ゴールがすぐそばだと思うと、行動したいという衝動が全身を巡り、じっとしているのが一苦労だった。


「ティリーはこの真下にいる。たぶん、メグという女と一緒だ」


 それ以外の寝室は、四十代の女が一人、二十代の男が一人、十代の女が二人、そして、三十代の男と十代の女が一人、という配置になっている。スペードの幹部たちに寝室が一部屋ずつ割り振られているらしい。


 物を投げるスクリプト[凶器乱舞ヒステリカル・フライヤー]を使う[可愛い料理番プリティ・コック]――《♠7》。

 人体のサイズを思うがままに拡大縮小できる[大小異同ディスディメンション]の使い手、[アオムシキャタピラー]――《♠8》。

 マーチとヘアの双子――《♠J》と《♠Q》。


 もう一つの寝室にいるのは、考えたくないが、おそらくサーフェリーとLCだ。


 リビングルームに十人の男がたむろしている。サーフェリーの呼び集めた子分どもだろう。


 


 ライデンが柵から身を乗り出して、見下ろした。


「この下に、ペントハウスのテラスがちょうどいい感じで突き出てますよ。飛び降りられそうです」

「よし。善は急げだ。行くか」


 俺も柵へ歩み寄りかけた。


「ちょお待ってくれ。飛び降りるって何やねん。おまえら頭おかしいんちゃうか? 十六階の高さやぞ?」


 ハクトがあわてたような声をあげたが、ライデンも俺も振り返らなかった。


「地上まで飛び降りるわけじゃねえ。飛ぶのはせいぜい三、四メートルだ」

「狙いが外れて、テラスに着地できへんかったらどうすんねん? 俺、絶対無理やから。こんな高さから飛ぶとか」

「じゃあロープか何か探して来いよ。俺たちは先に行く」

「あまり、のんびりしないでくださいよ。サーフェリーを抹殺するのに、あんたのスクリプトが要るんですから」


 俺たちは柵を乗り越えた。足元から眼下のテラスまでの距離は四・三メートル。テラスの下に広がる地上の街並みまでの距離は、見ないことにする。


「その『抹殺』っちゅうのやめ、って言うとるやろ! それに……ティリーちゃんを救出し、サーフェリーを処断してから、その後どうするつもりや。敵の真っただ中やぞ? 計画ぐらい立てろや、おい……!」


 ハクトの抗議を聞き流しながら、俺たちは柵の下部をつかんでぶら下がり、そして、手を離した。

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