(3)
「アサルトライフルの射程距離ってどれぐらいニャんだろ。あそこから狙われたら、当たるかニャ?」
「素人ぶんなよ、白々しい」
「面倒くさいニャー。前に来たときにはライフルはなかったんだけどニャー」
ぼやいてみせながらも、タイガーは薄笑いを絶やさない。
城壁の上を油断なくパトロールしている、ライフルで武装した警備員ども。それさえも大した問題ではないんだと言わんばかりの余裕だ。
そして実際、大した問題ではないんだろう。この男の「消える」スクリプトをもってすれば。
ラッシュプールの集落のいちばん西端にあるのは、いわゆる「ログハウス」スタイルの低層住居建物だ。丸太を模した
その建物を境に、西側にはまったく何もない平原が広がっていた。
マキヤの城はそのだだっぴろい平原の真ん中にぽつりと立っていた。城壁までの水平距離は百十三メートル、と[
俺たちはログハウスの陰に身を潜め、城の様子をうかがっているところだった。
「前にも説明した通り、僕のスクリプトは『そこに存在していないことになる』スクリプトニャのさ。範囲をちょっぴり広げることもできるから、例えば君が僕のすぐ隣にいてくれれば、君も『存在しない』ことにできる。おとぎ話に出てくる『消えるマント』を羽織るみたいな感覚だニャ」
城から視線を離さないまま、タイガーがのんびりした口調で語り出した。
「だから、あの城のすぐそばまで行くことができれば、僕らがたとえドリルで扉に穴を開け始めたとしても警備員には気づかれニャい。奴らにとって僕らは『存在していない』んだから。ドリルの音だって聞こえやしニャいのさ。
たとえ僕らがナイフでめった刺しにしたとしても、首を絞めたとしても、奴らは何も感じニャい。自分が殺されていることも認識できニャいんだ。痛みも恐怖も感じず死んでいける……究極の安楽死だと思わニャいか?」
「俺は、殺しには手を貸さねえぞ」
きっぱり言ってやったが、タイガーは「信じニャいよ」とでも言わんばかりの物憂げな笑みを浮かべやがった。
「……問題は、スクリプトの効果範囲が半径二十五メートルだってことニャんだ。僕らがこの建物の陰から出て城まで歩いていく間、警備員には僕らの姿がはっきり見えてる。二十五メートルまで近づかないと『消え』ニャいんだよ。その間に狙い撃ちされちゃうよね」
「いくら何でも、ただ近づいただけじゃ撃たれないだろ?」
「いや。マキヤさんのことだからきっと、僕の姿を見たら撃てと警備員に命令してあるはずニャ」
「……あんた何をやらかしたんだよ、いったい?」
「こないだ会ったとき、『自意識過剰の若作りババア』って言ってやったのが致命的だったかもニャ。独裁者というのはえてして真実を嫌うものだからニャ」
そう言って、タイガーは「ふうっ」と芝居がかったため息を吐いた。
俺は相手を睨み据え、本気でしゃべっているのか出来の悪いジョークなのか判別しようと試みた。タイガーのにやけ面はまったく何の手がかりも与えてくれなかった。
「というわけで、君には囮役を頼みたいニャ、《
笑顔のまま、タイガーはとんでもないことを言い出した。
「ちょっと待ておっさん。何が『というわけで』だ」
「このまままっすぐ門番の所まで歩いて行って、連中の注意を引きつけてほしいニャ。その間に僕は、なんとかして目立たないように城門に近づくから」
「俺にライフルの的になれって言うのか?」
「だーいじょうぶニャ、君なら撃たれニャい。マキヤさんが敵視してるのは僕だけだから。……門番の前まで行ったら、そうだニャ、プロのスポーツ選手だとか何とか名乗りなよ。そうすれば、中へ入れていいかどうか門番が管理室に確認するはずニャ。それでまた時間が稼げる」
「教祖は男を避けてるんじゃなかったのか」
「あー、基本はそうニャんだけどね。マキヤさんは、会社の経営者とか芸能人とかスポーツ選手とか、そういう社会的地位のある男が大好きだから、そういう男となら喜んで会うんだニャ。何か適当なことをしゃべって、できるだけ会話を引き伸ばしてくれ」
俺の返事を待たず、タイガーは不意打ちで、背中をどんと突いて俺を建物の陰から押し出しやがった。
城の警備員たちはすぐに俺に気づいたようだ。が、特に銃を構えようとする動きは見せない。無表情でこちらを凝視している。
みつかってしまったからには近づくしかない。俺は城へ向かって歩き始めた。強い視線を浴びながら、格好の標的として、何も遮る物のない平原を横切っていくのはひどく居心地が悪い。
緊張感で肩に力が入る。足の下で砕ける乾いた砂利の音さえ耳につく。
警備員たちとの距離が二十五メートルに縮まり、こちらのスクリプトの射程圏内に相手を収めたとき、ようやく俺は楽に呼吸ができるようになった。
がらがらがら、というのんきな音が背後から聞こえてきた。
俺は振り返った。
集落の中から一台の荷車が出てくるところだった。いかにもくたびれた感じの馬が、家畜用の成長調節剤の瓶を積んだ車を、のろのろと引いてこちらへ向かってくる。手綱を取っているのは作業着姿の中年男だ。
《郊外》では珍しい光景ではない。[ダイモン]の公定食糧供給のルート外でも、一定の範囲内で、人間による自主的な酪農業が認められている。
