採石師ラウル・7


 ややごつごつした指先が、エリザの髪に触れた。

 あ……と思った瞬間。

「す、すみません!」

 男はあわてて手を引っ込めた。

「いえ、別にかまわないです」

 と言いながら、エリザは自分で背に回っていた髪を前に持って来た。

 少しびくついたのは……。

 いつも髪を撫でてくれた指先と、あまりにも違いすぎるからだった。

 エリザの背後に回った男の手が、ゆっくりと前に移動する。

 ふと、首筋に感じた感覚は、男の手なのか布地なのか、エリザにはわからない。

「こちらの紐を押さえていてください。今、位置を調整しますから」

 背から渡された紐を持ち、ジュエルを包んだ袋が背でゆさゆさしているのを不思議な気持ちで感じていた。

「苦しくないです?」

「ええ。楽です」

 紐はエリザの脇下あたりにある金具に通され、おなかのあたりで結ばれた。

 男はジュエルの様子を確認し、締めくくりにマントをエリザに羽織らせた。

「少し……背中が盛り上がってかっこ良くはないですけれど、かなり楽だと思います」

 本当に男の言う通りだった。

 両手が空いているうえに、重たくない。しかも、かえって背筋がジュエルの重みで引っ張られ、しゃんとする感じなのだ。

 ジュエルのほうも、抱いて山を下りている時はあれほど暴れていたのに、静かにしている。時々、気持ち良さそうに「ムニャ……」と言っている。きっと歩いているうちに眠ってしまうだろう。

 ただ、しゃがんだりするのは大変だ。地面に置いてある荷物が取りにくい。

 だが、エリザの荷物はさっと男が拾い上げた。エリザに持たせることなく、そのまま自分の背に担ぐ。

「さあ、また降り出さないうちに行きましょう」

「で、でも……」

 エリザは少しだけ躊躇した。

「どうしました? エリザ様」

「いえ、あの……。その『様』はやめて欲しいんです。私には重すぎて……。それに、私ったら、まだあなたのお名前を存じていませんの」

 男は、はっとして頬を染めた。

「僕は……ラウルと申します。あ、あの……エ、エリザ……」

 呼び捨てにしたのが恥ずかしかったのか、ラウルはエリザよりも一足先に洞窟を飛び出した。

 風の冷たさを感じたのか、ラウルは自分のマント代わりにエリザの肩掛けをさっと肩に掛けた。

 そして、一度自分の短衣の裾をこするようにして手を拭くと、恥ずかしそうにしながらも、エリザに手を差し出した。

 採石する手にはたくさんの肉刺があり、エリザの知っている手よりも大きく、指には節が浮き出ていた。

 しかし、エリザはその手に手を重ねたのだった。



 リズムよく歩けたせいか、エリザが思っていたよりも早く、村に着くことができた。

 天気は先ほどの雨が嘘のように晴れ渡り、日差しがきつくなっていた。だが、マントが日よけになっているのか、揺れがちょうど良かったのか、背中のジュエルは気持ち良さそうに眠っている。

 祈り所で手続きを済ませたあとでも、まだお昼を回ったばかりである。乗り合い馬車を利用したら、夕方には椎の村につけそうだ。

「でも、エリザさ……」

 ラウルは、どうも様付けをやめられないらしい。途中で目を白黒させた。

「でも、エリザ。馬車に乗ったら食事ができない。だから、食べてからの方がいい」

『様』をやめただけで口調がかなりくだけて来た。

 おそらく採石師という職業柄、ラウルはもっと気楽な言葉を使う人なのだろう。時々言いよどむのは、エリザが元巫女姫という緊張からに違いない。

「うまい店がある。それに、今日は運がいいことに、週に一度の米玉入り小茶豆の入荷日だ」

「小茶豆?」

 エリザがおうむ返しに聞き返したときだった。

 お昼時の人ごみをかき分けて、まっすぐ走ってくる女の子がいた。見た感じははかなげな美少女なのだが、走りかたがなんともがさつで似合わない。 

 あきれて見ていたエリザだったが、いきなりその子供がエリザに飛びついて来たので、さらに驚いてしまった。

 背中が重たいので、そのまま後ろに倒れそうになったのだが、ラウルが支えてくれた。

「エリザだ! エリザだ! エリザだ! わーん、会いたかった!」

 そう泣きつかれても、エリザにはさっぱり事情がわからない。だが、少しめくれた袖口からのぞく白い腕に、一カ所、かすかに残る斑のあと。

「あなた……マリ? マリなの?」

 子供はこくこくうなずいた。

 驚いた。

 小茶豆菓子を差し入れできるほど、マリは成長している。年齢も、もう八歳になっていて、学校にも行っている歳だ。

 だが、エリザの中ではマリはいつまでも助けたままの姿であり、ここまで大きくなっているとは思わなかった。

 しかも、ムテは成長に個人差が生じる種族であるとはいえ、マリは他の同年代の子供と比べると、はるかに大きい。

 おそらく子供ではいられない事情が、マリの成長を促したのだろう。そのことを感じて、エリザはしっかりとマリを抱きしめた。

「あの時の子供? これは驚いたな……」

 ラウルが後ろで呟いた。

 直接、彼はマリを見ていない。だが、巫女姫が抱きしめていた物の大きさは、充分に把握していた。

 マリは、エリザの連れ合いに少し驚いたらしい。

 やや疑いのまなざしで、ラウルを見た。

「この人、誰?」

「この人は、マリを私と一緒に霊山に運び込んでくれた人なのよ」

 エリザの言葉に、マリはいろいろ考えを巡らせたようだ。

「……じゃあ、あたしの恩人なんだ。ありがとう」

 複雑そうな顔をしながらも、マリはお礼を言った。

 ラウルはにっこりと微笑み、マリの頭を軽く撫でた。


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