エオルの旅路・3


 エオルの旅路のわけは……数日前にさかのぼる。

 

 その日、エオルはいつものようにリューマの蜂蜜商人たちと商談をしていた。

 蜜の村は質のよい蜂蜜が取れる。時に、ウーレン本国やエーデムにまで運ばれて珍重される品物だ。

 ただし、運ぶ商人はリューマ族である。許可証を持った選ばれた商人ではあるが、長旅のせいで泥にまみれている。しかも、やや崩れた共通語は耳障りに聞こえる。

 多くのムテ人が、あまり魔の力が強くない彼らと会話するのを嫌う。心の動きが鈍くて疲れるからだ。なので、エオルのような仲買人がまとめて商談し、蜂蜜生産者たちの負担を軽くしている。

 一時期、エオルは村八分に近い状態にまで陥ったことがある。今も改善されたとは言いにくいが、リューマ族とは話したがらない村人も多く、かろうじてエオルの商売は成り立っていた。

 だが……。

「エオルとやら、その値段は法外って気がするが」

「ならば、他の村に行きなさい。一の村あたりでは、値段は倍になりますよ」

 これは本当のことだ。

 エオルは、リューマ族相手でもふっかけた商売はしない。やはり輸送手段をリューマ族に頼っている蜂蜜は、運ばれる距離が長い分だけ値も上がる。

 今日の商人は二人組で、しかも初めて見る顔である。相場を知らないのかも知れない。脅し言葉さえ出たが、エオルは引かなかった。

 蜂蜜の値段には、蜜の村の誇りがかかっている。村人たちの苦労がある。売りたいからといって、値崩れさせるわけにはいかない。

 商人たちはぶつぶつ言いながら、少し考えてくる……と言って、エオルの家を後にした。


 それと入れ替えに飛び込んできたのが、シェールである。

「霊山からの伝書が届いたわ。順調にこちらに向かっているとしたら、明日にでもエリザは帰ってくるわ」

「エリザが帰ってくるのか!」

 二階から声が響いた。ファヴィルである。

 普段はシェールを嫌って、彼女を避けているファヴィルであるが、エリザのこととなると別だ。喜び勇んで姿を現した。

 エリザの山下りの一報が入ってからというもの、ファヴィルはだいぶ正気を取り戻していた。エオルは元気そうな父の姿を見て微笑んだ。

 ヴィラはいない。身重となった彼女に何かあると困ると思い、父と離すことにした。今、ヴィラはシェールの元で出産までの準備に明け暮れている。でも、この分ならば、家に戻して共にエリザを迎え入れられそうだ。

 だが、シェールは少しだけ神妙な顔をした。

「エオル。トランとも話したのだけど……ちょっと気になることがあるの。いい?」

「ヴィラのことですか? それとも……」

「エリザのことよ」


 ファヴィルに聞かれないよう、エオルはシェールとともに家を出た。道すがらもシェールは話の続きをしなかった。

 蜜の村は、エリザが戻ってくるという一報が入って以来、お祭り準備がされている。村長が、エリザが巫女として選ばれた年の葡萄酒をふるまう……という企画までされている。

『エリザ、お帰りなさい』の大きな看板を立てている人々を横目で見て、シェールはやや顔を曇らせた。

「お祭りなんて……。他の村では聞かれないことですけれどね」

 エオルは苦笑いした。

 癒しの巫女は一般人である。尊い存在であるのは、霊山にいる時だけ。エリザの帰還は内輪でするべきことだった。

 初めての癒しの巫女であるシェールが村についた時でさえ、このような騒ぎにはならなかった。だが、村の人々はエリザの帰りをおおいに喜んで、お祝いすることになってしまったのだ。

 元々蜜の村では、巫女姫を出すなどという名誉は初めて。村出身者が癒しの巫女として戻るのも初めてなのだ。一報以来、ファヴィルの調子が良くなって、村に問題が生じなくなったことも、村人たちが喜んでいる要因だ。

 しかも……。エリザの連れて帰る子供は、将来最高神官になるかも知れない。村の期待が膨らんでも無理はない。

 エオルは、村人たちの反応をうれしさ半分、照れくささ半分で見ていた。そして、シェールが気を悪くしたのでは? と気にしていた。

 シェールは、他の村からわざわざやってきた癒しの巫女であり、エリザと同じく巫女姫だった者だ。対応に差がありすぎる。

 だが……。

 シェールは押し黙ったままだった。


 シェールの家につくと、ヴィラがニコニコ迎えてくれた。

 ファヴィルと離れて、彼女はずいぶんと楽になった。それに、今や歩きまわるようになったシェルは、とてもかわいい子供だった。ヴィラは、癒しの巫女として忙しいシェールの代わりに、シェルを見る事が多かった。