荷車の後ろの方には大きな茶色の布がかぶせられており、荷台の瓶を半ば隠している。布はいかにも不自然な感じに盛り上がっている。――その下に誰かが隠れていることは一目瞭然だった。
くそっ、化け猫野郎め。もう少し上手に隠れろよ。警備員どもの目はすでに俺じゃなく荷車に釘づけだぞ。この状況でどうやってこちらへ注意を引けっていうんだ。
「そこの荷車! 止まれ!」
警備員の一人が険しい声で叫んだ。
荷車の中年男は帽子のひさしの下から、気のない視線をちらりと声の方角へ投げかけた。しぶとそうな面構えの男だ。
「偉そうに指図するな、若造が。何様のつもりだ」
低い声で、怒りに満ちた返答が放たれる。男は馬の歩みを止めようとはしない。車輪が砂利を
「……その荷車に載っているのは何だ」
「見りゃあわかるだろうが。ドリンクミィ社の成長調節剤だよ」
「その布の下に誰か隠れているんだろう? 布をめくってみせろ」
「はあ? 布だと? そんな物がどこにある。わけのわからん言いがかりをつけるな」
中年男は苦々しげに口元を歪めた。心底「何を言われているか理解できない」といった風だ。
――タイガーがスクリプトを使いながら馬車に布を持ち込んだのだとすれば、男にとってタイガーは
城壁の上の警備員たちはライフルを構え、馬車に狙いをつけた。
城の正門の左右に立つ二人の門番も、馬車に完全に注意が行っている。すぐ間近に迫っている俺に視線を向けようともしない。
「止まらないと撃つぞ!」
責任者らしい年かさの警備員が叫んだ。
中年男は手綱を引き、馬を停止させた。俺の[
停車を強いられた中年男は怒りに震えていた。
「この野蛮人どもめ! おまえらはギャングよりもたちが悪い。村中で銃を振り回しやがって。いくら統治総監に顔が利くからって……こんな勝手な真似がいつまでもまかり通ると思うな!」
「馬車から降りろ。そして、その布をめくれ」
「だから! 布なんざどこにあるって言うんだ! おまえら頭がどうかしてるぞ」
中年男は馬車から降りたが、依然として布を認識できない様子で、お手上げだと言わんばかりに両手を広げてみせた。
――もう、ここまでだな。
タイガー相手なら撃つことをためらうな、という命令をマキヤから受けているのか。警備員たちの攻撃モードへの切り替えがやけに速い。今にも馬車に向けて発砲しそうだ。
アホ猫野郎が
target=all
run ('easy_contraction')
俺は[
男たちがライフルを取り落として地面にへたり込んだ。
「おい、おっさん! 足止めしたぞ! さっさと姿を現せ!」
馬車の布のふくらみに向かって、腹の底から怒鳴る。
「……打ち合わせと違うじゃニャいか。君、わりと気が短いニャ」
タイガーが馬車の下から這い出してきた。馬車の車体の下にしがみついていやがったらしい。小太りだがさすがにサーカス団員だけのことはある。
俺は憮然として言い返した。
「打ち合わせなんかした覚えは一度たりともねえぞ」
「連携がなけりゃ共同作戦は成立しないんだけどニャー」
「あんたがそれを言うか? 人をいきなり敵前に押し出しといてか?」
「ま、最初だから仕方ないかニャ。……観客を欺くための囮は最低でも二段構え。マジックと一緒ニャ」
タイガーは馬車の荷台にかけられている布をめくった。布のふくらみの正体は、タイガーのジャケットにくるまれた人間用基本栄養剤(大家族用)の空缶だった。どうやら村落で拾ってきたらしい。
「おい、おまえらいったい……!」
馬車の持ち主である中年男が怒りと戸惑いの入り混じった声をあげた。
タイガーは男に目もくれず、ジャケットを羽織りながら俺に歩み寄ってきた。まるでバッグを持つみたいに軽々と、基本栄養剤の缶の取手をつかんでぶら下げている。
俺からちょうど一・五メートルの距離まで来ると、まぶたの垂れた目で上機嫌なウィンクをよこした。
「それじゃ一緒に
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id ('cheshire_cat')
タイガーがスクリプトを発動させた。
俺は思わず身構えた。だが、別に何も起こったようには感じられない。体に異状はない。目の前ではあいかわらずタイガーがにやにやしている。
――門の傍らで地べたに転がり、「畜生」と呻いていた二人の門番が、急に立ち上がった。不思議そうな表情で辺りをせわしなく見回した。その目線は俺たちを素通りしていく。
「こいつらにとって君は存在していニャい。だから、こいつらに対する君のスクリプトも効果が消えちゃうのさ。君はここにはいない人だから」
タイガーのしたり顔の解説は、すぐそばで発せられたのに、門番たちの耳には届いていないようだ。「本当に消えたぞ、くそっ!」などと叫びながら、顔を引きつらせて俺たちを探している。
タイガーと俺は力を合わせて、高さ三メートルほどもある巨大な
門番たちは最後まで俺たちに視線を向けなかった。
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