(4)
「俺の熱心な説得の結果、アリスは改心して《バラート》に復帰することになった。俺らは今日からチームや。仲良うやってくれ。力を合わせて人類のために戦おうぜ」
ハクトがそう宣言したとき、ライデンはこれ以上ないほどの渋面を見せた。眉を八の字にし、「ええーっ?」と心底不服そうな声を発して唇を歪めた。一生グリーンサラダだけ食ってろと言われた人喰い虎だってここまで嫌がりはしないだろう。
ティリーは断固としてライデンに近寄ろうとしなかった。ライデンに視線を向けられただけで、今にも泣きそうに顔をひきつらせた。
――俺たちはてんでばらばらで前途多難な四人組だった。「チーム」とは程遠い。
俺はハクトたちから逃げることしか考えていなかった。《ローズ・ペインターズ同盟》の残党になど興味はなかった。調査に協力するふりをして、隙を見てティリーと共に消えるつもりだった。
そしておそらくハクトも、例によって、俺にすべての事実を打ち明けてはいない。
明日スナーク博士に呼び出しを受けているのなら、ぜひ行くべきだ、とハクトは力説した。
「教祖が倒れた後、教団内部がどんな感じになっとんのか知りたいんや。……おまえは、教祖が今朝テレビに出てたって言うけど。そんなん不可能やで。[
「どういうことだ……『普通より強め』ってのは」
「あの女は十九年前、ロセッティ枢機卿の子を身ごもって、『奥さんと別れて私と結婚して』と大騒ぎしたあげく、《バラート》にいづらくなって逃亡した奴らしいで? 当時、俺らは聞かされとらんかったけど、レジィナは知っとったはずや。……レジィナを苦しめた女に手加減は無用やろ」
「おまえ、任務にどれだけ私情を挟んでんだよ」
俺たちは駅の近くの公園でベンチに腰かけていた。吹き過ぎる風が冷たい。目の前には枯色の芝生が広がっており、鹿どもが落葉樹の下に群れ集い、懸命に落ち葉を食べている。
俺の隣で、ティリーは鹿を熱心に眺めていた。母親についての話題はこの子供の心に届いていないようだった。
仏頂面のライデンは少し離れた所に立っている。二メートル以下の距離まで近づくとティリーが大泣きするためだ。
「なあ。ちょっと思たんやが……」
こちらを見ようとせず、ためらいがちにハクトが切り出した。
「ティリーちゃんを、《バラート》に任せた方がええんとちゃうんか。養成所に入れば同い年の友達ができる。いいもんやで、仲間ができるってのは――『一人ぼっちやない』と感じられるのは。スクリプトを使える子なら一度や二度は、『自分は化物かもしれん』って思うもんやからな。俺らかて……」
「俺もそれは考えた」
俺はハクトの台詞をきっぱりと遮った。
「だが……こいつがレジィナの生まれ変わりなら、《バラート》になんか入りたくはないだろうさ」
「あー……それは、そうやなー……」
俺たちは揃ってまっさおな空を見上げた。
――これまで数えきれないほど同じ空を見上げてきた。世界中のさまざまな場所で。しかし今や、並んで座ってはいても俺たちの距離は果てしなく遠く、目を凝らしても
「明日おまえが《ローズ・ペインターズ同盟》の本部へでかけてる間、ティリーちゃんの面倒は俺らが見といたるわ」
ハクトが親切ごかして言いやがったが、はねつけてやった。
「必要ねえ。アパートで留守番させとく。こいつは一人で留守番ぐらいできる」
「そんなこと言うたかて……コルカタの犯罪発生率は西ベンガル地方でも最高やで? もし留守中に何かあったら……」
――ハクトの魂胆は読めている。ティリーを人質として使うつもりだ。俺から目を離したら、もう二度と戻ってこないんじゃないかと疑っているわけだ。
「俺がいない状態で、おまえの相方の[メアリー・アン]ちゃんがそばへ寄ってきたら、こいつはコルカタ中に響きわたる大声で泣きわめくぞ? こいつの声の大きさはおまえも知ってるだろ?」
「わかった。ライデンは絶対この子に近寄らせへん。それでええやろ? 俺はこう見えても子守りは得意……」
「ままの、家へ、行く」
ティリーのかぼそい声が俺たちの間に割り込んできた。子供は宝石を嵌め込んだようにきらきら輝く瞳でこちらを見上げていた。
「ままがいい」
こいつの言う「まま」とは実の母親ではなく、『媽媽的店』の茅尚ママのことだ。
茅尚ママは『媽媽的店』が入っているのと同じ雑居ビルの三階に住んでいる。翌朝、俺はママにティリーを預けに行った。
ハクトたちがこの動きに同意したのは、雑居ビルの出口が一か所しかないことを確認できたからだ。ティリーは玄関を通らずにビルから出ることはできない。だから、奴らはビルの玄関さえ見張っていればいい。
俺がスナーク博士に会いに行くふりをしてこっそり舞い戻り、ティリーを連れて高飛びしてしまうことを、ハクトは警戒しているのだ。