 だが、エオルは妻のヴィラと言葉を交わす時間さえもらえなかった。なんと、地下の保存室に連れ込まれ、薄暗い中で手紙を読まされた。

「これは? ……どういう?」

「最高神官サリサ・メル様、直々の手紙よ」

 巫女姫であったシェールに、最高神官から個人的な手紙が来ている……という噂は確かにあった。

 だが、誰もが半信半疑。それだけ、最高神官という地位は遠かった。

 サリーと名乗った男が、エオルの想像通りの人物であれば、そのようなこともあるだろう……とは思っていたが、さすがにその手紙を見せられると驚く。

 だが、内容は平凡なうえに、くどかった。

「子供とエリザをよろしく……とは、ずいぶん丁寧でありがたい言葉ですが……」

 なぜ、その手紙でシェールが厳しい顔をするのか、わからなかった。

「そうよ。私もはじめはわざわざそんなことを……と思ったわよ。でもね、こちらの手紙も読んでちょうだい」

 シェールが突き出した手紙は、やや黄ばんでいた。

 その手紙を読み出しても、エオルにはさっぱり見当がつかなかった。

「これは……祈りの儀式の頃の? あの方は、こんなことを悩んでいたのですか?」

 そこには、エリザが祈りの儀式を強行したがって困っている……うんぬん、と書かれていた。

「わからない? これは、昨年の祈りの儀式の時の話よ。エリザは、この頃身重だった。でも、臨月に近かったわけではないわ」

 お腹の大きな巫女姫は、もはや巫女姫の行進に参加する、しないなど、すでに蚊帳の外の存在である。

「……ヴィラと同じ頃、エリザも妊娠した……。それって、おかしくない?」

 エオルには、まだまったくピンと来なかった。

 そこが、女性と男性の違いというものなのだろう。シェールは、少しあきれていた。

「ヴィラの子供が産まれるのはいつ?」

「この夏の予定……え?」

 そこまで来て、初めてエオルは不思議に気がついたのだ。

「なぜ、エリザはもう山下りしてくる? しかも子連れで?」

 ムテの妊娠期間は一年。

 蜜の村には何も情報がこないが、嘆願書を出した時点でエリザが祈り所にいたのは間違いない。その後、すぐに霊山に戻ったのだろうと思えば、エリザの帰還はおかしくはない。

 だが……。

「この手紙を読む限り、今、エリザが子供を連れて帰ってくるのはおかしいわ。少なくても、昨年のこの手紙の頃には臨月か、もう産まれていないと……」

 エリザの帰還は早すぎる。通常、出産後も半年は霊山に留まるはずだ。

「確かにおかしすぎる。エリザはどうして……」

 不義を働いた……という考えが一瞬エオルの頭をよぎり、ぞっとした。

 まさか、それで霊山を追放になったのでは?

 妹がそのようなことをするはずはない。それに、霊山からの手紙では、エリザはちゃんと『癒しの巫女』を授かっている。

 だが、他にどのような理由があるのやら。

「何かあるのよ。だから、サリサの野郎、心配してこんな手紙を私に送ったんだわ!」

 いきなり最高神官を野郎扱いだ。さすがにエオルは驚いた。

 シェールは、サバサバした女性ではあるが、今までそのようなことを言い出したことはない。建前はしっかりしている人だ。

 もしも、お忍びの最高神官を『サリーちゃん』などと呼んで楽しんでいるとしたら、ありえそうだと思ってはいたが。

「とにかく! 何かあってからなら遅いわ。こんな飾った表面的な手紙を書かずに、ちゃんと本当の事を教えてくれないと困る! って、返事は書いたのだけど……」

 シェールは、やや苛々して手を広げてみせた。

「その手紙が最高神官に着く前に、エリザが戻ってくると?」

「そういうこと」


 エオルは帰路を急ぎながら、シェールの不安をひもといていた。

 しかし、確かにエリザが今戻る理由がわからない。嘆願書が通ったと考えても、ならば子供はいないか、まだ、お腹の中にいるはずだ。


 ――いや、シェールの考え過ぎだ……。


 嘆願書を通して早く帰してくれたに違いない。そう思って、エオルは納得しようとしていた。

 だが、エオルが家に着いた時、すでに事件は起きていた。

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