採石師ラウル・3
青年の家は、代々採石師だった。
霊山の山頂近くまで足を運び、貴重な薬石・宝玉を採取する、実に危険が伴う仕事である。
一見、力作業だけに思われるこの仕事だが、石を見分ける力を必要とする名誉ある仕事である。しかも、霊山の石を採取するためには最高神官の許可が必要であった。
彼は学び舎で十年間石の知識を学び、採石師の資格を得て、故郷の一の村に帰ってきたばかりである。
その年、村は三年に一度の【祈りの儀式】の当番に当たっていた。しかも、マサ・メル最後の巫女以来、久しぶりに巫女姫が参加する【祈りの儀式】となるのだ。
いつも以上に大規模で、しかも人手がいる。一の村だけではなく、学び舎や近隣の村からも魔力の強い若者がかき集められた。
当然のごとく青年にも声がかかり、彼は巫女姫の輿持ちを担当した。魔力だけではなく、腕力も買われたのだ。
それは大変名誉なことであった。
しかも、青年はまだまだ若く、美しい巫女姫の側にいられることを思って、心が躍った。まだ見ぬ尊き女性の姿を想像し、その日を今か今かと待ったものだ。
しかし、青年の期待は裏切られた。
銀糸が織り込まれ、金剛石が輝く美しい衣装。神々しい姿。だが、巫女姫の顔はヴェールに隠されていた。輿に乗るときも降りるときも、手を貸すのは一の村の神官だけ。
しかも、回りの人々が、巫女姫の美しさにため息をついていても、輿を担ぐ者はまっすぐ前を向いて、振り向いてはならない。当然、巫女姫が輿に乗ってしまえば、顔も姿も拝むことはできない。
沿道の人々が輿の上の人に心を奪われているのを見ながら、ただその下で白木の重たい輿を担いでいるだけなのである。かろうじて巫女姫の長過ぎるほど長い衣装の裾が輿から漏れ落ちて、時々軽やかに舞うだけである。
輿から降りた巫女姫が祈り所の中に吸い込まれてゆく姿も、ちらりとも見るわけにはいかず、ただ決められたとおり前を直視しながら、目の端で影を追うだけだった。
巫女姫は尊い存在であるが、一時的な仕事でもある。
聖職を解かれ、神官の子供を五歳まで育てて学び舎に入れてしまえば、あとは一般人として結婚もできる。しかも、霊山に尽くした者として【癒しの巫女】という地位を与えられるので、まず、貧乏することはない。
ムテの若者にとってみれば、最高神官のお手つきなどということは全く関係なく、元巫女姫を娶れるとしたら、金も名誉もすべて手に入れたようなものなのだ。
だから、青年……いや、ここにいる若者たちすべてが、本当は巫女姫に興味津々であり、ひとつ心を分け合う者になりたがっていた。
しかし、今、巫女姫に許される男性は、最高神官ただ一人。他の男たちは、ただの運び馬なのだ。
期待していただけに青年はがっかりし、このような仕事は二度とごめんだ、とさえ思っていた。
祈りの儀式も最後の日。
今までの堅苦しい空気はなくなり、祈り所の奥では最高神官と巫女姫が、並んで人々にパンを配っている。
「ああ、なんて美しく愛らしい巫女姫でしょう!」
などという人々の感嘆の声を聞きながら、青年はやはり輿の前で前を睨みつつ、控えていた。
夕べは仲間と控え用の宿にすし詰めにされながら、愚痴を語り合った。これじゃあ、控えているか、運んでいるか、だな……と。
確かに一番巫女姫の近くにいながら、一番遠い存在なのだ。
そして、今、人前にいる時は、隣の仲間と愚痴ることもできない。
そのような時だった。
突然、祈り所のほうがざわざわとしだした。
何か、事件が起きたらしい。
「え? 何事だ?」
今まで整然と並んでいた輿運びの者たちも、さすがにその気を感じてざわめきたった。
祈り所から一の村の神官が飛び出してくる。
「あああ、あなたたち、巫女姫が霊山に戻ります! 準備しなさい!」
彼は妙に慌てているうえに、顔色が悪かった。
若者たちは、顔を見合わせた。予定にはかなり早い時間だ。しかも、帰りは最高神官の輿と並べて行進して帰る予定だったはず。
そうしているうちに、白い影が祈り所から飛び出し、きょろきょろしている。
「あわわ、エリザ様! こちら、こちらです!」
この巫女姫の名は、エリザというのか? と、青年は思った。
だが、なぜこのような事態になっているのか、全く見当がつかない。
神官は、なぜか輿から離れて行き、手だけでこちらを指し示している。
そのように距離を置いていたら、巫女姫が輿に乗る時に手を貸すこともできない。 あの重そうな衣装の裾を持ち上げて、よろけずに輿に乗れるものだろうか?
