採石師ラウル・5


「私、思い出しました。確かにあなただわ。マリを霊山に運ぶ時、付き添ってくださった方……」

 エリザは目を潤ませた。

「あの時は本当にありがとうございました。……ごめんなさい。恩人の顔を忘れてしまうなんて……」

「い、いや……その……」

 男は再び目を外した。

「恩人だなんて、そんな……。僕はあの時、後ろを歩くしか他に何もできなかったんですから、恐れ多いです。覚えていてくれていたほうが、不思議なくらいだ」

 そういうと、急に男は黙り込んだ。

 何かをじっと考え込んでいる。エリザは間に困ってぱちぱち瞬きした。

「あの、エリザ様。僕にあなたを一の村を出るまで送らせてください」

「え?」

 どう見ても、この男は、このあと山に石をとりに行く予定だったに違いない。装備が物語っている。山を下るのは、全く方向が違う。

「あの時、とても後悔したんです。なぜ、子供を代わりに抱いて運んでやらなかったのだろう? あなたの手を引いてあげなかったのだろう? いや、仲間を説得して輿で運べば良かったと……」

「それは、あなたのせいじゃないわ。だって、そういうのができない状況だったのですもの。あなたはできる限りのことをしてくれたし、私の力になってくれたわ」

「そうかも知れない。でも、僕はしたかったのにできなかった。だから、悔やんだ」

 そういうと、男はエリザの荷物と奥で眠っているジュエルのほうに目をやった。

「でも今は荷物も子供も運べる。お願いです。あの時の埋め合わせをさせてほしいんです」

 ……と言われても。


 エリザは困ってしまった。

 確かにここまで来るのに、普通の人の何倍も時間がかかっている。ジュエルのことを考えたら、あまり無理はできない。

 祈り所に立ち寄ってその足で、今日は椎の村まで行くつもりだったが、一の村で宿を取るべきかも? とすら、考えていた。

 だが、恩人が恐縮しているのをいいことに、そこまで甘えていいものだろうか?

 目を白黒させて考えていると、男は洞窟の奥へと入っていき、ジュエルの前で膝をついた。

「あなたは子供を抱きかかえて、荷物を手に提げていたようですけれど、それでは疲れたでしょう? 採石用の袋がありますから、これに……」

 そこまでいうと、急に男の言葉が詰まった。

 嫌な予感がして、エリザは慌ててジュエルの元へと駆け出した。


 じっと男の目が、ジュエルに注がれている。

 エリザはその視線を断ち切るように、寝ているジュエルを抱き上げた。

 男は驚いて、エリザの顔を見つめている。

「あの、その子は……?」

「わ、私の子です!」

 そういうとエリザはジュエルの頬に頬をすり寄せた。なぜか涙が出てくる。

 誰かにジュエルを見られるたびに、その誰かがジュエルを奪い取ろうとしているような気がして、たまらない気持ちになる。

 ぎゅっと強く抱きしめて、とられないようにしなければ……。

「この子は私の子です。私たち親子のことは、もう放っておいてください!」


 男はしばらく黙っていた。

 だが、エリザとジュエルの上に外すことない視線が降り注いでいる。

 やがて、男はやっと口を開いた。

「ムテで黒髪だなんて、珍しいから驚いただけです」

 エリザはやっと顔をあげた。

「黒髪?」

 そのはずはない。ジュエルは銀髪である。

 この人は、何を言っているのだろう? エリザは、ふとジュエルを見た。

 そう言われれば、普通の銀色の髪よりも色が濃いような気がするし、目の色も……。

「黒髪で青い目。今まで見たことのない不思議な子供だ。一の村は、比較的変わり者には融通の利く人たちが多いが、他ではそうでもないはずだから、気をつけたほうがいいです」

 そう言いながら、男は何か袋を広げている。

「さあ、子供をこちらに……」

 男は手を差し出した。

「いやっ! ジュエルは渡さない!」

 エリザは再び叫んだ。

 また、しばらく時間が空いた。

「ジュエル……か。いい名前だ。ウーレンの言葉で宝玉。採石袋にふさわしい」

 冗談なのか? 本気なのか? エリザの頭の中に妄想が渦巻いた。


 誰もが自分からジュエルを奪おうとしている。

 この男はジュエルを袋に押し込んで、どこかへ運びさってしまうのだ。

 そうしたら……。


 油断も隙もない。親切そうな言葉に、もう少しで騙されるところだった。

 エリザはじりじりと男との距離をとった。

 男は、エリザの思いもよらぬ言動に戸惑っているらしい。

 再びじっと何かを考えていたようだが、何も言わずに再び洞窟の入り口に戻って行った。

 外は、もう雨が上がっている。

 一瞬、そのまま何も言わず、怒って去って行くのでは? と思い、エリザははっとした。

 悪いことをした気がする。どうしてこの男がジュエルを連れ去ってしまう……と思い込んでしまったのか、よくわからない。

 だが、男は入り口で振り返った。逆光で表情はわからないが、声は落ち着いている。

「エリザ様、どうも申し訳ありませんでした。マントもその袋も使ってください」

 エリザはジュエルを抱きしめたまま、男を見つめていた。だが、その手は少しだけ緩んだ。

「僕の家は代々採石師なんです。母はよく赤子の時の僕をその袋に入れて運びました。長い距離を歩くには都合がいいんです。両手が空くし、子供も体が楽なはず……」


 エリザは、霊山の道なき道を行く採石師の姿を、遠目で見たことがある。

 彼らはつるはしを杖代わりにし、背の採石袋をいっぱいにしながら、楽々と道を進むのだ。

 今、エリザの前に広げられた袋は、重たい石を入れても平気なほど丈夫でしかも軽い布で作られている。薬石の中にはくだけやすいものもあるので、生地の表面も滑らかだ。

 片腕に荷物を下げ、両手で赤子を抱き、時々風に煽られて肩掛けを直すエリザの旅路は、採石師にとってかなり大変そうに感じたのだろう。


「で……でも……」

 エリザは慌てて、洞窟から出て行こうとする男に声を掛けた。

 マントも袋もエリザに差し出してしまったら、やはりこの男は仕事にならない。借りるわけにはいかないのだ。

「マントは、一の村の祈り所にでも預けてくれれば……。袋の方は、予備が家にたくさんありますから、あなたに差し上げます」

 明るい声だが、どこか悲しみを感じる。エリザが全くこの男を信じようとしなかったことを、充分に感じ取ったのだろう。

 好意を踏みにじった上に、お互い嫌な気持ちで別れてしまうのだ。

 あの時、霊山で別れたように……。

 何か言いたげのすがるような目に、エリザは自分の悲しみでいっぱいで、何も答えることができなかった。

 何か一言、彼に言わせてあげることができたなら、五年間も後悔することなく、エリザの名さえも忘れて過ごせたかも知れないのに。

「でも、でも、あの……」

「いいんです。気にしないでください」

 あの時、こうしていれば……ということは、生きていれれば何度かは経験することだ。だが、けしてやり直しはできない。

 でも時々……。

 何かの偶然で、埋め合わせる機会が訪れることもある。


 ――この人をこのまま、帰したくない。


 エリザは素直にそう思った。

「で、でも……。私、これをどうやって使ったらいいか、わからなくて……」

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