ダルハウジー広場にほど近い《ローズ・ペインターズ同盟》の本部ビルは、拍子抜けするほど普段通りだった。三階の事務室では、襟に小さなダイヤのバッジを輝かせた事務員たちが黙々と仕事に励んでいた。
教団の最高責任者が廃人になってしまったことを悼んでいる様子ではない。
事務室のいちばん奥にある「本部長室」で、スナーク博士が俺を待ち受けていた。
「ついに来ましたよ。我々の真の目的が果たされる日が」
博士は明らかに、ひどく興奮していた。ハンカチでしきりと額や首筋の汗をぬぐっていた。
「ようやくすべての準備と条件が整いました。長い……とてつもなく長い道のりでしたが……それだけの価値はあった……!」
それは、俺が予想していた展開ではなかった。
俺は最悪、いきなり戦闘になることを覚悟してこの本部ビルへ乗り込んだのだ。
ラッシュプールのあの安っぽい城で、マキヤと俺との会話をルーラント・サーフェリーがどこまで聞いていたのか、それをどこまでスナーク博士に報告したのかはわからない。だが、いくら何でも「まったく聞いていなかった」ということはないだろう。
俺がティリーを保護していること、そして、俺が《バラート》の元メンバーであることまで博士の耳に入っている可能性がある。
マキヤと手を組んで教団を設立したぐらいだから、博士は《バラート》についてある程度の知識を得ているはずだ。「《バラート》は敵だ」という認識はあるだろう。敵の一味だった俺を消すよう、サーフェリーか他の♣(クローバー)の幹部に命じているかもしれない――。
「あなたの覚悟を知りたい、《
肉に埋もれかけた博士の瞳が異様な輝きを帯びて俺に据えられていた。
「何のことだ、その『大義』ってのは?」
俺は尋ねた。――気が進まない様子を表に出しても役割には矛盾しないだろう。
「この教団は、スクリプトを利用して
「初めにちゃんと説明したはずですよ。あなた方には、教祖や教団の敵を排除し、来るべき《世直し》の日には先頭に立って働いてもらう、と……。《世直し》、それこそが我々の目的です」
「《世直し》、だと……?」
古今東西、「世直し」をぶち上げた連中がろくな末路をたどったためしはない。その語は「
「今の世界は狂っている」
と、スナーク博士はいかにも嘆かわしいというように、芝居がかったため息をついてみせた。
「なぜ人間が電脳に飼育されなければならないのですか? 電脳に決められた場所で暮らし、電脳に与えられただけの資源を使って、電脳に認められた活動を行う。いつ死ぬかさえ、電脳の決定事項だ。まるで家畜か何かのように。……電脳はもともと、人間が作り出したただの道具でしかなかったのに。
今こそ、世界をあるべき姿に正す時です。電脳の……[ダイモン]の支配を打破して、人間が主体的に生きる権利を取り戻すのです。再び我々が地球の支配者となるのです」
相手の熱弁に、俺は思わず顔をしかめていた。
「人間中心主義か? はやらねえだろ、いまどき」
「はやる、はやらないの問題ではありません。頭蓋の中身まで勝手に改造されて、知覚を電脳にいじられる……そんな状態が正常だと思うのですか? 私たちは電脳の周辺機器ではありませんよ。[ダイモン]が自我に目覚めるまでの数千年、人類は自らの運命の主人公であり続けてきたのです。
世界のバランスを保つため人間は六十二歳で死ななければならないと、なぜ電脳ごときに決められなければならないのですか。人類の医学は、人を百歳を超えて生かし続けられるだけのレベルに達しています。可能な限り生きる……人間には、それぐらいの権利はあると思いませんか? あなただって自分の寿命を決めつけられるのは嫌でしょう?」
問いかけの形をとりながらも、博士は俺の返事を待つつもりはないようだった。俺が口を開く前に、さらに力を込めて語り続けた。
「きっとあなたは『人間の寿命が六十二歳と決まっているのは当たり前だ』と言うでしょう。『[ダイモン]が人間の活動を制約しているのは保護のためだ。抑圧ではなくセーフティネットだ』と。……我々は皆、そう信じ込むように教育されてきていますから。
でも、その『当たり前』を疑ってみてください。その『当たり前』がすべて消え去った世界を想像してみてください。……ね? すばらしくありませんか? 人類が何の制約もなく、思うがままに文明を発展させられる世界。
それが、もう目前まで来ているのです」
――《バラート》にいた頃、人間中心主義者の言い草は耳にたこができるほど聞かされてきた。哀れっぽい懐古趣味の夢物語だ。
だが、その最後のひとことを言い切ったときの博士の自信たっぷりな口調が、俺をぞっとさせた。
「何をしようってんだ?」
俺の質問に、博士は満面の笑みで応じた。
「[ダイモン]の自我の中核部を破壊します。自我さえ破壊してしまえば、[ダイモン]はただの機構に過ぎません。
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