青年は不審に思った。
しかも、神官に指示されてまっすぐ小走りにやってくる巫女姫の腕は、何かボロボロの布にくるまった、衣装の豪華さにそぐわない物でうまっていた。誰かが荷物を預からなければ、衣装の裾を持ち上げるゆとりすらないだろう。
一度だけ、巫女姫は長過ぎる衣装の前を踏み、よろめいた。
青年は、思わず「あ!」と声を上げた。
近くにいる人が駆け寄ろうとしかけて、なぜか逆に巫女姫から離れて行った。
さらに奇妙なのは、回りの人々だ。巫女姫見たさに祈り所の外まで並んでいたくせに、彼女の姿を見るや否や、悲鳴を上げて後ずさりする。
まるで、巫女姫の動きに合わせて波が広がってゆくように見えた。
だが、やがて原因が知れた。
「え? あ? あれって、流行病!」
青年の隣の若者が叫び、後ずさりした。
若者たちのムテとしての能力は高い。病の気を敏感に感じた者は、一人ではなかった。一人が口にしたとたん、整列していた若者たちはバラバラとなり、ついに蜘蛛の子を散らしたように、輿の回りから逃げ出してしまった。
最高神官の結界が強い霊山近くの村では、あまり流行病の話を聞かない。
だが、霊山から離れた地域では、時々悪い病気が流行る。しかも、純血種の中でも体が弱いムテ人では、発症すると助からない場合が多い。
病の者に触れれば、八割が発病するという。発症しなくても、菌を移されれば別の者に伝播させる危険性もある。つまり、家族が発病することもあるのだ。
もちろん、よく調べてそういう悪い病気かどうか見極める必要もあるが、そう言っているうちに移ったら、本も子もない。
「な、何をしているのですか! 早く巫女姫を助けてあげなさい! 最高神官の結界があるのです。病は移りませんから!」
昨日まで巫女姫に手を貸していた神官が叫ぶ。
最高神官の結界は信じられるが、この神官の言葉は信じられない。大丈夫ならば、なぜ、そんな遠くで叫んでいるのだろう? 誰だって納得しない。
青年も、病を恐れて輿から離れていた。父や母、まだ若い妹がいる。病をもらうのは勘弁してほしい。
巫女姫は、輿の辺りでうろうろしていた。
遠くに逃げた若者の顔を、一人一人見つめている。
青年とも目が合った。
――お願い、助けて! 手を貸して!
間違いなくそのような叫びが、心言葉で響いて来た。
思わず目をそらした。
絶望にも似た悲しそうな視線が、青年に絡み付いた。
「あああ、あなたたち! 誰も巫女姫の力にはならないのですか!」
「いいのです! 守りたい人がいる者であれば、当然ですもの!」
外野で叫ぶ神官に向かって、巫女姫が叫んだ。
「私、自分の足で歩きます!」
青年は頭を上げ、初めて巫女姫の顔を見た。
さぞや神々しい美しさを秘めた、強い力を発した女性だろう……と思っていた。
実際、輿を運んでいるときに伝わってきたものは、恐れ多いまでの存在感だったのだ。
だが、目の前に立っている女性は、まだ少女と言える様子だった。
確かに美しい。が、可憐というべき人だった。ムテにしては大きすぎるほどの瞳を潤ませている。
巫女姫の立派な衣装は似合っているいるけれど、華奢な体には重そうにも見える。
力を確かに感じるが、それは神々しいというにはほど遠い、むしろ意志という力だろう。その意志も、この心身に大きすぎるように感じた。
誰だって、病気の子供を助けられるのであれば、助けてあげたいと思うだろう。
でも、できることとできないことがある。
それに、我が身を犠牲にしてまでは、さすがに……。
――きっとこの人には無理だ。
山道を登ったら、途中で倒れるのでは? そう思ったとたん、青年は何も考えず、叫んでいた。
「付き添いいたします!」
すると、隣にいた別の若者も叫んだ。
「わ、私も付き添います!」
病の子供を抱きしめ、歩き出そうとしていた巫女姫は、驚いた顔で二人を見つめた。
吸い込まれるような目をしている。
彼女は、うるうる瞳をふるわせながら、少しだけ微笑んだ。
「あ、ありがとうございます」
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