採石師ラウル・4


 こうして青年は、異例とも言える巫女姫の行進につきあった。

 村を出たとたん、風になびいて邪魔くさいヴェールを彼女は外した。これはかなりの年代物で、しかも非常に手の込んだ高価な品物である。

 巫女姫は、それをもう一人の若者に差し出したが、彼はそれを受け取らなかった。近づいて、うっかり手を触れてしまったら……と恐れたのである。

 青年にしてもそうだった。思わず付き添うと言ったものの、やはり病に冒されたくはない。

 彼女はそれを察したのか、ヴェールをそのまま地面に落とした。

「申し訳ありませんけれど、拾っておいてください」

 このような調子で、霊山への道を登り始める。

 付き添う二人の若者は、巫女姫の後ろを距離を置いて歩いていた。

 その日は、秋にしては天気がよく、温かかった。暑いと言ってもいいくらいの日であった。

 初めは元気よく歩いていた巫女姫も、やがて体力が失われたのか、歩みが遅くなる。

 元々、豪華な巫女姫の衣装は、輿で運ばれる存在のための物だった。

 神々しいけれども登山には向かない。平なところを歩くのでも、前を踏んでしまいそうなくらい長いのだ。上り坂ではなおさら、しかも道も悪い。

 青年ともう一人の若者は、時々足を止めて、巫女姫が進むのを待たなければならなかった。

 付き添いと言っても、何もできなかった。ただ、巫女姫が引っ掛けて落としてしまった金剛石や刺繍の糸屑など、見落とさないように拾うくらいである。

 ついに巫女姫は、裾を踏みつけたのか、その場にばったり倒れてしまった。

 子供を抱えての転倒である。当然、身をかばうために手を出すこともできなかったに違いない。

「大丈夫ですか?」

 青年は歩み寄り、声をかけた。

 だが、情けないことに、助け起こすための手を出すことはできなかった。

 なぜか、声をかけた分、罪悪感にかられた。まるで自分が追い立てて巫女姫を歩かせているようにすら感じたのだ。

 巫女姫は肩で激しい息をしていた。

 頬を伝うのは、涙なのか汗なのか、よくわからなかった。

 衣装も既にボロボロで汚れている。とても、痛々しかった。

「ふう……」

 と、彼女は息をついた。

「大丈夫……」

 と言いつつ、大丈夫そうには見えない。

 巫女姫がどのような生活を霊山でしているのかはわからない。だが、絶対に力仕事ではなさそうだ。

 体力のない巫女姫が、これ以上歩くのは無理である。

 巫女姫は、近くの岩の上に病の子供を置くと、ぺたんと座り込んでいた。


 ――僕がひとっ走りして、霊山にいるどなたかを呼んで参りましょう。


 青年はそう声を掛けようとした。

 聖職者でもない若者が、はたしてそのような言付けをして、聞いてもらえるのかどうかわからない。

 もしかしたら、霊山に住んでいる仕え人と呼ばれる人々だって、病を嫌って拒否する可能性だってある。

 でも、この人のために何か力になりたい。

 ところが。

 巫女姫は、突然すくっと立ち上がった。再び元気を取り戻したかのように。

 それだけでも青年は驚いたのだが、彼女がいきなり衣装を脱ぎだしたのには、もっと驚いた。

 若者二人は、口を開けたまま、目を見開いたまま、その様子を見ていた。

 体を覆っていた長衣が、まず脱ぎ捨てられた。下に着ている衣装も同じ素材で重たいものである。体にぴったりとしたシルエットで、それだけでも男の目には刺激的である。

 しかし、彼女はそれも脱ぎ捨てた。

 ぱらり……と衣装が落ちると、白い肩が見えた。

 次に、首につけていた重たい首飾りを外した。そして、髪を押さえているサークレットも外してしまった。

 なんと、彼女は絹の下着だけになってしまった。

 それは、胸元から膝あたりまでの丈で、細い肩ひもで支えられている。しかし、それすらも撫で肩のせいか、するりと片方の紐が落ちた。

 髪と下着の裾がひらひらと風に舞った。その瞬間、薄い布は体に張り付き、はっきりくっきりと、彼女の体の線をあらわにした。

 しかも、この下着は透けてほんのりと肌が見える。

 二人はすっかり釘付けになっていた。

「あの……」

 いきなり巫女姫が振り向いた。やや上気した顔を向けられると、二人はあわてて下を向いた。

「は、はい!」

 もう、目のやり場に困ってしまう。

「申し訳ありませんけれど、これ、運んでください」

「は、はい!」

 青年は真っ赤になって返事をした。


 ムテ人は、性的な欲求の少ない人種である。

 女の裸を見て、むらむらとくる……などということはない。

 故にリューマ族のように性的な産業もなく、結婚していない男女であれば、まずは異性の裸など見ることもないのだ。

 だから、二人の若者は、巫女姫の衣装を拾い集めながらも、目のやり場に困っていた。

 昨日までは、裸どころか、姿を見ることだって叶わなかった女性なのだ。

 それが今……最高神官しか見てはいけないものを見てしまった。

 それに……。

 青年は、抱え込んだ衣装から立ち込める女の香りに戸惑っていた。

 何とも甘ったるいのである。

 巫女姫は、身が軽くなったせいか、子供を抱えながらも先ほどよりも足取りが軽くなった。

 だが、青年の方は息が苦しくなってきた。心臓が激しく打ちつける。

 実際に巫女姫の衣装は、持ってみて驚いたのだが、非常に重いのだ。よく、あの場所まで我慢して着ていたと思うほどに。

 しかも、病気の子供……二歳か三歳くらいだろうか? を、抱えてだ。

 胸が締め付けられて、ますます苦しくなってきた。

 早く目的地について欲しいと思いつつ、前を歩く巫女姫……というか、少女の姿をちらりと見て、いや、この道が果てしなく長い方がいいと思ったり。

 青年は、自分でもよくわからない不思議な気持ちに困惑していた。


 しかし、旅路はおわりになった。

 霊山の祠や建物が見えてきた。門が迫った。

【控え所の門】と呼ばれるこの門は、いわばお勝手口のような場所だった。

 巫女姫や最高神官を輿に乗せて運び出した所は【黒塗門】と呼ばれる広場に面した場所で、そちらが正面玄関である。だが、滅多に使われることはない。

 食料を霊山に運び込む業者も、採石などの許可を取りにくる者も、一般人であれば、こちらを使う。

 巫女姫は、その小さな木戸を開けようとした。だが、逆に反対側から扉が開かれ、その手は空振りとなった。

「嘆かわしい! 祈りの儀式を中断させるとは!」

 ほっとしていたところ、いきなりの女性の声に、若者二人はびくついた。

 そのとたん、巫女姫は崩れ落ち、うわっと泣き出していた。

 その姿は、まるで母親に悪いことをして怒られている小さな少女である。身にあまる強い意志を秘めた少女の姿は、どこかへ吹っ飛んでしまった。

「泣いている場合ではありません! あなたには使命がおありでしょう? それは最高神官の命令でもあるのです!」

 厳しい言葉が、さらに飛ぶ。

 自分が怒鳴られているような気持ちになって、青年は身をすくませた。


 ――そのようなことはない!

 この方は、誰もがあきらめて……いや、自分の身の大切さに、しようともしなかったことを、やり遂げたんだ。

 ほめてあげるべきではないですか!


 そう言ってかばってあげたかった。

 だが、とてもそのような勇気はなかった。病気の子供に触れられなかったと同じように、のこのこ後ろを付き添っただけで、何の力にもなれなかったのだ。

 子供を奪われて、ただぺたんと座り込み、泣きじゃくっている少女。

 でも、この方は巫女姫である。

 そう思えば、抱きしめて慰めてあげることも許されない。

 青年は、ただ、恐る恐る巫女姫に近づき、そのか細い肩に重たい衣装を掛けてあげるしかできなかった。

 すると、巫女姫は立ち上がり、すっと顔を上げた。

 大きな瞳からぼろん、と大きな涙が頬を伝わったが、彼女は微笑んだ。

「ありがとうございます。お二人のおかげでここまで戻ってくることができました」

 ぺこり……と頭を下げる。

 青年も慌ててぺこぺこと頭を下げた。

 お礼を言われるようなことは、何もできなかったのに。

「……」

 それでも、何か言いたかった。しかし、もう一人の若者が、彼の服を引っ張った。

 確かに長居はかえって迷惑かも知れない。彼女には、これからしなければならないことがあると、あの女性は言ってた。



 青年は、後ろ髪引かれる思いで、来た道を引き返した。

「あんなところに居座っていたら、病気がうつるかもしれないし」

 帰り道、もう一人の若者が言い出した。

「見てはいけないものを見た! ていうこと以外、あまり得られたことはなかったよな」

 つまらなそうな口ぶりだ。

 実は、祈りの儀式の仕事は、名誉の仕事であって、きついのに無給である。この若者は、霊山まで巫女姫を連れて行ったら、特別に褒美でも出ると思っていたらしい。

「それに巫女姫! もっと神々しい女性なのかって期待していたのだけど、てんで子供だよな。最近、ムテの力が弱くなって、巫女姫の選定も難しいと聞いていたけれど……本当にこのままじゃ、ムテは滅びるかもな……」

 青年は、殴ってやりたい気持ちに駆られたが、無言だった。

 賛同できるところもあったからだ。

 ともに付き添いを買ってきたこの若者が、実はくだらない男であり、しかも神官候補であるなんて、本当にムテは滅びに瀕している。

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